10月最後の木曜日になりました。

もう少しで、今年も残り2か月となります。

私のような年寄りには、今年も「あっという間に」過ぎようとしています。

この1年が悔いのないものになるように、残り2か月も頑張りましょう。

さて、次のようなニュース(『MBSNEWS』)は、みなさんもご存知だと思います。

『「不登校、大半の責任は親」発言の東近江市長が取材に応じる「私は問題提起をした」
https://www.mbs.jp/news/kansainews/20231018/GE00053055.shtml
「僕は文科省がフリースクールの存在を認めてしまったということに、愕然としているんですよ。」
 これは10月17日に滋賀県の会議で発言した東近江市の小椋正清市長の音声です。会議では、不登校の小中学生数が過去最多を更新して、国がフリースクールなどを支援する中、県独自の対応策に向けて各自治体トップらに意見が求められていました。
(小椋市長)「大半の善良な市民は、本当に嫌がる子どもを無理して学校という枠組みの中に押し込んででも、学校教育に基づく、義務教育を受けさそうとしているんです。無理して無理して学校に行っている子に対してですね、『じゃあフリースクールがあるならそっちの方に僕も行きたい』という雪崩現象が起こるんじゃないか。フリースクールって、よかれと思ってやることが、本当にこの国家の根幹を崩してしまうことになりかねないと私は危機感を持っているんです。」
 このように持論を展開した市長。東近江市によりますと、会議後にも「不登校になる大半の責任は親にある」と発言していたといいます。
▼発言の真意は? 東近江市長が取材に応じた
 一連の発言の詳細について小椋市長は18日午前中、取材に応じました。市長はまず、昨日の会議で示された県の政策に『子どもが学びたいと思ったときに学べる環境を整えます』という一節があり、そこに意見したいと思ったのが発言の直接のきっかけと話しました。
(小椋市長)「子供の気分、感情で、『学校行く気になったから行くわ』、それで環境を整えないといけない、という解釈しかできない。国がフリースクールの支援をしてくださいということになると、国がフリースクールに全部ゆだねる動きが出てきたときに、そもそも教育を受けさせる親としての責任や義務、教育基本法、学校教育法の枠組みが崩れるのではという危機感を持っている。」
 フリースクールそのものに批判的なのではなく、フリースクールを認める文科省が『安易な判断』で無責任だ、という主旨だと話しました。
▼「フリースクールが国家の根幹を崩しかねない」発言の真意は
 いっぽう『不登校と親との関係』については。
Q:大半の責任は親にある、フリースクールに対する財政支援を国が言うべきではないと、言いましたか?
(小椋市長)「全体の流れの中でそういうニュアンスのことは言ったとも、言わなかったとも明確に言わない。でも財政支援を安易にすべきではないと言っているし、大半は、と言っている。」
Q:フリースクールが国家の根幹を崩しかねないと言ったが、そこがどう国家が崩れることにつながるのか?
(小椋市長)「常識のある普通の人は無理しても『学校に行け』と言っている、努力しているわけですよ。ボーダーラインにいる子がフリースクールで楽しんでいる子供を見たら、雪崩現象を起こすかもしれないと。私はあえて問題提起をした」
 ”大半の責任は親”という発言については、「先生の問題もあるが(自身の)感覚的なもの、経験則に基づくと、やっぱり親が多い。」と引き続き持論を述べつつも、選んだ言葉については「短い会議の中で端的に思いを伝えようとすると、どうしても言葉足らずになり、アグレッシブな言葉を使ってしまう。極端に言い過ぎたかもしれない。」と釈明しました。』

どうしてこれ程「無神経な人」が市長に選ばれたのでしょうか。

以前からメルマガにも書いてきましたが、どのような選挙であれ、立候補を予定する人たちに、「公開討論会」「制限のない会見」などを義務付けて、自分自身の言葉で討論・対話する能力があるのかを確認する必要があると思います。

選挙カーによる選挙活動などまったく無駄なものですし、「選挙公報」に一方的に書かれていることがどこまで信用できるのかも不明です。

さらに、選挙ポスターの費用にも闇があるようです。

次の記事は、『南日本新聞』のものですが、

『選挙ポスター1枚5000円…「税金だから取れるだけ取ればいい」印刷業者が明かす選挙特需の暗黙の了解』
https://373news.com/_news/storyid/180513/

タイトルを読んだだけで中身が十分想像できますね。

選挙が公示された後、投票日前日まで、毎日「公開討論会」「制限のない会見」を開き、ネットやNHKを活用して完全生中継すれば、選挙ポスターも、特別な場所を除いて不要となりそうです。

選挙では、当たり前ですが、立候補者本人の「人間性、人間力」で選ぶべきです。

先週の授業後に、「大阪・関西万博」のお話をしてくださった方もいました。

ありがとうございます。

「大阪・関西万博」に関しては、最近、次のような論調の記事(『リテラ』)が増えてきたように思います。

『「大阪万博」建設費が倍増2350億円で批判殺到も吉村知事は逆に被害者ヅラ! 「空飛ぶクルマ」難航もマスコミ批判でゴマカシ』
https://lite-ra.com/2023/10/post-6303.html

かなりの長文ですので、興味のある方は、上記サイトを訪れて読んでみてください。

前回のメルマガにいただいたお返事も紹介します。

『今回のメルマガの、
①「年上だから、年下だから」という考え方とは決別する
②年上も年下もお互いに一人の人間として尊重し合う
③話を聞いてもらいたいときは話を聞きたいと思われるような話をしよう』
についての先生のアドバイスは、どれも納得しました。謙虚さを忘れず、親も冷静になって成長する必要があるということですよね。話し方も大事ですね。私に完全にできるとは思いませんが、気をつけていきます。』

ご納得いただき、ありがとうございます。

これも以前からメルマガに書いてきましたが、「子育てがスイスイうまくいく」ことなど夢のまた夢ですから、「自分にできないこと、自分がやらないことを子どもに強いない」を肝に銘じて、「真摯に謙虚に一歩ずつ」を心がけてください。

さて、今回は、次の『プレジデント・オンライン』の記事(すみません、編集しています)について考えてみたいと思います。

『小3算数「1列14人でAの前に7人。後ろに何人?」大人にはわからない3年生の7割が誤答する理由 「65の前の数は?」と聞かれ「66」と答える子を笑えない
https://president.jp/articles/-/74867
 計算はできるのに文章題だと間違えてしまうという子がいます。それは当然で、文章題を解くには、計算問題で求められる力とは別な力が必要なのです。それは、「言葉の力」と「考える力」です。
 まずは「言葉の力」。文章題を読み解くためには、言葉を知っているだけではなく、その言葉をさまざまな場面や文脈で十分に使いこなせる「生きた知識」として身につけていることが必要となります。算数の文章題には、「時間」や「空間」を表す言葉が多く使われます。慣れていない子供にとっては、言葉の示す意味を読み解くことも難しいのです。
 もう一つは「考える力」です。文章題を解くために必要な考える力にはいろいろな能力がかかわりますが(文末参照)、なかでも核となるのは「推論」をする力です。関係性を見つけて見当をつけたり、共通するパターンを新しい状況に応用したりするための能力です。
 また、文章題だと間違えるやっかいな理由は、子供一人一人が、スキーマ(生活や学習の経験のなかで培ってきた、枠組みとなる知識。誤ったスキーマが文章題を解くときに邪魔となる)を習得しているということです。
 わかりやすい例は、「数はモノを数えるためのもの」というスキーマです。「数」には、モノを数えるほかに、割合を示すという意味があります。ところが小学校低学年までは、りんごを数えるなどもっぱら前者を扱います。
 分数を学び始めたときに、2分の1より3分の1のほうが大きいと間違えるのは、「数はモノを数えるためのもの→数が大きくなると量が増える」というスキーマを持っているから、分母の数字が増えると量が増えると思ってしまうのです。
 分数・小数や割合が難しいのは、それまで築いてきた「モノを数える」数の役割とは違う概念が入ってくるからなのです。
 このように、子供の間違いには原因があり、その子なりの理屈があります。
▼例題1
 子どもが14人、1れつにならんでいます。ことねさんの前に7人います。ことねさんの後ろには、何人いますか。
▼誤答例
式 14ー7=7 答え 7人
▼正解(3年生の正答率28.1%)
式 14ー7ー1=6 答え 6人
 この「列の並び順問題」は小学1年生の教科書で習うものですが、算数教師の間でも、子供がつまずきやすい問題として有名です。
 間違える子の多くが7人と答えますが、それには理由があるのです。
 間違える原因の一つ目は、問題文を正しく読まず(あるいは読むことができずに)出てくる数字を使って思いついた計算をしてしまっているということ。
 子供は、それまでの経験から素朴な思い込み=スキーマを持っています。この間違いをする子は、たとえば次のようなスキーマを持っていることが考えられます。
「問題文に出てくる数字で計算すれば文章題は解けるはずだ」
「答えが小さくなりそうなときはひき算をすればいい」
 その思い込みのルールの通りに、14-7=7と計算してしまうのです。
 それでも、見直しをすればあるいは間違いに気がついたかもしれませんが、自分の答えを客観的に見るためのメタ認知能力(文末参照)が十分に育っていないのでしょう。
 正解するためには、「全体の14人から前にいる7人を引いた数には、ことねさんが含まれるので、さらに1人を引く」と筋道を追って類推する必要があります。問題文にはない「1」という数字を導き出して計算することが必要ですが、それはとても高度なことなのです。
 この問題が難しいもう一つの理由は、多くの子は、「前」「後ろ」という言葉が生きた知識になっていないことです。
 この例題では、全部で14人いる→ことねさんの「前」に7人いる→ことねさん(1人)がいる→ことねさんより「後ろ」には何人いるか
 という関係がイメージできなくてはなりません。
 日常生活のなかでも、前・後ろ、右・左などの言葉を多く使うことが、生きた知識とするために有効です。そのときに「誰の右かな」「どっちが前かな」などと方向や基準点を意識させるようにするのもいいでしょう。
▼文章題を解くために必要な力① 言葉の力
 たとえば、「足す」が「生きた知識」になっているとは、数と数を合わせることだと定義を知っているだけでなく、たし算とひき算がどういう関係にあるのかといった理屈・関係性も理解していること。「3+5=□」はできても「3+□=8」だと答えられないのは、生きた知識となっていないから。教えられた通りならできるが、問題の形式が少しでも変わると答えることができない。
▼文章題を解くために必要な力② 考える力
 5つの能力が必要となる。
①推論:関係性を見つけて見当をつけたり、共通するパターンを新しい状況に応用したりする能力。論理的に筋道を立てて思考する力。文章題を解くうえで核となる。
②実行機能:必要な情報にのみ注意を向けること。また、文脈に合わせて柔軟に注意をシフトできること。この力が弱いと、前の問題でかけ算を使うと引きずられて次もかけ算を使ってしまうことも。
③作業記憶能力:情報を頭のなかに保持する。計算のときは、数字を覚えておき(短期記憶)、すでに習った演算方法(長期記憶)に照らし合わせて操作をする。
④視点変更能力:自分中心ではなく、他者の視点でものごとを見ることができる力。算数の文章題では、時間や空間などを扱うときに重要となる。
⑤メタ認知能力:自分の行動や知識の状態を客観的に認知する力。ありえない答えになったときに、本当にそれが正しいかを考えることができる。』

かなり長くなりましたが、これでも編集していますので、ぜひ引用元のサイトで全文を読んでください。

上記の『「問題文にある数字を使えば解ける」という思い込み』について考えてみます。

一般的に、算数の文章題を解く場合、「問題文の内容を理解しながら、出てくる数字をすべてチェックする」ことを促します。

第1段階としては、当然のプロセスで、最初のうちはそれで解けてしまう問題が数多くあります。

そうして成功体験を積んでいきますが、上記の例題1のように、

『問題文にはない「1」という数字を導き出して計算することが必要』

というような落とし穴が増えていきます。

初見の問題を一人で解いているなら、間違えてしまっても仕方ない種類のものです。

だから、2回目、3回目、、、に解くときに間違えないように指導するわけです。

低学年の児童対象の授業では、○を14個並べて図示して、「全体の14人、前の7人、ことねさん、後ろの6人」を順に確認していきます。

問題文になかった1人(ことねさん)も登場してくれます。

14人の子どもたちがどう並んでいるのかを、目でも理解するわけですね。

「お団子を14個書くとわかりやすい」ことを実感した上で、ノートに同じように書いてもらいます。

次に、数がもっと大きくなって○を書ききれなくなったときのために、フランスパンのような長丸を書きます。

「ウインナーみたい」とか「電車ごっこの輪っかだ」とか反応する子どももいます。

そこに、線分図のように前から後ろまで14人と書き、フランスパンの真ん中あたりに「ことねさんの○」を書いて、左(前)側に7人と書き込みます。

こうすれば、数が大きくなっても、目に見える形で図示することが可能です。

特に低学年の子どもたちには、「具体性」が有効なんですね。

みなさんのお返事を待って、次回のメルマガで考えてみたいと思います。

また、次回は、この記事の【後編】、

『小6の43%が誤答「8人に4Lのジュースを等しく分けると1人何リットル?」迷いなく8÷4と立式する子への教え方』
https://president.jp/articles/-/74868

も紹介したいと思います。