木曜日になりました。
朝晩かなり涼しくなりました。
薄めの掛け布団をかけて眠るのは気持ちのいいものですが、朝布団から出るのがだんだん億劫になってきそうですね。
いろいろな感染症も流行っているようで、私も、早速インフルエンザの予防接種を受けてきました。
特に受験生は、体調を崩さないように十分注意してください。
最近、悲しいニュースが多いです。
世界のあちこちで大きな自然災害が起こり、救援活動がなかなか進んでいません。
一方、ウクライナの戦争、パレスチナの紛争、ミャンマーの混乱など、人間が引き起こした惨状も続いています。
もちろん日本国内も、多くの問題を抱えたままです。
経済対策など多くの問題を目の前にしながらも、大阪・関西万博のような、もはや時代遅れともいえるイベントに突き進もうとする動きが止まりません。
日本国内の多くの矛盾に対して私たちに何ができるのか、世界が抱える多くの問題に対して日本に何ができるのか、考えれば考えるほど無力感が募ります。
日本や世界の情勢が大きく好転する明るい未来は、もう望めないのでしょうか。
さて、埼玉県議会の虐待禁止条例改正案について、いくつかお返事をいただきました。
お返事の内容は、もちろん「憤慨」と呼ぶべきものでした、
特にフルタイムのお仕事をされているお母さんから、厳しいご意見をいただきました。
『小学3年生以下の子どもだけで「留守番させる」「公園で遊ばせる」「登下校させる」「お使いに行かせる」などが「虐待」に当たるとなれば、親子を縛りつけるだけだと思います。親の経済活動や、子どもが成長するための活動を、どうやって維持していけと言うのでしょうか。たとえば、公的なベビーシッター制度が整備されているとでも言うのでしょうか。』
その通りだと思います。
前回のメルマガで、子どもたちが安心・安全に「近所の公園で遊んだり、友達と一緒に登下校したり、知っているお店にお使いに行ったり」できるような環境整備が先だと書きましたが、どうみても、議員さんたちがそのような環境整備を推進しているとは思えません。
国会議員や地方議員が、いったいどこを向いて「政治」をしているのかもまったくわかりません。
「何のために議員になったのか。自分の言動は大丈夫か、恥ずかしいものではないか」と、つねに自省してほしいものです。
「大阪・関西万博」に関しては、特にお返事をいただけませんでした。
みなさんが万博に賛成なのか反対なのかわかりませんが、結果的に、壮大なる「税金の無駄遣い」になる可能性を考えると、無関心ではいられません。
「万博はあくまでも前座で、その後のIRが本命」ともいわれています。
しかしながら、「なぜ今、ギャンブルなのか。何のためにギャンブルに多額の税金を注ぎ込むのか」に関して、マスメディアによる詳細な分析・検証報道もありません。
汚職まみれだった東京オリンピックに関しても、きちんと検証されないままです。
検証報道もない状態では、多くの国民が「よくわからないまま置き去り」となるのも当然で、そんな「壮大なる無関心」に乗じて、一部の人たちの思惑だけで、国家規模の「壮大なる無駄遣い」が進んでいくのです。
「傍若無人で、汚いこともやり放題」の東京オリンピックから、何も学ばないのでしょうか。
日本は、その程度の国なのでしょうか。
議員だけでなく、報道に携わる人たちも、何のためにその職業を選んだのか、しっかり自省してほしいものです。
「ジャニーズ社の会見」から学ぶ「会見のあり方」については、いくつかお返事をいただきました。
概ね、
「そもそも会見とは、問題点を明らかにし解決へ向かうためのものであり、当然、質問者と回答者の両者がその目的に対して真摯に向き合わなければなりません。」
「日本に、丁々発止の自由な討論や実りある対話が根付く未来はくるのでしょうか。」
という私の考えや危惧に同意のお返事でした。
ありがとうございます。
『ジャニーズの会見に関しては、私も、たいへん残念に思っていました。一般の人たちなんて、自分たちのお金儲けに役立ってくれればそれでいい、といった考え方なのでしょうね。大企業も政治家も、おそらく同じ感覚だと思います。』
そうですね。
私も、企業のエライ人たちや政治家からは、「トンデモナク見下されているんだろうな」という感覚でいます。
「普通の人たち」の味方であるべきマスメディアも、企業や政治家の方ばかり気にしているのでしょう。
日本の現状をみていると、毎度毎度、同じ愚痴になってしまいます。
ほんとうに、脱力感・閉塞感です。
『「丁々発止の自由な討論や実りある対話」とありましたが、確かに、今の日本の政治家や偉い人たちに一番欠けているものですね。私は、自分の子どもに、きちんと討論や対話ができるようになってほしいと思っています。でも、世の中の大人がダメなお手本ばかりですから、子どもたちの将来は厳しいですよね。私自身も、討論や対話は苦手ですが。』
こちらも同感です。
子どもたちには、きちんと討論・対話できる大人になってほしいと思っています。
他人が書いた原稿を読むだけの無能な大人の姿や、自分の都合の良い情報を発信するだけの自分勝手な大人の姿は、何のお手本にもなりません。
周りをみても、「尊敬に値しない大人たちばかり」の環境だとしたら、子どもたちは、いったい誰をお手本にすればいいのでしょうか。
今の日本は、「反面教師」ばかりかもしれません。
『比べない、悩まない「のびのび子育て」応援サイト【nobico/のびこ】』の記事、
『「子どもは親の言うことを聞いて当然」は権利侵害? 言ってはいけない子育てのNGワード』
https://family.php.co.jp/2023/08/11/post_6991/
にもお返事をいただきました。
ありがとうございます。
『メルマガの230928号と231005号で、特に母親の「イライラマックス」が取り上げられていましたが、今回の「黙って親の言うことを聞け」も、同じラインに属する親の失態ですよね。私も、NGだとわかっていながら、「黙って聞け」オーラ全開で叱っていることがあります。完全に抑えつけてしまっています。ほんとうに恥ずかしいです。』
お気持ち、よくわかります。
「またやっちゃった~」と反省する場面は多いかもしれませんね。
とはいえ、お母さんもお父さんも、
「あなたたちよりたくさん経験してきたから、アドバイスするんだよ」
という優しい親心から「叱る」ときのほうが多いと思います。
そのアドバイスの際に、この記事の最後の3つのポイント、
①「年上だから、年下だから」という考え方とは決別する
②年上も年下もお互いに一人の人間として尊重し合う
③話を聞いてもらいたいときは話を聞きたいと思われるような話をしよう』
を忘れないようにしたいものです。
①「年上だから、年下だから」という考え方とは決別する
自分が子どもだったころ、「頭ごなし」にいわれた言葉を素直に聞けましたか。
ムッとして、すぐに耳や心を閉ざしてしまったのではないでしょうか。
そんな「子ども心」を忘れてしまうのはもったいないですね。
子どもより親のほうが経験豊富なのは当たり前です。
そして、多くの経験をしたからこそ、子どもより「冷静にも優しくも」なれるはずです。
「親として叱る」というより、「人生の先輩として冷静にアドバイスする」というスタイルはいかがでしょうか。
②年上も年下もお互いに一人の人間として尊重し合う
親のほうが、いろいろな面で経験豊富だとはいえ、子どもに負けているところもありそうです。
普段から、謙虚に、自分より子どものほうが優れているところを探してみるのもいいですね。
ここでは、「謙虚」がキーワードになると思います。
子どもと話すとき、
「お父さんの悪いところを教えて!」
「お母さんの直したほうがいいところってどこ?」
などと質問してみるのはどうでしょうか。
親子で「ダメ出し」し合って、一緒に成長していく関係が築ければ、親が抑えつけるような場面は確実に減っていくと思います。
「お父さんの悪いところ、少しは良くなった?」
「まだまだやなあ」
などという親子の会話は、健全な親子関係の中でこそ成立するものでしょう。
③話を聞いてもらいたいときは話を聞きたいと思われるような話をしよう』
このアドバイスは、親子であろうと、先生と生徒であろうと、上司と部下であろうと、いろいろな場面で有効なものでしょう。
叱る場合であろうとアドバイスする場合であろうと、
「今から自分が話す言葉が相手の心に届かなければ、何も始まらない」
という心構えからスタートしましょう。
「言葉が相手の心に届いて、相手がそれを受け止めて、前向きな気持ちになる」
という好循環が生まれなければ、どんなに素晴らしいアドバイスも役に立ちません。
「子どもに聞いてもらい、心を開いてもらう」ためには、やはり、親や大人の側に謙虚な気持ちが必須でしょう。