木曜日になりました。

この三連休は一気に気温が下がって、「秋を感じる間もなく冬がやってくるのか」という感じでもありましたが、みなさんの体感はいかがでしょうか。

「日本の美しい四季」という概念は、消え行く運命なのでしょうか。

さて、埼玉県議会の自民党県議団で注目すべき動きがありましたが、結果的には条例「改正」案は取り下げになりました(当たり前ですが)。

次の『朝日新聞デジタル』の記事を読んでみてください。

『「留守番も虐待」条例改正案、取り下げへ 自民党埼玉県議団が表明
https://digital.asahi.com/articles/ASRBB4SD4RBBOXIE02C.html?iref=comtop_7_03
 子どもを自宅や車内などに放置することを禁止する埼玉県虐待禁止条例改正案について、提出した自民党県議団は10日、改正案を取り下げることを決めた。同県議団はこれまでに、子どもだけの登下校や短時間の留守番なども「虐待」にあたるとの見解を示し、批判を呼んでいた。
 自民県議団は10日午後に記者会見を開き、田村琢実団長の名前で書面を配布。「私の言葉足らずにより、県民の皆様はもとより全国的に不安と心配の声が広がり、多くの県民・団体等より、県議団に対し様々なご意見を頂戴(ちょうだい)した」と説明。条例運用にあたっては趣旨が十分理解され、社会全体で子供の安全を守る機運につながることが重要だとして「こうした観点から、本議案については取り下げさせて頂きます」とした。
 改正案は、全国で相次ぐ置き去りによる子どもの死亡事故を受け、同県議団が4日、県議会に提出した。6日の県議会福祉保健医療委員会で自民、公明両党県議団の賛成により可決され、13日の議会最終日に採決される予定だった。
 改正案の内容は、罰則は設けないが、成人の養護者が小学3年生以下の子どもを放置することを禁じ、4~6年生については努力義務とし、県民には通報を義務づけるというもの。
 禁止行為について、委員会で提案者を代表して答弁した自民県議は、子どもだけでの登下校や短時間の留守番も「放置」にあたり、虐待とみなすとの考えを示した。他会派からは「保護者を追い詰める」などと批判の声が上がった。
 田村氏は6日に、将来的に罰則を設ける可能性について「今後子どもを放置するような状況がたくさん出てくるようなことがあれば、再考する必要がある」と述べていた。
 県内では保護者らの反発が高まり、さいたま市PTA協議会(市P協)は6日に反対の署名活動を始めた。』

かなり話題になっていますので、すでにご存知の方も多いと思いますが、小3以下のの子どもだけで、

「留守番させる」
「公園で遊ばせる」
「登下校させる」
「お使いに行かせる」

などが「虐待」に当たるとは、現実からかなり乖離しています。

このような条例「改正」案が通れば、まちがいなく、親子の生活が大きく変わってしまうでしょう。

いうまでもなく、

「近所の公園で遊んだり、友達と一緒に登下校したり、知っているお店にお使いに行ったり」

という子どもたちの日常を守ることこそ重要であり、そのための環境整備に努めるのが議員の務めですね。

いずれにしても、このような内容の条例「改正」案が、いったんは「県議会福祉保健医療委員会で自民、公明両党県議団の賛成により可決された」という事実を忘れてはいけないと思います。

また、「大阪・関西万博の闇」に関しても、少しずつではありますが、やっと話題になってきました。

次の、「建築エコノミスト森山高至氏のブログ」(かなり編集しています、すみません)を紹介します。

『シン大阪・関西万博へ⑪
https://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12822798040.html
 さて、いよいよ佳境に入ってきた感の大阪万博です。万博協会の十倉雅和会長(経団連会長)と石毛博行事務総長が記者会見されました。
 その内容ですが、すべて泣き言です。内容を要約すると、
泣き言の1:「万博工事は遅れる、建設開始の見通しも立っていない」
泣き言の2:「万博の費用は増える、これ以上は集められないかもしれない」
泣き言の3:「今後も費用の増大は見通せないがこっちのせいじゃない」
という趣旨です。
 十倉会長はお気の毒としかいいようがない。夢洲という土地のせいです。夢洲に決めた人間のせいで、万博のパビリオンが建たないし、費用が天井知らずなのです。
 にも拘わらず、「IRが決まった!」と、なんかいい感じ風のニュースもありました。ただなあ、報道の表現も苦しそう。
 「本契約にあたる実施協定」を締結。
 要は本契約ではない。この契約を見ると、「本当に契約になってんの?」という内容です。特に、こんな恐ろしい記述がある。
MGM側の言い分
「判断基準日において、事業前提条件が成就していないものと判断。」
「条件が成就していない現状においては、最終的な事業実施判断を行うことができる状況にない。」
 今の時点でIRやるかどうか決めることはできない。なぜなら前提条件が決まってないから。前提が確定していない今は決められないということだよ。
 で、こういう追加条項を付け加えている。
恐怖契約の1:IR建設のための「土壌汚染対策や液状化対策」はMGM側が実施するけれども、それで増えちゃった金は大阪市が負担すること!
恐怖契約の2:あり得ないヤバいものが地中から出てきたときも、その費用は大阪市が負担すこと!
恐怖契約の3:大阪市が夢洲の埋め立てに使ったものがいいかげんで、地盤沈下したときの「地盤沈下対策」の費用も大阪市が負担すること!
恐怖のおまけ:IRは、万博パビリオンと違って、杭は抜かなくていいよな!
 凄い、片務契約です。』

今の時代なら、「仮想空間にパビリオンを建築して、そこを世界中のアバターが訪れる」というスタイルも可能ではないでしょうか。

吉村府知事は、日本中の老朽化した水道管や橋・学校などの補修を放置している現状を、いったいどう考えているのでしょうか。

さて、日本中で(?)話題になっている「ジャニーズ社の会見」を材料に、「会見のあり方」という観点で少し考えてみたいと思います。

次の『日刊ゲンダイデジタル』の立岩陽一郎氏のコラム(こちらもかなり編集しています、すみません)を読んでみてください。

『ジャニーズ会見“1社1問ルール”に「馬鹿げた話」で炎上 私は「めざまし8」でどう発言したのか
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/330185
■ジャニーズが目指そうとしている国際標準から大きく乖離
 では、筆者が実際に10月3日の「めざまし8」でどう発言したのか、そのすべてを書き起こしておく。話し言葉ゆえ、書き起こすと一部意味不明になる点はご容赦いただきたい。
「日本の記者会見ってこうなんですね。二つの側面があって、質問する側は常に糾弾するようになる。記者会見は、誤解ないように言えば、糾弾の場ではない。わからないことを明らかにするということですから、冷静に落ち着いて、相手を非難するではなく、問いをかけて、それに答える。一方で、受ける側も、例えば『1社1問』と言ってますね、これは司会を私の友人の松本(和也)君なので言いづらいんだけども、これは本当に馬鹿げた話。つまりなぜ『1社1問』にするかというと、『皆さんに公平に質問の機会を与えます』と言っていて一見、これは公平に見えるんだけれども、記者会見というのは別に公平にあらゆる人に質問の機会を与える場ではなくて、あらゆる、例えば若狭(勝)さんがさっき言ったようなスピード感、スケジュール感がわからない、こういうことをちゃんときいて答えてもらう場ですよね。であれば、みんなが質問することに重点を置くのではなくて、やはり一人の人が聞いて、その答えが明確でなければ、その人が、『更問い』って我々は言いますけど、更に質問することが無ければ記者会見は成立しないんですよ。でも、日本の記者会見というのは総理会見が顕著ですが、『1社1問でお願いします』とかね。そういう風になっちゃう。でも、それは、これは、次の記者会見の時に、今のジャニーズの皆さんは考えて欲しいんだけど、『1社1問』なんていう問いかけをする記者会見は、ジャニーズがこれから目指そうとしている国際標準から大きく離れている。そんなことをやるのは基本的に日本だけだと思った方が良い」
■ホワイトハウス会見にも「1社1問」などというルールは存在しない
 では、そのアメリカの記者会見ではどうか? あのトランプ大統領でさえ、天敵ともいえたCNNのジム・アコスタ記者を自ら指名している……そして言い合いになって「お前はフェイクニュースだ」と発言したことは世界で報じられている。
 なぜそうなるかというと、「1社1問」などという「ルール」がそもそも存在しないからだ。番組で指摘した通り、質問者が発した質問に一度で正確に答えるケースはどこでも稀だ。だから質問者は不明な点を更に質問して正確な答えを引き出す必要がある。これを「更問い」という。
 例えば、トランプ大統領が就任前の会見である記者の質問を回避して他の記者を指名した際には、その記者は今の記者の質問に答えて欲しいと主張。自ら用意した質問をせずに、前の記者の質問に答えるよう促している。
 つまり、誰が質問するかが重要なのではなく、質問された側が明確に質問に答えることこそが重要だということだ。それがまともな記者会見であり、それが「国際標準」だと考えるのが自然だ。
 ちなみに、アメリカは世界のメディアの中では決して高い評価を得ている国ではない。一つの「国際標準」ではあるが、その最上位は北欧であり、その下に英仏独などの西欧諸国が来て、その下がアメリカだ。つまり「国際標準」の下のグループということになる。
 ジャニーズ事務所の会見と「1社1問」を擁護する人々が大きな発言力を持つこの国は、その「下のグループ」にさえいないことになる。』

立岩氏の指摘を読めば、「会見時間を2時間と勝手に区切った上で、1社1問、更問いもなし」なる一方的なルールを押し付けた「会見」がいかに愚かなものであるかがよくわかります。

そもそも会見とは、問題点を明らかにし解決へ向かうためのものであり、当然、質問者と回答者の両者がその目的に対して真摯に向き合わなければなりません。

しかしながら、「日本の会見」は、立岩氏も指摘していますが、特に安倍政権以降の総理や官房長官の会見を代表に、どんどん歪んできました。

もちろんこの歪みには、「記者クラブの閉鎖性」などのようなマスメディア側の不甲斐なさも大いに責任があると思います。

日本に、「丁々発止の自由な討論」や「実りある対話」が根付く未来はくるのでしょうか。

最後に、『比べない、悩まない「のびのび子育て」応援サイト【nobico/のびこ】』の記事を紹介します。

『「子どもは親の言うことを聞いて当然」は権利侵害? 言ってはいけない子育てのNGワード
https://family.php.co.jp/2023/08/11/post_6991/
■子どもと会話
 子どもが言うことを聞かず、つい怒鳴りつけてしまうという親御さんは多いのではないでしょうか。イライラが制御できず、「誰のおかげで生活できてると思っているの!」と言ってしまうケースも…。しかし2023年4月1日に「こども基本法」が制定さてたいま、「子どもの権利を侵害しない」叱り方について考えてみることが必要です。中山芳一さんが解説します。
※本稿は中山芳一著『「やってはいけない」子育て 非認知能力を育む6歳からの接し方』(日本能率協会マネジメントセンター)から一部抜粋・編集したものです。
■子どもに話すときに上から目線の言い方をしてしまう
【親子のやりとりの一場面① 】
親「お父さんの頃の時代はなぁ、こんな贅沢なんてできなかったんだからな! いまと比べて昔はなぁ、もっとがまんができてた、がまんがな! 目上の人に生意気なことを言ったらな、そりゃ、張り倒されてたぞ!」
子(いまと昔は違うから参考にならないんだよな…)
【親子のやりとりの一場面②】
子「お母さんの言うことなんて聞きたくない!」
親「あなたねぇ! 私のほうが何歳年上だと思ってるの!? 生意気言わないでちゃんと聞きなさい!」
 この2つの場面に共通することが、年上(人生の先輩)であることを前面に出していて、年上の昔話や指示を聞くことが前提になっているという点です。この事例は、言うまでもなく「年上」が邪魔をしてしまっています。
 まず、考えてみてください。どうして、年上の話を年下(特に子ども)が聞くのが当たり前なのでしょう? 社会人同士の関係を考えてみても、年下の上司と年上の部下という関係性なんて、いまとなってはまったくもって珍しくありませんよね。
 もちろん、年上の方を敬うという考え方、それはそれで大切なことですが、それと昔話や指示を聞かされることとは別問題でなければなりません。
 この、年上だからとか大人だからといった過剰な考え方が、従わせる側と従う側という二極化を生み出してしまうわけです
 たしかに、以前であれば年上は敬い、年上の言うことを聞くべきだという暗黙のルールがあったかもしれません。
 しかし、私たちはこの暗黙のルールに決別し、私たちのこれまでの経験の拘束を断ち切るときが訪れたのかもしれないですね。
 年上であれ、年下であれ、一人の人間としては等しく尊重される中で、年上だから言うことを聞くのではなく、言うことを聞いてみたいと思われる一人の人間になりたいものです。
・「年上だから、年下だから」という考え方とは決別する
・年上も年下もお互いに一人の人間として尊重し合う
・話を聞いてもらいたいときは話を聞きたいと思われるような話をしよう』

最後の3点、

・「年上だから、年下だから」という考え方とは決別する
・年上も年下もお互いに一人の人間として尊重し合う
・話を聞いてもらいたいときは話を聞きたいと思われるような話をしよう

には納得しますが、親子のやりとりの一場面として、

親「お父さんの頃の時代はなぁ、こんな贅沢なんてできなかったんだからな! いまと比べて昔はなぁ、もっとがまんができてた、がまんがな! 目上の人に生意気なことを言ったらな、そりゃ、張り倒されてたぞ!」
親「あなたねぇ! 私のほうが何歳年上だと思ってるの!? 生意気言わないでちゃんと聞きなさい!」

という発言例はいかがなものでしょうか。

今どきこんなデリカシーのない発言をするお父さん、お母さんがいるのでしょうか。

筆者が、自分の論を展開するためにこのような(非現実的な)発言を取り上げていることを、みなさんはどうお感じでしょうか。

みなさんのお返事を待って、次回のメルマガで考えてみたいと思います。