木曜日になりました。

3月4日(土)、5日(日)に、NHKで「南海トラフ地震」に関する特別番組が放送されました。

近いうちに必ずくるといわれる「南海トラフ地震」ですし、私自身「阪神淡路大震災」の被災者ですから、たいへん気になっていた番組ですが、その内容はネット上で批判も浴びているようです。

次の『日刊ゲンダイデジタル』の記事を読んでみてください。

『Nスペ「南海トラフ巨大地震」ドラマで原発事故リスク描かずスルー…視聴者から疑念噴出
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/319662
 今月4日、5日に放送された「NHKスペシャル 南海トラフ巨大地震」では、南海トラフ巨大地震の想定される被害と防災対策をドラマとドキュメンタリーの2部構成で描いていた。和歌山県南方沖を震源地とするマグニチュード8.9の巨大地震が発生し、大阪・梅田に津波が襲うシーンや救助や物資の支援が届かない地方の避難所の様子はリアルで、さらに巨大地震の後、時間差でプレート境界が半分ずつ動く「半割れ」が起こるリスクなども取り上げられた。東日本大震災から12年を目前に地震対策の啓蒙となる企画だった一方、Nスぺでは重大な原発事故リスクを描いていなかった。
 これにはネット上でも多くの指摘があった。
《NHKスペシャル 南海トラフ巨大地震 第1部ドラマ 第2部 “最悪のシナリオ″ にどう備えるかは、全体として良質な番組だったと思うが、原発推進を進める政府に気兼ねしたのか、最悪のシナリオでも浜岡原発や伊方原発のリスクに触れていなかったのが いかにもNHKらしかった》
《NHKによると南海トラフ来ても伊方原発も浜岡原発も何の問題もないらしい。原発再稼働が政府の方針だからってこれはない。福島原発事故の被災者なかったことにしてるのですね》
《NHKスペシャルで南海トラフ大地震を想定したドラマをやっていたけど、原発の「げ」の字も出てこなくて笑ったわ。伊方原発なんかもろにダメージを食らうだろうに》
 東日本大震災の翌日、2011年3月12日には東京電力福島第一原発1号機原子炉建屋で水素爆発が起きている。死者・行方不明者のほとんどは津波の被害者だが、福島原発事故によって県民を中心に故郷や財産、そして漁業や畜産農家などは風評被害で職を失うなどいまだに苦しんでいる人が大勢いる。
 想定震源域にある愛媛県西宇和郡伊方町には再稼働中の「伊方原子力発電所3号機」がある。防災ハザードマップ上の南海トラフ地震の被害想定は最大震度6強、最大津波高21mだ。また、南海トラフ地震の後、「半割れ」が起これば愛知や静岡、三重で震度7の東南海地震が想定される。現在は稼働していないが、静岡県御前崎市の予想震源域に「浜岡原発」があるが、ドラマやドキュメンタリーでは「原発」リスクに言及されることはなかった。
 それだけに岸田政権が「原発推進」しているなか、政治的な理由があったのではないか、と疑念を抱いた視聴者が多かったようだ。』

いまや時代遅れの放送法にしがみつく一方で、政権寄りの恣意的な番組制作がみられるNHKです。

今回も、多大な被害を引き起こすとされる「南海トラフ地震」を取り上げながら、原発を維持・推進しようとする国策に忖度したのか、たとえば伊方原発の危険性には触れようともしなかったようです。

これでは、番組を視聴する価値はありません。

最近、次のような『福井新聞』『福島民有新聞』の記事もありました。

全国ニュースで大きく取り上げてしかるべきものだと思いますが、みなさんはご存知ですか。

『高浜原発4号機の自動停止、制御棒落下の可能性 駆動装置に異常か 原子力規制委』
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1722332

『基準値超スズキ出荷停止 県漁連、いわき沖で水揚げの個体』
https://www.minyu-net.com/news/news/FM20230208-756968.php

マスメディアの報道・放送姿勢としては、ほんとうに情けない状況が、特に安倍政権以降ずっと続いています。

さて、話はガラッと変わります。

『東大寺学園文化祭「菁々祭」@9月9日・10日開催@seiseisai_tdj』が、ツイッター上で、次のようなつぶやきをしていました。

『いきなりですが
みなさんの文化祭の思い出をリプや引リツなどで教えてください!』

みなさんも、いろいろ文化祭の思い出はあると思いますので、ぜひリプライしてあげてくださいね。

ということで、誠に勝手ですが、私の文化祭の思い出を少々書いてみたいと思います。

まず、愛知県立高校(俳優の舘ひろしさんの出身校でもあります)時代。

1年生で「下足番」を担当したことを覚えています。

来校される保護者のみなさんや他校の生徒さんたちの靴を預かる仕事ですね。

知らない人たちと出会うのが新鮮で、地味な仕事も楽しくできました。

そこで、憧れのGさん(3年生)と仲良くなれたのは良い思い出です。

Gさんは下級生にも優しく、ほんとうに素敵な女性でした。

次に、東京の私立大学時代。

3年生になってすぐ、仲間で、大学非公認(当たり前!)のお遊びサークル『SAISON』を立ち上げました。

チャッカリ初代会長に就いて、その勢いで、無謀にも大学祭で模擬店を開いてしまいました。

今から40年以上前のことですが、素人ばかりで「クレープ屋さん」を開くことになり、みんなでクレープを焼く練習をしたのを思い出します。

毎日飲んだくれて無頼を気取っていた私は、それまでクレープなど食べたこともなく、料理が得意だった下級生のIくんに頼りきっていました。

そんな素人集団でしたが、Iくんを中心にたくさんの女子学生のみなさんに助けられて、クレープ屋さんは大成功となりました。

10万円近くの利益が出て、サークルのみんな(50人以上の会員がいました)で、楽しい打ち上げができました。

当時は、一人当たり1500円の飲食代を越えると10%の飲食税が加算された時代でしたが、馴染みのお店では、10万円の利益で宴会は十分賄えました。

馬齢を重ねながらも、未だにあの高校時代や大学時代に戻りたいという想いを捨て切れません。

さて、今回もメルマガにいただいたお返事を紹介させていただきます。

『はだしのゲンで思い出しましたが、私の小学校時代の国語の教科書は4年生ぐらいから上下巻あり、羅生門など様々な題材を扱っていた記憶があります。内容がどうこうより、とにかくよく読んで考えさせる教育を受けていた記憶があります。どんな内容であっても子どもたちには受け止める力や考える力が無限にあると思います。そこは大人たちが日常生活で上手に導いていけばいいと思いますが、大人が未熟であり子どもたちも過保護であり、思うようにはいなかい部分ですね。』

私の時代も、国語の教科書に、子どもには少々難しい文章があったように思います。

とはいえ、「教えやすい題材」ばかりの授業でも困りものです。

「難しい内容だからこそ、先生が万全の準備をし丁寧に指導する」、そんな当たり前のことができていないのが今の教育現場なのでしょうか。

子どもたちが正しい価値観を身につけられるように多様な題材を用意すべきなのに、「安直で恣意的な教材で、子どもたちにあまり考えさせない教育」が重宝されているのかもしれません。

『図書館に関して、私も同じ考えです。ここ何年もスタイリッシュだとか、こういった考えに傾倒する人間が増え、本当に大切なことは何か忘れているのだと思います。大学時代の図書館司書課程で実際に図書館を訪れ建築についてのレポートを書きましたが、図書館はどんな人でも使いやすい機能的な場所であるべきで、おしゃれな空間にする必要はありません。知識を与えてくれる本をきちんと収納することに集中すればいいだけの話です。図書館に限った話ではなく、全ての建物が身体が不自由な方たちにも問題なく使えるようなデザインにしてくれたら、と願っています。』

そうですね。

子どもたちが利用する図書館が、「本来の意味・意義」からかけ離れた存在になるのは残念でなりません。

また、私自身目が悪くなってきて、街中や駅構内がいかに不親切か痛感するようになりました。

特に、各所にある階段は厄介なものが多い印象です。

たとえば、最寄りのJRの駅の階段など、段差を示す塗装が分かりにくく、私の目にはほんとうに不親切なものになっています。

あんなところで大きな地震に遭遇したら、急いで移動できる自信がありません。

大阪北部地震の際にグランフロントの非常階段を使用する経験をしましたが、当時のあの非常階段は、すべての段が灰色一色で塗られていてほんとうに難儀しました。

『最近世界中で自己愛、セルフケアという概念ばかりが浸透し、周りを思いやる気持ちに欠けていると思います。自分を大事にすると同時に周りの人のことも大事にしていけばいいだけの話ですが、できていない人間で溢れていますね…残念です。』

人は誰しも、自分や自分の家族が一番可愛いものでしょう。

とはいえ、周りの人たちに対して「謙虚さや真摯さ」を示すのも当たり前のことであり、その種の美徳を大切にしてほしいものです。

さらに、「こんな言動は、人として恥ずかしい」という自省や自制も必要不可欠です。

私は、特に世のエライ人たちが、ますます「恥」を知らなくなっているように感じます。

最後に、次の『東海テレビ』のニュースを読んでみてください。

『コンプラの波”昔話にも押し寄せる…「さるかにばなし」や「ももたろう」の展開が激変 死ぬ描写がNGに
https://www.tokai-tv.com/tokainews/feature/article_20230223_25468
■『さるかにばなし』はハッピーエンドに
 ここ数年よく耳にするようになった『コンプライアンス』という言葉。
 テレビ番組でも以前とは異なる表現が使われる機会が増えてきていますが、ついに絵本の昔話にまでコンプライアンスの波が押し寄せているようです。
 『さるかにばなし』といえば、猿に柿を投げつけられたカニが死んでしまうストーリーとして古くから伝わってきました。
 ところが『死ぬ』という描写がコンプライアンスNGという理由から、今では「一命を取り留める」展開に。
 しかも最後は、カニと猿が仲直りするというハッピーエンドに激変していたのです。
■桃太郎と鬼の争いは平和に解決
 『ももたろう』は、主人公の桃太郎が鬼との激しいバトルを繰り広げ、最後には鬼を打ち負かすストーリーでした。
 しかし、暴力的な描写がコンプライアンスNGとなり、そのうるさい声で鬼をこらしめるというストーリーに変更。
 そして最後には、鬼が桃太郎に対して驚きの行動を見せる結末に。
 時代の流れなのか、昔話の絵本にまでコンプライアンスの波が押し寄せているようです。』

いかがでしょうか。

確かに、よく考えてみると、かなり残酷なストーリー展開の昔話がありますし、『本当は怖いグリム童話』という類の本もたくさんあります。

子どもたちが、その残酷な部分をストレートに受け取ることは避けるべきでしょうが、「親や大人が子どもたちをどうやって守るのか」という本質的な問題かもしれません。

みなさんのお返事を待って、次回のメルマガで考えてみたいと思います。