木曜日になりました。

医療現場では、「インフルエンザより、やっぱり新型コロナが増えている」という状況のようですが、そんな中、次のような記事(『日刊ゲンダイデジタル』)がありました。

『コロナ第8波「対応強化策」巧妙なカラクリ…新たな「2つの宣言」が開店休業ラッシュを招く
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/314401
 “どケチ政権”の本領発揮だ。過去最大規模となりそうな新型コロナウイルス第8波。世界保健機関(WHO)の集計によると、10月31日~11月6日の日本の週間感染者数は前週比42%増の40万1693人で世界最多となった。第8波はまだ入り口。この段階で世界ワーストとは衝撃だ。
 岸田政権は第8波に向けた対応強化策を打ち出したが、巧妙なカラクリがある。
 11日に開かれたコロナ対策分科会で新たな「2つの宣言」が新設された。重症化リスクの高い人が外来医療を受診できないような感染状況では、各都道府県の判断で「対策強化宣言」を出せるようになる。大人数での会食や大規模イベント参加などを控えるよう要請するもので、それでも事態が悪化し、医療全体が逼迫して機能を果たせない状況になると「医療非常事態宣言」も発令できる。外出・移動は必要なものに限り、大幅な出勤抑制、旅行自粛などを求める。
■協力金は支払われない
 コロナ担当を兼務する後藤経済再生相は分科会後、「緊急事態宣言、まん延防止等重点措置は想定しないで対応することが前提だ」と強調。宣言や重点措置のように営業時間短縮は求めないことから、協力金は支払われない。
「第8波は新たな変異株やインフルエンザとの同時流行も懸念され、感染防止策を打たないわけにはいかない。しかし、事業者に営業時間短縮を求めると、補償の問題が生じてしまう。そこで、国民の側に外出自粛を求めることで、協力金を払うことなく、感染を抑制できる“妙案”を捻出したのでしょう。しかも、この難しい判断は都道府県に委ね、国の責任逃れも図っています。“ケチ”“責任回避”といった岸田政権の特徴をよく表している政策だと思います」(経済ジャーナリスト・井上学氏)
 岸田政権は感染対策と経済活動の両立を掲げているが、外出自粛が広がれば、経済活動が停滞するのは必至だ。
「協力金が支払われないため、生きていくために飲食店など事業者は営業せざるを得ない。一方で、感染者数の増加を目のあたりにし、都道府県から外出自粛要請が出されれば、国民はお店に行かなくなり、各地で開店休業が相次ぐのではないか」(井上学氏)
 飲食業や旅行業、宿泊業はようやく通常営業に戻りつつあったのに、今度は政権に見殺し。第8波による感染拡大も心配だが、経済はメタメタにされそうだ。』

「重症化リスクの低い人は、抗原検査キットで検査を行い自宅療養をするという国の対策を受け入れて、前もって検査キットや解熱剤などの準備をしておく」と聞かされて、みなさんはどうお感じでしょうか。

「自分で検査して自宅療養した人」には、国保の保険料を返金してほしいものです。

さて、以前のメルマガでお約束した『翼の翼』(朝比奈あすか著)について書かせていただきます。

母・有泉円佳(ありいずみまどか)と、子・翼(4月から新3年生になる)が、初めて本格的な塾のテスト「全国一斉実力テスト」(略してイッセイ)にチャレンジする場面から始まります。

因みに夫・真治(中学受験経験者で、私立中高一貫校出身)は、中国に単身赴任中です。

円佳が選んだテスト会場は、大手塾「ホールマーク進学塾」(略してエイチ)の、自宅から少し離れた校舎でした(12ページ)。

『(テストを終えて出てきた)息子の様子を見て、つい喉までこみ上げてくる質問を、だけども必死に円佳は堪えた。エイチの加藤(塾講師)に言われた言葉を思い出したのだ。
 ―ーテストを終えて出てきたお子さんに、まっさきに「どうだった?」なんて、訊かないでくださいよ。
 加藤は、テスト時間の一部を使って開かれた保護者説明会でそう言った。
――おや皆さん、わたしのことじゃないわって顔してますけど? いやいや、放っておいたらほぼ全員が訊いてしまうんですよ。今か今かと待ち受けて、出てきた我が子をつかまえるなり、『どうだったの? あら、あんた、こんな問題、なんで間違えたの!? あら、これもできてないじゃないの!』って。
――「どうだった?」と訊かれたら、お子さんは、「よくできた」と答えるものなんです。
――多くのお子さんたちを見てきて、わたしはいつも感じます。ああ、この子たちは、どうにかして親御さんの期待に応えたいのだなあ、と。小学生は、まだそういう時期です。親に反抗してやろう。親に思い知らせてやろう。そんな気持ちはまだありません。皆さんが思う以上に、お子さんたちは純粋です。低学年のうちは、特に。中学受験をすることの意味も分かっていません。この時期に、親御さんが結果ばかりを気にすると、この先の受験勉強は子どもたちにとって、お母さんやお父さんを喜ばせるための努力になってしまいます。それはとても危険なことなんです。
――さあさあ皆さん、お子さんはまだ二年生なんですから。可愛い盛りじゃないですか。はい、気楽に。気楽に。
――皆さん肩の力を抜いてください。こんなテストの結果なんて、どーっでもいいんです。ほんと、どーっでも。
――今日のところは、お休みの日にここにきて、頑張ってテストを受けたことを、全力で褒めてあげてください。だって、小学二年生ですよ。生まれてきてまだ七年、八年のお子さんがちっちゃな手で鉛筆を持って勉強してきたんだから、立派なもんじゃないですか。よく頑張ったねーって、保護者様があったかい心で出迎えてくれると、お子さんたちにとって勉強が、テストが、お母さんお父さんのためのものじゃなく、自分自身で頑張りたいものになるんです。』

テストの帰り道、翼は、国語の問題の元になっている物語を全部読みたいと主張しますが、円佳は、その希望よりもテストの答え合わせを優先し、

「そこのファミレスで自分が書いた答えを忘れないうちに答え合わせをしよう」

と誘います。

テストの結果の方に意識が向いてしまって、読書好きの翼の言葉を真正面から受け止めることはありませんでした。

親心としては分かりますが、初体験のテストからこの対応では、翼くんが可哀相ですよね。

続いて、エイチの加藤から「全国一斉実力テスト」の結果を渡される場面(57ページ)。

『「算数の偏差値57、これはなかなかたいしたものですよ」
 しかしそれを見て、円佳の気持ちは自分でも呆れるくらいに急降下したのである。
 57.1。
 なんだ、そんなものか。
「国語もいいですね。66.8。男の子で、特別な訓練をしていないのに、最初からこれは素晴らしい。本、よく読むんじゃないですか」
「そうですね……昔から本を読むことがすごく好きな子でした……」
「きっと、良い本をたくさん読んできたのでしょうね。お母さまが読み聞かせをしたり、選書したり、大切に育ててきたお子さんなのでしょう」』

最後に加藤は、ダメ押しのように、

『「ご家族でゆっくり話し合ってください。息子さんの意見もよく聞いて、もしも中学受験をしようということになりましたら、どうぞその際は、うちの塾についてもご検討くださるとありがたいです」』

といいますが、円佳の心が中学受験に傾いた大きな分岐点でしょうか。

国語の読解に関しては、男女に関わらず、あまり苦労することなく乗り切ってしまう子どもが一定数います。

どんな受験でも強力な武器となる「国語の素養」で、羨ましい限りですね。

また、ママ友が集まっておしゃべりする場面では(112ページ)、

『「中学受験って、子どもの性格を曲げる気しかしないよね」
「三保ちゃんの妹さんも、小学校で厭な思いしているみたい。お姉ちゃんが柊美(小説内での難関中学の名前)に行ったの、有名じゃん。だけど妹さんはエイチのクラスがそこまで良いわけじゃないんだって。うちは他塾だから、詳しくは知らないんだけど、ほらエイチって、クラスがたくさんあるんでしょ? クラス分けの直後なんて、誰がどのクラスとか探り合いなんだってね」』

というやりとりが描かれていますが、実際にどこでも繰り返されている会話でしょう。

たいへん順調だった翼の受験ロードですが、その後クラス落ちを経験します(131ページ)。

『スマホの中にクラス落ちの発表を見た時、円佳は、大げさではなく、本当にくらくらと目を回したのだった。「難関クラス」……これは、クラス分けのページで、円佳が初めて見る文字だった。四つある「四天王クラス」を飛び越えて、さらにその下まで落ちたのだ。』

わが家もクラス落ちを経験しましたが、そんなときこそ親の対応が重要です。

円佳が、次のように翼を諌める場面もありました(180ページ)。

『「ねえ、つーちゃん」呼びかける息が掠れた。「そういうふうに偏差値で学校を見るの、ママはどうかと思うな」
「なんで?」
「なんでって……学校の価値って偏差値だけじゃないでしょ。校風とか、お友達とか、部活とか。それぞれにいろいろな良いところがあるんだから、もっと視野を広げてほしいの」
「うん」
 自分はこの子に何を求めているのだろうと思った。一ポイントでも上を取るよう強いるその口で、偏差値など見るなと言うのか。』

しかしながら、円佳自身、次第に過熱していきます(174ページ)。

『(4年生の)二学期が始まると、円佳と翼は話し合い、小学校の授業時間の長い日を選んで数日休み「イッセイの全て」に取り組むことにした。さすがのエイチもそこまでは推奨していないが、「入試のつもりで」というならば、そのくらいはやらなきゃいけないような気がした。星波も玄陽も(ともに小説内での難関中学の名前)中学校に小学校からの報告書を提出することはない。もしもその必要がある国公立や大学附属の中学校を受けることになった場合も、欠席日数が問われるのは五年生からなので、この時期に学校を休ませても入試には響かない。単純な話、学校を休めば勉強時間が増える。地名を、川や山の名を、植物の知識を、漢字をひとつでも多く覚えられる。円佳はつきっきりで翼の勉強を見守った。』

「イッセイの全て」とは、最上位の「エスワン」クラスの4年生だけに配られた、本来は小五用のテスト対策冊子で、小説中では、

『いわば半年飛び級したようなものだ。』

と書かれています。

「飛び級」という言葉さえ出てくるほど、円佳は中学受験に前のめりになっています。

「一度走り出したら止まれない」という受験の魔力で、学校も休んでテストに備えています。

この後2人がどうなるのかは、ぜひ本を手に取って読んでみてくださいね。

最後に、次の『プレジデントオンライン』の記事(すみません、かなり編集しています)を読んでみてください。

『大人もひるむ"えげつない長さ"に…中学入試で「1万字の出題文」に耐えられる子の幼少時代
「暗記学習は過去の話」理科も国語も出題文が読み切れないほど長い
https://president.jp/articles/-/62312
■中学受験の理科と国語の出題文が異様に長い
 理科といえば暗記科目と思われがちだ。しかし、近年の入試はいわゆる知識だけを問う一問一答型の問題はほとんど出題されない。かつてから難関校ではその傾向があったが、近年は中堅校でもすっかり見かけなくなった。代わりに増えたのが「思考力」や「記述力」を求める問題だ。入試の中身を「知識」から「思考力」「記述力」へと舵を切った大学入試改革の影響が大きいと考えられる。
■幼い時の「熱中力」が考える力を身に付ける
 幼い子供は好奇心の塊だ。例えば恐竜が好きな子なら、何時間でも夢中になって図鑑を眺めていられる。せっかく本を読むのなら、もっと勉強に役立ちそうな本を読めばいいのに、と親は思ってしまいがちだが、ここはそっと見守ってあげてほしい。なぜなら、この熱中している時間こそ、子供の頭の中は「なぜそうなるのだろう?」「だったらどうなるのだろう?」と思考を巡らせているからだ。
■勉強だけやらされた子は他者の気持ちが理解できない
 国語入試にも変化が出ている。
 ひとつは、理科と同じように長い出題文(物語文・説明文)を出す学校が増えている。例えば、都内では麻布、駒場東邦、海城、神奈川では浅野、聖光学院といった学校は試験時間50~60分の中で8000~1万字近い出題文を出し、解答は選択式ではなく、記述式にするケースも目立つ(参考文献「中学受験ろぐ」)。読むスピードや表現力も問われる。傍線前後を読み返してテクニカルに解く力だけではなく、読み通して全体を俯瞰することを求められている。「結局、この作者は何を言いたいのか」という問いに答える力がより大切になってきたことになる。
■小6に長くて難解な問題を出す理由
 幼い時から、親から「勉強さえしていればいい」と言われ、家のお手伝いをしてこなかったり、自然の遊びを知らなかったり、友達と十分に遊べずに過ごしてきたりと、勉強以外の経験が乏しい。そして、そういう子は中学受験では合格できたとしても、中学に入ってからも大人の指示がなければ動けなかったり、友達との関係をうまく築けなかったりとつまずいてしまうケースが多い。
 そんな子供たちをたくさん見てきた学校は、過熱する今の中学受験に疑問を持ちはじめ、勉強ができるだけでなく、人として魅力のある子に来てほしいと切に願うようになった。
■家庭内の会話が子供を大人にする
 大人でもひるんでしまうような長い問題文を読ませ、自分なりの考えを答えさせる理科入試。同じく長い出題文に加え、小学生には理解が難しい背景の文を読ませる国語入試。
 どちらの入試問題でも共通して言えることは、昨今の中学入試は「こういう問題が出たら、答えはこう」といったパターン学習が通用しにくくなっていることだ。また、塾に通えば身に付くものではなく、幼い時から家庭でどのように過ごしてきたかが問われているように感じる。「中学受験をするから勉強が一番大事」とそれ以外のものを排除するのではなく、中学受験は生活の延長上にあるということをぜひ知っておいてほしい。そんな学校側の思いが伝わってくる。
 長年、中学受験に携わってきた私から見て、昨今の入試問題は非常に良質な問題が多いと感じている。まずは今の中学受験ではどんな問題が出るのか、親御さんに知ってもらいたい。すると、おのずとどんな力が必要になってくるか見えてくるだろう。』

みなさんのお返事を待って、次回のメルマガで考えてみたいと思います。