木曜日になりました。

新型コロナの変異株「オミクロン株」が日本にも徐々に入ってきているようですが、今のところ、他の多くの国のように「感染爆発」状態には至っていません。

ありがたいことですが、一連の受験シーズンが終わるまではまだまだ長く、慎重に毎日を過ごしてください。

今回も、メルマガにいただいたお返事を紹介させていただきます。

『読解力の記事を紹介していただいてありがとうございます。「読書をすることでは解決しない」と「読解力がない子が見ている文章の“景色”」については追加の解説がありましたが、その後の「3つのポイント」についても追加の解説はありますか?』

ありがとうございます。

では、私なりの解釈を書いてみます。

『(1)「分解」する:文章が長いとそれだけで読む気がなくなります。そこで、段落に分けていきますが、番号を入れ、さらに線で区切り、1つの段落以外を紙で隠してしまいます。すると、大量の文章が数行の文だけに見え方が変わります。このように物理的に見える量を減らしてしまいます。これだけで読解力が上がる子どももいます。』

前回のメルマガでも書きましたが、子どもたちにとっては、「意味を考えながら一文を聞き取る」ことだけでもたいへんな作業です。

たとえば、

「タカシは、無表情で通知表を受け取った。」

という文章を聞き取るとします。

呪文のように丸暗記するなら面白くもなんともない文ですが、

①「タカシ」ってどんな漢字を書くのかなあ。ひらがなでいいのかなあ。わからないから、ひとまずカタカナでいいか。

あたりから始まって、

②「通知表を受け取る」ということは、タカシは小学生? それとも、中学生? 高校生?

③これは一学期末の話? それとも二学期末? 三学期末? 明日から夏休みや冬休みが始まるんだから、楽しいはずなのになあ。

④「無表情」なのは、どうしてだろう。通知表に興味がないのかなあ。いつもと変わらない成績だとわかっているからかなあ。親に見せるのがイヤなのかなあ。

などなど、文の内容を考えるとなると、この程度の文でも中身はかなり濃いことがわかりますし、この話がその後どのように展開していくのかも気になるところです。

やはり、しっかり意味を考えながら聞き取る・理解するには、それなりの訓練が必要ですね。

だから最初は短めの一文の理解から始めて、徐々に文章量を増やしていくという丁寧な練習を続けるべきでしょう。

『(2)「強弱」をつける?:活字はすべて一様に並んでいるだけです。つまり、そこには色分けされることもなく、強調されることもなく、早く読む、遅く読むという表示もありません。読解がもともとできる子は、表示がなくても自分でできますが、そうではない子はできません。ですから、それを教えてあげる必要があります。そのためには、大人が自分で読む時にどのように読んでいるのかを声に出して「読み聞かせ」をしてあげます。
「単語を読むのではなく、息継ぎごとに(まとめて)読む」
「早く読む部分と、ゆっくり読む部分を分けて読む」
「軽く流し読みする部分と、重要なので繰り返し読みをする部分に分けて読む」などです。』

ジーニアスの授業では、算数でも国語でも、まず問題文を自分で読んでもらいますが、それだけで内容を理解できるとは限りません。

特に国語の読解では、少しでも理解が進むように「黙読と音読」の両方を取り入れているわけですが、子どもたちにとっては初見の文章ですから、なかなか理解が進まないのは当たり前ですね。

そんなときには、内容に関する質問を受けるとともに、私がその文を読んで聞かせます。

内容が伝わりやすいように、ところどころ区切ったり単語に強弱をつけたりしますが、それは問題文の内容がわかっているからできることですよね。

だから子どもたちにも、

「まず黙読して、わからない言葉がないかなど、少しでも内容の理解を進める」
  ↓
「次に、きちんと読めているのか音読で確認する」

という手順を踏んで、適切でない読み方をしていれば修正します。

お家でも、親子で音読&黙読に励んでください。

『(3)「共通していること」は何か?:最後に、次のことを行ってみてください。1つの段落を読み終わったら、「この段落は(結局、要するに、つまり)何が言いたいのかな?」と問いかけます。「結局? 要するに? つまり?」は文章を理解するための魔法の言葉です。読解ができる子はこれが自問自答できますが、そうではない子はできません。ですから、問いかけてあげることで、意識を「まとめること(抽象化)」に向けてあげます。』

ある程度まとまった量の文章を理解するためには、親や先生からの問いかけが有効です。

最初は、短めの段落でできている文章を読ませて、その後で、

「主人公は、どうしてこんなことをしたのだろう?」
「この男の子は、このときどんな気持ちだと思う?」
「この後、この女の子にはどんなことが起こると思う?」
「この段落で、何度も出てきた言葉は何かな?」
「重要な言葉や表現はどれだと思う?」

などと、いろいろな切り口から問いかけて、どこまで理解できているのか確認してあげるといいですね。

理解が進んでいない場合には、もう一度読み直して内容を一緒に考えてみることになります。

さらに進んだ学習としては、段落ごとに、

「10文字程度で小見出しを作る」
「20字~30字程度で要約文を作る」

という作業も有効です。

また、この記事の最後に、

『これをきっかけに文章を読むことに抵抗がなくなっていけば、やがて読書するようになるかもしれません。ですから、読書をさせることで読解力をつけるのではなく、読解ができるようになってきたから、読書するという流れの方が自然だと思います。以上、何か一つでも参考になれば幸いです。』

とありましたが、まさにその通りだと思います。

ぜひ、親子で取り組んでみてくださいね。

最後に次の『東洋経済オンライン』の記事を読んでみてください。

『日本の子が授業中「座っているだけ」に陥る真因
「置いてけぼり続出」の一斉授業をどうすべきか
https://toyokeizai.net/articles/-/470633
親野 智可等 : 教育評論家 
「わが子が勉強しない。勉強が嫌いで学力がつかない。もっと進んで勉強するようになって欲しい」「いつまでたっても宿題をやらない。さんざん叱られて泣きながらやる」
 こういった悩みを抱えている親御さんは本当に多いです。
 では、なぜ、こういう事態が常態化しているのでしょうか?? その理由と対策についてゼロベースで考えてみたいと思います。
(中略)
 では、どうすればいいのでしょうか。冒頭で書いたように、解決策はカリキュラムを無学年制にして個別最適化の学習に舵を切ることです。つまり、子ども各自の理解度に応じて学習を進めるのです。その点で参考になるのが、無学年制で個別最適化されている公文式、学研教室、すららなどです。
 「○年生ではここからここまで」という学年制の縛りをやめて、個別最適化された学習にすれば、どの子も自分の学力に応じたペースで進められます。ある内容を2、3時間で終了できた子は次に進みます。逆に、理解できない場合は、その内容に何時間かけてもいいわけです。
 ですから、例えば5年生の子でも、6年生や中学生の内容に進んでいくことができます。逆に、5年生の子が4年生やそれ以前の内容を着実に踏み固めながら進んでいってもいいのです。
■家庭学習も個別最適化された内容にできる
 このように個別最適化された学習なら、どの子も自分のペースで少しずつ進めるので、達成感を感じながら楽しく勉強することができます。それによって、学力も確実に向上していきますし、自信もついてきます。一斉授業の中でわけがわからないまま座っているなどという、惨めで無駄な時間はなくなります。
 その延長線上で宿題などの家庭学習も個別最適化された内容になれば、親が「わが子が勉強しない」と嘆くような状況も大いに改善されていきます。
 そして、今やこのような授業が実現できる環境もすでにあるのです。子どもたちは各自タブレットを持っていますし、学校の通信環境もこの数年で一気によくなりました。教材にしても、すでに民間に優秀なソフトが複数ありますから、それを使えばいいのです。もちろん、今後、文部科学省や教科書会社が作っていくことも必要ですが、とりあえずは今ある物を活用すればいいと思います。
 もちろん、すべてタブレットでよいというわけではなく、紙のノートに書いたりすることも必要ですが、基本的にはタブレットの「一対一対応力」を活用して進んでいくということです。
(中略)
 現在も、すでにタブレットを使った授業が行われるようになってきていますが、その使い方は次のように、一斉授業の中で補完的に使う形が一般的です。
▼一斉授業の中で出された問題について自分で調べたり、意見をまとめたりする
▼調べたことや自分の意見を、タブレットを使って発表する
▼練習問題を解く
 もちろんこういった使い方も有効ですが、タブレット本来の能力を十分使っているとは言えません。一斉授業という枠内に止まっている限り、内容を理解できていない子がいても、標準の授業時間数が終われば次に進まなければならないという点は変わらないのです。
(中略)
 世界は多様性を受け入れる方向に向かっています。価値観もそうなってきていますし、ICTの発達で技術的にもそれが可能になっています。「みんな同じでみんないい」時代は終わり、「みんな違ってみんないい」時代になりつつあるのです。それは言い換えると「みんな同じじゃみんなダメ」な時代でもあるのです。』

省略した部分では、「話し合いと授業の場を分ける」ことについても書かれていますので、ぜひ引用元を訪れて全文読んでみてくださいね。

さて、「無学年制で個別最適化された授業」と聞いて、みなさんはどうお感じでしょうか。

上記記事の中に「公文式、学研教室、すらら」などの具体的な名前も挙がっていて若干違和感もありますが、いかがでしょうか。

「みんな同じじゃみんなダメ」という新しい価値観の中で生きていくとなると、自分の子どもがいわゆる「日本型学歴ロード」を外れる可能性もあるわけで、簡単には踏み出せないことかもしれませんね。

それでも、子どもの可能性のためには視野を広げることも必要でしょう。

視野狭窄には陥らないでください。