少々雑談を。

 

今回の『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』は中野の物件紹介でしたが、特に「中野ブロードウェイ」の中を案内して回る映像は感涙ものでした。

私自身中野には住んでいませんが、高円寺はすぐ隣りの駅ですし、「中野ブロードウェイ」の中にあった子ども服・ベビー用品の『ブスジマ(表記は合っているかなあ)』さんには、本当にお世話になりました。
学生に優しいご夫婦(ご主人は元プロ野球選手!)が経営されていて、バーゲンセールのときには、ビラ配りのアルバイトをさせていただきました。
アルバイト代は実働5時間で6千円、さらにお昼とアルバイト終了後の夕方の2食付きだったと記憶しています。
今から40年近く前にこの待遇、貧乏学生にはまさに「救いの神」でした。

 

世の中のお母さま方はNHKの『運命に、似た恋』とTBSの『逃げるは恥だが役に立つ』がおススメのドラマのようですが、またまたオッチャンのノスタルジーにお付き合いいただいて申し訳ありませんでした。

 

さて、今回のメルマガは、「経験を積む、刺激を受ける」についてです。

 

前々回のメルマガで記事を引用させていただいた中の、

 

『知能の発達には後天的な影響が大きく、乳幼児期に十分な栄養を与えられているかどうか、そしてそのころの親とのスキンシップやアイコンタクト、会話などが大切。5歳あたりから10歳くらいまでは多様な経験をさせること、本の読み聞かせや、虫取りなどの自然体験、博物館めぐりなどを通して親子でのコミュニケーションをとるようにするのがいいという。』

 

について、あるお母さまから、

 

「本の読み聞かせも、自然体験も、美術館・博物館巡りも、できる限りしているつもりなのですが、本当に子どものためになっているのでしょうか。特に、あっちに行ったりこっちに行ったり出かけていると、ただ落ち着かないだけのような気もします」

 

というメールをいただきました。

 

子どものためにと思って、家族で、母子で、計画を立ててあちこち出かける様子が目に浮かびます。
きっと、忙しい日常の中、貴重な時間を費やしていることでしょうし、その努力には頭が下がりますが、あと一歩の詰めを欠いているかもしれません。

 

私がまだ、ハートスクエアで、小学校受験の面接を担当していた頃のことですが、子どもたちに、

 

「夏休みの思い出は何ですか?」

 

と尋ねると、はっきり、

 

「○○です」

 

と答えられる子どもは案外少なく、お父さん、お母さんが、

 

「○○したでしょ?」
「○○へ行ったでしょ?」

 

と横から口を挟む光景も、決して珍しいものではありませんでした。

 

また、ジーニアスの授業でも、子どもたちが作文を発表すると、

 

「○○したことがあったのになあ」
「お母さん、いつも○○のことや××のことを話しているのになあ」

 

などなど、愚痴がこぼれることがあります。

 

ことほど左様に、親が思っているほど子どもの頭や心の中に「経験や刺激」は残っていないようです。

子どもに「経験や刺激」を正しい形でインプットさせたいなら、「親子でやりっぱなし、行きっぱなし」も、「子どもにさせっぱなし、任せっぱなし」もダメなんですね。

 

自然体験をしたら、親子で図鑑で調べるなどして体験日記を書き残すとか、美術館や博物館に出かけたら、一緒に資料をまとめておくとか、

 

「経験する・刺激を受ける」

 

 

「落ち着いて情報を整理する」

 

という二段階のステップを踏んで、形に残るようにインプットを完了させる必要があります。

そして、家族や親子の「経験や刺激」を繰り返し共有するとともに、アウトプットする際にすぐに手の届くところに「経験や刺激」を整理しておくことです。

 

「やりっぱなし」では、親の自己満足で終わってしまう可能性があります。

 

アウトプットを意識したインプットこそ本物の体験だということを、肝に銘じておいてくださいね。