阪神大震災は、ライフラインのもろさを露呈した。
これからの神戸の都市づくりは、防災の街づくりのモデルなる都市づくりを提案しなければならない。

例えば、市内いたる所に張り巡らされている上水道のネットワークも市庁舎に保管されている地図が災害でなくなってしまうと、どこに水道管があるのか、ということすら把握できない状態である。

私たちの造り上げてきた『大規模システム』の欠点である。

水源もエネルギー源も、廃棄物のルートもすべて、私たちの目に見えない所にあり、すべてラインによってつながれている。これらをいかに強化しても自然の災害の前には役立たない、ことを前提に考えなければならない。
ラインは強化すればするほどその際限はなくなっていく。

東京都墨田区の雨水利用の第一人者、村瀬誠氏(故人)の言葉を借り手言うならば、この災害を契機に「ライフラインの全面依存からライフポイントの強化へ」と言うことを提案したい。無数のライフポイントがあれば、何ヶ所かそれが破壊されても自立できるシステムである。
私たちの歩いて行ける距離、目に見える大きさ、手で触れられる親しさ、いわば人間の目の高さでつくる、ヒューマンスケールの都市作りに発想を転換することが必要であろう。

具体的には、
・雨水を利用するシステム
・太陽エネルギーを利用するシステム--各家の屋根にシステムを設置
・下水を再利用(中水)するシステム--合併浄化槽等
・都市に発電所の設置--水素エネルギー発電所 等が挙げられる。
本当に今こそ、神戸の街づくりは将来を見据えた「哲学」を持って対処すべきではなかろうか。
・ハイテクノロジーとローテクノロジー
・デジタルシステムとアナログシステム
・ライフラインの強化とライフポイントの強化 お互いのシステムの共存関係を軸とした考え方が必要である。
 逆説的な言い方かもしれないが、本当の意味での「強さ」は「しなやかさ」と同義なのかもしれない。
今回の地震で壊れたもの、倒されたものは、人間の手で人工的に造られたものばかりである。自然の樹は倒れていない、山は崩れていない。
 地震の揺れで死んだ人間はいない。人間の造った建物が倒れて押つぶされ、また火がついて死んだ人はいる。
 事実として、人を救うことができるのは、人だけである。
(1995年3月ごろの考察)
(つづく)