阪神淡路大震災、災害後約1ヵ月がすぎた。
その1ヵ月を振りかえってみて私たちの活動の意味と役割を検証してみたい。

まず感じることだが、1ヵ月過ぎて冷静に見てみると「災害に差別はないが、被害は差別する」という言葉を実感している。お金のある人は、すでに被災から立ち上がり通常の社会活動をしている。逆にお金の無い、または、社会的弱者と言われている、老人、子供、障害者、在日外国人等々はますます苦境にたたされている。

それはこの国や県や市が明確に「誰から助けていくのか」のプライオリティーをもっていないからなのかもしれない。働ける人も、病気の人も十把ひとからげで救済を続けているからだ。明確に何か月後にこうしますのでその時に備えて準備するようにと政治が強いリーダーシップをとり勇気を持って言う必要があるのではないか。

次に避難所に関することだが、避難所も自治がしっかりしているところもたくさんあるのだが、片寄った考え方の人がリーダーになりつつあるところもある。「行政を批判するためだけに、批判をして自らの地位を固める」といった人たちがいる。この避難所生活というのは前提としては必ずいつかは解散しなければならない運命なのだから、リーダーは建設的に集団を解消していくところに避難者を導いて行かなければならないのだ。「避難所王国」を築いて行くことは多くの人を悲劇に追い込んで行くものでしかない。

また、行政側にしてもリアリティのある政策、具対策が欲しい。復旧はもとの仕組システムに戻していくだけだ。この機会に新しい街づくりの提案を行いたいものだ。例えば、新しいパラダイムの街づくり。コンクリートジャングルの都市を市民が選ぶのか、自然がたくさんある都市を選ぶのか?どちらを子どもたちに残してやりたいと考えているのか?市民の声を聞き市民に選択をさせるべきだ。今までの神戸市政は、市民不在の完全な行政主導型であり、そのことが良きにつけ、悪しきにつけ、市民に定着してしまっている。だから、いざ、災害があったときも市民の側としては「行政が何とかしてくれるだろう」という甘えがあった。その幻想も今回見事に打ち砕かれて、自分の生命、財産は基本的には自分で守るしかない。と気付きつつある。

 また、避難者の当面の最も要望の高いものは、住宅関連の問題だろう。現状では、避難者のささやかな希望は仮設住宅に当たることだろう。しかし、その後の長期的な、展望、希望が無いので、目先の要求が充足されたとしても、次の不安が常につきまとう。仮設はあくまでも仮設なのだ。仮設住宅に運よく入れたとしても、その後の生活費はどうなるのか?仕事はあるのか?一年後、仮設住宅を出ても他の住宅へ移れる財力と住宅供給があるのか?そのような言いようの無い不安の無限連鎖が続いている。したがって先程述べたように、政治がリーダーシップをとってこの街の長期的なビジョンを市民に示す必要があるのではないか?もちろん、それは市民が望んでいるものでなければならない。
例えば、倒壊してしまった家屋の処理に困っている市民がいる。その市民の意見の中には自分の土地(私有地)の上のがれきを市に処分して貰ったらそこに、仮設住宅を建ててもらい、自分も優先的に、そこに入れる様にして欲しい。という要望もある。つまりある程度の私権の放棄である。

 また、早く6~7万戸の仮設住宅を造って欲しいという要望も当然のごとくあるが、本当に現実的なプランなのだろうか疑問だ。また市民が自立して生活できるインフラ(生活基盤整備)づくりが必要なのではないのか。例えば復興のための土木作業、建設作業は市外の業者に発注するのではなく、市内の業者を使う。市内の経済的な復興を願うのならば市内の被災者の雇用を促進する必要がある。そうしないといつまでも自立ができない。
もう一つの問題として中小企業対策がある。

 国の方で用意された、低金利の融資の制度があるが、設備等が破壊された会社はその設備を復旧させるために、当然のこととして資金が必要になる。その資金は本来災害が無ければ必要ではないものだったので、復旧のための資金は、政府等に肩がわりして欲しい。つまり、財政の融資ではなく、助成ができないのか?という意見がある。しかし、その問題は私有財産をどう国が保証するのかという問題だ。私は、国家が私有財産の損失補填をすることに対しては疑問と言わざるを得ない。あくまでも国の役割は雇用や事業を興すその機会をつくることだと思う。それをつかむか否かは市民の問題だと思う。(1995年2月17日ごろの考察)

(つづく)