以下の文章は、1995年1月17日、阪神淡路大震災を神戸市東灘区御影町にて被災した、筆者の備忘録的未発表原稿に若干の修正を加えて、19年後の2014年1月に発表することとした。当時は結婚して1年未満、地元選出の衆議院議員の秘書をしていた。
何故、発表しようとしたかは、被災した神戸市民として、震災を風化させないためにも記録を残そうと思ったのが動機。何回かにわけてアップする予定。
第1回【巨大地震発生】
あの日の月は一生忘れない。
あの日というのは、1995年1月17日の月だ。
震災発生日に東灘区から神戸市役所に向かう車の中からみた月が今までに見たことも無い大きさで、不気味なオレンジ色に輝いていた。
21世紀にむけてあと5年、これから困難な日々の連続であろうことを予感させる月だった。
私はあの日の朝、つまり地震があったときは、東灘区御影町の自宅のマンションで眠っていた。妻の道代と一緒だった。突然の大きな揺れで目がさめた。意外と冷静だった。昨晩小さな地震があったのでいやな感じはしていた。道代は叫んでいたらしい。自分は必死で「落ち着け。落ち着け」と叫んでいたらしいが、覚えていなかったので相当あせっていたのだろう。
私たちはマンションの最上階(5階)にすんでいたので、揺れは激しかった。東の方向にマンションが倒れそうな感覚に襲われた。「マンションが倒れたら、命はないな」と以外と冷静に判断している自分に気がついた。ずいぶん長く揺れたように感じたが、揺れるだけ揺れて、何分か後におさまった。家の中は恐らく滅茶苦茶になっているのだろう。電気がつかず被害状況を確認することはできなかった。
とりあえず、マンションのお隣の安否を確認にベランダにでようとしたが、ベランダまでの道のりが想像以上に困難だった。歩くとガラスが割れる音がした。慎重に進んだがそれでも何箇所かはガラスで足を切ってしまった。
何故かベランダの窓の鍵をかけていたにもかかわらず窓が空いており、外気が部屋にはって来た。あらためて揺れのエネルギーに驚いた。
それでも、ようやくベランダにでて「和田さん無事ですか」と大声で叫んだ。「私のところは全員無事です。丸山さんのところは大丈夫ですか」という応答があった。「ありがとうございます。うちは大丈夫です」大原さんのところも無事だったらしい。とりあえずはほっとした。
さて、次はどうするか? 道代は横浜の実家に電話で無事を知らせた。
まだまだ周りは暗かったし、電気もやられている。ここで無理をして歩き回っても怪我をするだけだ。明るくなってから活動しようと思い再び寝床へ入り布団にくるまり明るくなるまでまった。その間にも何度か余震があり恐怖におののいていた。外では狂ったように犬がほえていた。今年はきっといろんな意味で「事件」が多いだろうと思っていたところだ。まさか、神戸に地震があるなんて。多くの神戸市民は同じ思いだったであろう。妻の道代も布団の中で「地震がないから神戸に来たのに…」とつぶやいていた。
(つづく)
何故、発表しようとしたかは、被災した神戸市民として、震災を風化させないためにも記録を残そうと思ったのが動機。何回かにわけてアップする予定。
第1回【巨大地震発生】
あの日の月は一生忘れない。
あの日というのは、1995年1月17日の月だ。
震災発生日に東灘区から神戸市役所に向かう車の中からみた月が今までに見たことも無い大きさで、不気味なオレンジ色に輝いていた。
21世紀にむけてあと5年、これから困難な日々の連続であろうことを予感させる月だった。
私はあの日の朝、つまり地震があったときは、東灘区御影町の自宅のマンションで眠っていた。妻の道代と一緒だった。突然の大きな揺れで目がさめた。意外と冷静だった。昨晩小さな地震があったのでいやな感じはしていた。道代は叫んでいたらしい。自分は必死で「落ち着け。落ち着け」と叫んでいたらしいが、覚えていなかったので相当あせっていたのだろう。
私たちはマンションの最上階(5階)にすんでいたので、揺れは激しかった。東の方向にマンションが倒れそうな感覚に襲われた。「マンションが倒れたら、命はないな」と以外と冷静に判断している自分に気がついた。ずいぶん長く揺れたように感じたが、揺れるだけ揺れて、何分か後におさまった。家の中は恐らく滅茶苦茶になっているのだろう。電気がつかず被害状況を確認することはできなかった。
とりあえず、マンションのお隣の安否を確認にベランダにでようとしたが、ベランダまでの道のりが想像以上に困難だった。歩くとガラスが割れる音がした。慎重に進んだがそれでも何箇所かはガラスで足を切ってしまった。
何故かベランダの窓の鍵をかけていたにもかかわらず窓が空いており、外気が部屋にはって来た。あらためて揺れのエネルギーに驚いた。
それでも、ようやくベランダにでて「和田さん無事ですか」と大声で叫んだ。「私のところは全員無事です。丸山さんのところは大丈夫ですか」という応答があった。「ありがとうございます。うちは大丈夫です」大原さんのところも無事だったらしい。とりあえずはほっとした。
さて、次はどうするか? 道代は横浜の実家に電話で無事を知らせた。
まだまだ周りは暗かったし、電気もやられている。ここで無理をして歩き回っても怪我をするだけだ。明るくなってから活動しようと思い再び寝床へ入り布団にくるまり明るくなるまでまった。その間にも何度か余震があり恐怖におののいていた。外では狂ったように犬がほえていた。今年はきっといろんな意味で「事件」が多いだろうと思っていたところだ。まさか、神戸に地震があるなんて。多くの神戸市民は同じ思いだったであろう。妻の道代も布団の中で「地震がないから神戸に来たのに…」とつぶやいていた。
(つづく)