NPO現代の理論・社会フォーラム2013年3月号に寄稿した報告を転載いたします。
東北の被災現場の復興はどうなっているのか?
~山形県米沢市からの報告~
ボランティア山形
副代表 丸山弘志
【私たちの現状認識】
本日(2013年 3月11日)で、震災から2年が過ぎることとなった。
福島第1原発の事故による避難者約3,600名を抱える、山形県米沢市を中心とする置賜地域。そこを拠点に被災者支援活動を行っている私たちボランティア山形のメンバーの一員として思う事は、現在の状況は「復興」にはほど遠く、「緊急事態」が今もなお継続しているように思われる。つまり現在は「有事」の状態なのだ。
福島第一原発の収束なくしては、東北の復興、日本の再生はあり得ない。
時間が経てば経つ程、避難者の抱える問題は複雑になり、より深くなっている。しかし、その問題は、決してメディアなどでは取り上げられない。
何が問題なのか。一言で言うと「自分たちの未来」が奪われていることから生じる様々な問題が存在することである。そして、それに起因するストレスや健康被害など、更に生活の破綻、離婚、家庭内暴力など、数えきれない問題が福島からの避難者に降り掛かっているのである。
【福島の人たちのジレンマ】
多くの避難者は、放射能の恐怖が原因で避難してきている。だから、今の状態の福島には戻りたくないのが本音だ。しかし、生活のこと、子どもの教育のこと、時間の経過と共に避難生活が耐えられなくなっているのが実態だ。米沢市の避難者も最大約5,000人だったが、今は3,000人を切っている。福島に戻れば被爆の危険性を当然、感じながらも自己の認知的不協和を避けるために、「ここは安全である」と自分に無理に言い聞かせている。そこにまたストレスが発生するのである。ストレスの連鎖は今なお続く。
【福島県民の悲劇】
福島県の知事を始めとする各首長は、住民のリーダーとしての機能は停止し、もはや判断不能の状況なのではないか。先日、福島のとある市の市長が震災後、初めてある地区の住民説明会に出席した。その時に、市民から「もし、この市で暮らしていて、将来、健康被害になった時、市長は(住民に対して)責任をとれるのか?」との質問があった。そこで市長は明確に「責任はとれない」と答えた。行政の長は、平時は官僚システムに支えられ、ルーチンワークに関しては何も問題は起こらない。しかし、有事の際の首長の意思決定は住民の命を左右する。
福島の人たちが幸せに暮らせない限り、日本に真の幸せは訪れないと思う。地震大国、日本にとってどこの自治体も福島の悲劇の二の舞になる可能性を秘めているからだ。
【10円バザーでの悲しい出来事】
私たちボランティア山形は、災害発生当時から、被災地、被災者の支援活動を続けてきた。現在も、避難者の心のケアのための毎週の「お茶会」、月に1度の物資支援の10円バザーを行っている。10円バザーとは、生活必需品をすべて10円で提供している「市」である。米沢市には「自主避難者」と呼ばれる、小さなお子さんを抱えた母子避難者が多い。夫は福島県で働き、週末だけ米沢市に帰って来て、家族とともに週末を過ごす。二重生活による家計の負担も東京電力からの補償金はほとんどないので、どの家庭も生活は楽ではない。
特に乳飲み子を抱えるお母さんたちにとって、粉ミルク、紙おむつなどの消耗品にかかる費用は大変な負担になっている。その負担を解消するために全国の支援者から物資提供してもらい、ボランティア山形が窓口となり、現在までに15回バザーを開催した。毎回、500人~800人ぐらいの避難者が参加するバザーだ。最初の頃は皆、譲り合いの精神があった。しかし、避難が長期化し、先の見えない中、自己防衛のための行動に出る人も少なくない。例えば、紙おむつは数が限りあるので、多くの人に行き渡るようにしたいと私たちは考える。1家族2セットまでというような制限をつける。その瞬間からレジ前で離婚する家族が増えてしまうのだ。つまり、別の家族を装って、1つでも多く購入しようとするのだ。
前回の10円バザーでは、小学生低学年の子どもが、レジまではお母さんと一緒に行動していたが、レジで支払の瞬間、自分も紙おむつを2つ持ち、自分は一人で買物に来たような顔をして並んだ。スタッフが注意すると、その子は、自分は1人でここに来た。あの人は自分の母親ではないと言い張った。非常に後味の悪い瞬間だった。主催する多くの団体はこのような事例に多々遭遇し、支援をやめていくパターンが多い。
【復興に向けた宣言】
米沢市では昨年の3月11日にも、大きな復興祈念式典を行った。総勢1,000名を越える人たちが復興祈念に集った。そして、2年目となる本日の「追悼式」と昨日の「復興のつどい」を行った。
山形県、米沢市をはじめ、米沢市内の企業、NPO、学校、宗教団体、生協などが30団体以上も参加し「東日本大震災復興祈念事業」の実行委員会を組織した。そして、以下がその実行委員会が作成した、宣言文だ。この宣言文に込められた、思いが政府、行政に届き、1日も早い福島第一原発の収束を祈るばかりである。
復 興 に 向 け た 宣 言
15,881人の死者と、未だに見つからない2,676人の行方不明者、そして広範囲にわたる津波被害をもたらした『東日本大震災』。そして、それに続いて発生した、『福島第一原発事故』から、早くも二年の月日が流れました。不幸にして亡くなられた多くの方々に哀悼の意を表します。また、被災された方々の大きな悲しみを、私たちみんなの悲しみとして受け止め、復興のため一生懸命頑張っておられる被災地の方々、原発事故処理のために、日夜、頑張っておられる方々を、同じ東北に住む仲間として心から応援し、一日も早い被災地の復興をお祈りいたします。
今までの二年間、被災地の方々は、想像を超えるさまざまなご苦労を乗り越えながら、復興に向けての取り組みを必死に行ってこられました。しかし、なかなか定まらない復興計画や、膨大な仕事量に、特に小規模の自治体は翻弄されているようです。津波で流された建物の基礎が残ったままで、荒野のような状態の地域も多く、復興は緒についたばかりという状態の地域が多いのが現実です。長く続く仮設住宅での暮らしや生活環境の変化は、じわじわと被災者たちの身体だけではなく心をもむしばみ、病にかかる方も増えていると聞きます。官民一体となって、一日も早い生活再建に取り組むことが必要です。
私たちも、県民として、市民として、被災された方々と手を取り合って、心や身体の健康と、一日も早い生活の安定のために、物心両面での協力を惜しみません。被災地の一日も早い復興と、放射能汚染の不安からの解放を願って、宣言します。
1. 福島第一原発事故処理に全力をあげ、一日も早い事実上の収束を実現させましょう。国民全ての、いや、世界中の人たちが、将来も幸せに生きることのできる、安全な環境、生活の場づくりのために。
2. 二度と原発事故により、私たちが放射能汚染の被害におびえる必要がないようにしましょう。
3. 今、米沢をはじめ置賜地域には、自主避難の方々も含めて、福島県などから約3,700名の方々が移り住んでおられます。多くの方々が、長年住んだ我が家を放棄し、家族がバラバラな二重生活をしなければならないなどという、極めて尋常ではない生活を余儀なくされています。避難された家族のみんなが安心して、心休まる生活ができるよう、私たちはあたたかく受け入れ、悩みを理解し、共に元気にすごせる応援をしていかなければならないと思います。また、多くの方々が、そのような行動をすでに実践されていることも知っています。これからもますます連帯の輪を広げて行きましょう。
元気!希望。光は必ずあるはずだ!
平成25年3月10日
平成24年度 東日本大震災復興祈念事業(米沢会場)実行委員会
東北の被災現場の復興はどうなっているのか?
~山形県米沢市からの報告~
ボランティア山形
副代表 丸山弘志
【私たちの現状認識】
本日(2013年 3月11日)で、震災から2年が過ぎることとなった。
福島第1原発の事故による避難者約3,600名を抱える、山形県米沢市を中心とする置賜地域。そこを拠点に被災者支援活動を行っている私たちボランティア山形のメンバーの一員として思う事は、現在の状況は「復興」にはほど遠く、「緊急事態」が今もなお継続しているように思われる。つまり現在は「有事」の状態なのだ。
福島第一原発の収束なくしては、東北の復興、日本の再生はあり得ない。
時間が経てば経つ程、避難者の抱える問題は複雑になり、より深くなっている。しかし、その問題は、決してメディアなどでは取り上げられない。
何が問題なのか。一言で言うと「自分たちの未来」が奪われていることから生じる様々な問題が存在することである。そして、それに起因するストレスや健康被害など、更に生活の破綻、離婚、家庭内暴力など、数えきれない問題が福島からの避難者に降り掛かっているのである。
【福島の人たちのジレンマ】
多くの避難者は、放射能の恐怖が原因で避難してきている。だから、今の状態の福島には戻りたくないのが本音だ。しかし、生活のこと、子どもの教育のこと、時間の経過と共に避難生活が耐えられなくなっているのが実態だ。米沢市の避難者も最大約5,000人だったが、今は3,000人を切っている。福島に戻れば被爆の危険性を当然、感じながらも自己の認知的不協和を避けるために、「ここは安全である」と自分に無理に言い聞かせている。そこにまたストレスが発生するのである。ストレスの連鎖は今なお続く。
【福島県民の悲劇】
福島県の知事を始めとする各首長は、住民のリーダーとしての機能は停止し、もはや判断不能の状況なのではないか。先日、福島のとある市の市長が震災後、初めてある地区の住民説明会に出席した。その時に、市民から「もし、この市で暮らしていて、将来、健康被害になった時、市長は(住民に対して)責任をとれるのか?」との質問があった。そこで市長は明確に「責任はとれない」と答えた。行政の長は、平時は官僚システムに支えられ、ルーチンワークに関しては何も問題は起こらない。しかし、有事の際の首長の意思決定は住民の命を左右する。
福島の人たちが幸せに暮らせない限り、日本に真の幸せは訪れないと思う。地震大国、日本にとってどこの自治体も福島の悲劇の二の舞になる可能性を秘めているからだ。
【10円バザーでの悲しい出来事】
私たちボランティア山形は、災害発生当時から、被災地、被災者の支援活動を続けてきた。現在も、避難者の心のケアのための毎週の「お茶会」、月に1度の物資支援の10円バザーを行っている。10円バザーとは、生活必需品をすべて10円で提供している「市」である。米沢市には「自主避難者」と呼ばれる、小さなお子さんを抱えた母子避難者が多い。夫は福島県で働き、週末だけ米沢市に帰って来て、家族とともに週末を過ごす。二重生活による家計の負担も東京電力からの補償金はほとんどないので、どの家庭も生活は楽ではない。
特に乳飲み子を抱えるお母さんたちにとって、粉ミルク、紙おむつなどの消耗品にかかる費用は大変な負担になっている。その負担を解消するために全国の支援者から物資提供してもらい、ボランティア山形が窓口となり、現在までに15回バザーを開催した。毎回、500人~800人ぐらいの避難者が参加するバザーだ。最初の頃は皆、譲り合いの精神があった。しかし、避難が長期化し、先の見えない中、自己防衛のための行動に出る人も少なくない。例えば、紙おむつは数が限りあるので、多くの人に行き渡るようにしたいと私たちは考える。1家族2セットまでというような制限をつける。その瞬間からレジ前で離婚する家族が増えてしまうのだ。つまり、別の家族を装って、1つでも多く購入しようとするのだ。
前回の10円バザーでは、小学生低学年の子どもが、レジまではお母さんと一緒に行動していたが、レジで支払の瞬間、自分も紙おむつを2つ持ち、自分は一人で買物に来たような顔をして並んだ。スタッフが注意すると、その子は、自分は1人でここに来た。あの人は自分の母親ではないと言い張った。非常に後味の悪い瞬間だった。主催する多くの団体はこのような事例に多々遭遇し、支援をやめていくパターンが多い。
【復興に向けた宣言】
米沢市では昨年の3月11日にも、大きな復興祈念式典を行った。総勢1,000名を越える人たちが復興祈念に集った。そして、2年目となる本日の「追悼式」と昨日の「復興のつどい」を行った。
山形県、米沢市をはじめ、米沢市内の企業、NPO、学校、宗教団体、生協などが30団体以上も参加し「東日本大震災復興祈念事業」の実行委員会を組織した。そして、以下がその実行委員会が作成した、宣言文だ。この宣言文に込められた、思いが政府、行政に届き、1日も早い福島第一原発の収束を祈るばかりである。
復 興 に 向 け た 宣 言
15,881人の死者と、未だに見つからない2,676人の行方不明者、そして広範囲にわたる津波被害をもたらした『東日本大震災』。そして、それに続いて発生した、『福島第一原発事故』から、早くも二年の月日が流れました。不幸にして亡くなられた多くの方々に哀悼の意を表します。また、被災された方々の大きな悲しみを、私たちみんなの悲しみとして受け止め、復興のため一生懸命頑張っておられる被災地の方々、原発事故処理のために、日夜、頑張っておられる方々を、同じ東北に住む仲間として心から応援し、一日も早い被災地の復興をお祈りいたします。
今までの二年間、被災地の方々は、想像を超えるさまざまなご苦労を乗り越えながら、復興に向けての取り組みを必死に行ってこられました。しかし、なかなか定まらない復興計画や、膨大な仕事量に、特に小規模の自治体は翻弄されているようです。津波で流された建物の基礎が残ったままで、荒野のような状態の地域も多く、復興は緒についたばかりという状態の地域が多いのが現実です。長く続く仮設住宅での暮らしや生活環境の変化は、じわじわと被災者たちの身体だけではなく心をもむしばみ、病にかかる方も増えていると聞きます。官民一体となって、一日も早い生活再建に取り組むことが必要です。
私たちも、県民として、市民として、被災された方々と手を取り合って、心や身体の健康と、一日も早い生活の安定のために、物心両面での協力を惜しみません。被災地の一日も早い復興と、放射能汚染の不安からの解放を願って、宣言します。
1. 福島第一原発事故処理に全力をあげ、一日も早い事実上の収束を実現させましょう。国民全ての、いや、世界中の人たちが、将来も幸せに生きることのできる、安全な環境、生活の場づくりのために。
2. 二度と原発事故により、私たちが放射能汚染の被害におびえる必要がないようにしましょう。
3. 今、米沢をはじめ置賜地域には、自主避難の方々も含めて、福島県などから約3,700名の方々が移り住んでおられます。多くの方々が、長年住んだ我が家を放棄し、家族がバラバラな二重生活をしなければならないなどという、極めて尋常ではない生活を余儀なくされています。避難された家族のみんなが安心して、心休まる生活ができるよう、私たちはあたたかく受け入れ、悩みを理解し、共に元気にすごせる応援をしていかなければならないと思います。また、多くの方々が、そのような行動をすでに実践されていることも知っています。これからもますます連帯の輪を広げて行きましょう。
元気!希望。光は必ずあるはずだ!
平成25年3月10日
平成24年度 東日本大震災復興祈念事業(米沢会場)実行委員会