先日、「モードが違うんだもの」というのを書いてから、ずいぶんとラクになった。

割り切れるようになったよ。

 

ここ6~7年くらい、ずっと夫のことでもやもやイライラしていて。

もともと仲良し夫婦だったはずなのに、だんだん夫に対して「?」が増えていき、最初はちょっとした溝だったものがどんどん広く深くなっていった。

 

 

夫はおしゃべり好きで、話を盛り上げるのもじょうず。

呑んでワイワイやるのが好きな、楽しいひと、という印象である。

 

でもそれは、うまくいっているときのこと。

わたしが夫の世界に歩み寄り、合わせているときのこと。

 

 

夫のおしゃべりは、自分が話し続けるだけで、会話ではない。

ひとの話は聞かず、とにかくずっとしゃべっている。

こちらが話をしても、その話題を自分の話にすり替えて、延々としゃべるのだ。

しゃべらせてさえおけば機嫌がいいので、扱いが簡単とも言えるが、わたしだってときにはしゃべりたい。

 

しかし、夫は興味のないことに対しては、まったく聞かないのだ。

いや、聞かないというより、聞けないのだろう。

こちらが話をしている最中に、もぞもぞ動き出し、視線を泳がせ、もう全身全霊で「そのことに興味がない!」をアピールしてくる。

その様子にわたしは哀しくなって、話す気が失せる。

 

「もういいわ」と早々に話を打ち切ると、ホッとしたような顔をして、再び延々としゃべり出すのだ。

ちなみに夫は、一方的にしゃべっているだけであるというのに、わたしたち夫婦のことを「会話が豊富」だと認識していた。

 

 

また、夫は話を盛る。

しゃべっているうちに楽しくなってくるのだろう、おもしろおかしく脚色して、それに自分でウケている。

ここでひとつ不思議なのだが、こちらが愛想笑いをしていても、つまらなさそうにしていても、夫は平気でしゃべり続けるのだ。

こちらの状態や様子については、おかまいなしなのである。

 

 

それから、夫はいろんな音を出す。

舌打ち、あくび、げっぷ、おなら、咀嚼音、からだを掻く音、息をしゅーしゅー鳴らしてみたり。

そしてそれらがやたらと大きい。生活雑音もうるさい。

あるとき頻繁に舌打ちをするものだから、なにか怒っているのか、不機嫌になるようなことでもあったのかと尋ねてみたら、

「え?なに?」って、逆に不審そうな顔をされた。

自分が舌打ちをしていることすら気づいていないみたい。

 

ちっちっ、うわーあっ、ぐえっぷ、ぶぅー、くちゃくちゃ、ぼりぼり、しゅーしゅー、すべて無意識なんだね。

まるで誰にも気兼ねのいらないひとり暮らしのようだと思う。

わたしは、わたしの存在を無視されているようで哀しい。

 

 

ちょっと困っていることがあって、夫に相談してみたら、

「わかった。そいつを排除すればいいんだろ」って。

いやいや、なんでいきなりそうなるんだろ。

短絡的というか、物騒である。

ふだんは温厚っぽいのに、よくわからないことでキレる。

だから、夫に相談するのはやめたんだ。

 

耳に入れておく必要があると思うときは、結果報告だけするようにしている。

ま、そんなときは、

「ふーん」と、興味なさげに鼻を鳴らすだけだけど。

 

うん。

なんだか虚しい。

 

 

 

そう、わたしは哀しくて虚しかった。

 

わたしの気持ちを汲んでもらえないことに。

わたしの話に共感してもらえないことに。

わたしの存在に興味を持ってもらえないことに。

 

わたしは哀しくて虚しさを感じ続けていたのだ。

 

夫の、無邪気ともいえるトンチンカンぶりに。

 

 

でもね、夫を変えるのは無理なんだろうなあ。

だって、夫はそういうひとだから。

 

 

だから、あきらめた。

そう、「あきらかに」「みとめた」ってことで、なんとかやっていこう。

 

ま、おたがいさまなんだろうし、ね。

 

娘が、ともだちに相談したそうな。

 

「ねえ、わたしって、まわりから浮いてる?」

 

そうしたら、そのともだち、

 

「ううん、だいじょうぶ。キミが浮いているんじゃなくて、まわりが沈んでいるだけだから♡」

 

 

それを聞いて、娘はとってもHAPPYになったとさ。

 

結婚してからはわたし、「夫モード」で生きてきた。

 

もちろん、わたしには「わたしモード」があるのだけれど、結婚して一緒に生活するためには、まず相手を知らねば。

 

ということで、夫のモード(様式、形式、方法)を学び、それに則って生活をしてきた。

かなり夫に合わせていたんだなあ。と、いまになって思う。

そのぶん、夫とわたしの世界は、大きな齟齬もなく、けっこうスムーズにまわっていたよ。

 

 

 

しかし。

しかし、しかし。

そんなわたしたちの世界に、大きく異なるモードを持つものがやってきたのである。

 

そう。

それは、うちの娘。

 

 

生活に赤ん坊が加わるわけだから、いままでと違って当たり前。

小さいんだから、思考や嗜好に違和感があって当たり前。

まだ、幼稚園だから、小学生だから、中学生だから、、、。

 

ま、そのうち成長するにつれて、だんだんこっちモードになっていくだろう。

 

、、、という思惑は、見事にぶった斬られた。

 

 

娘は、確固たる自分のモードを持っている。

自分のコアとなる部分は、決して譲らないし、頑固でさえある。

泣き虫で怖がりのくせに、妙に強いところがある。

 

 

以前はわたし、まだ「モード」という発想がなくて、夫と娘に挟まれ、右往左往していたなあ。

 

夫にチューニングを合わせれば、娘と不協和音が起こり、

娘に合わせれば、夫との間で不協和音が生まれ、

どうしたものやら。

 

夫との仲も、娘との仲も、夫と娘の仲も、ギクシャク。

荒れてたなあ。

とほほ。

 

 

 

 

でもね、それぞれの世界で、それぞれ違ったモノの見かたをし、違った考えかたで、違った感じかたをしているんだなあっていうのを認めたら、いつのまにやら落ち着いた。

 

「基準音」が違うというよりも、やっぱり「モード」が違うんだなあと思う。

 

娘とわたしのモードは似ているけれど、それでも異なるところも多いしね。

 

あ、娘のおかげで、わたしは「夫モード」から引っ剥がされて、「わたしモード」で生きるようになったのかも。

 

 

夫婦だから、家族だから、こうしなきゃいけない。

っていう縛りから、ずいぶん解放された。

 

だって、それぞれ「異モード」なんだもの。

違って当たり前。

 

合わないところは、無理に合わせなくていい。

 

うん。

合うところは、勝手に合うしね。