結婚してからはわたし、「夫モード」で生きてきた。

 

もちろん、わたしには「わたしモード」があるのだけれど、結婚して一緒に生活するためには、まず相手を知らねば。

 

ということで、夫のモード(様式、形式、方法)を学び、それに則って生活をしてきた。

かなり夫に合わせていたんだなあ。と、いまになって思う。

そのぶん、夫とわたしの世界は、大きな齟齬もなく、けっこうスムーズにまわっていたよ。

 

 

 

しかし。

しかし、しかし。

そんなわたしたちの世界に、大きく異なるモードを持つものがやってきたのである。

 

そう。

それは、うちの娘。

 

 

生活に赤ん坊が加わるわけだから、いままでと違って当たり前。

小さいんだから、思考や嗜好に違和感があって当たり前。

まだ、幼稚園だから、小学生だから、中学生だから、、、。

 

ま、そのうち成長するにつれて、だんだんこっちモードになっていくだろう。

 

、、、という思惑は、見事にぶった斬られた。

 

 

娘は、確固たる自分のモードを持っている。

自分のコアとなる部分は、決して譲らないし、頑固でさえある。

泣き虫で怖がりのくせに、妙に強いところがある。

 

 

以前はわたし、まだ「モード」という発想がなくて、夫と娘に挟まれ、右往左往していたなあ。

 

夫にチューニングを合わせれば、娘と不協和音が起こり、

娘に合わせれば、夫との間で不協和音が生まれ、

どうしたものやら。

 

夫との仲も、娘との仲も、夫と娘の仲も、ギクシャク。

荒れてたなあ。

とほほ。

 

 

 

 

でもね、それぞれの世界で、それぞれ違ったモノの見かたをし、違った考えかたで、違った感じかたをしているんだなあっていうのを認めたら、いつのまにやら落ち着いた。

 

「基準音」が違うというよりも、やっぱり「モード」が違うんだなあと思う。

 

娘とわたしのモードは似ているけれど、それでも異なるところも多いしね。

 

あ、娘のおかげで、わたしは「夫モード」から引っ剥がされて、「わたしモード」で生きるようになったのかも。

 

 

夫婦だから、家族だから、こうしなきゃいけない。

っていう縛りから、ずいぶん解放された。

 

だって、それぞれ「異モード」なんだもの。

違って当たり前。

 

合わないところは、無理に合わせなくていい。

 

うん。

合うところは、勝手に合うしね。