先日、『生きるは過程』っていうのを思った。

 

 

そうしたら、引き続きいろいろ浮かんできて。

 

「生まれました。そして、死にました。」

その生まれてから死ぬまでの「過程が人生」で、、、。

 

ということは、

その過程をわたしたちは毎日繰り返している、よね。

 

「生まれました。そして、死にました。」と、

「起きました。そして、寝ました。」は、とても似ている。

 

生まれてから死ぬまでが「人生」なのだから、

起きてから寝るまでも、やっぱり「人生」。

 

だから、今日が「現世」なわけで、、

今日より過去のことは、すべて前世、

今日より未来のことは、すべて来世。

 

 

 

今日のわたしは、朝からせっせと料理をしたよ。

野菜を刻んだり、炒めたり、和えたり、、、。

作り置きできるおかずを、数品こしらえた。

今日のわたしは「料理をする人生」なのだ。

 

というのも、昨日(という前世)のわたしは、「スーパーで食材の買い出しをする人生」を選んでいたので、その食材(カルマ)が現世に持ち越された、というわけ。

 

で、今日(という現世で)作り置きおかずをこしらえたので、明日(という来世)は、食事に関しては多少ラクができる(徳を積める)のではないかしら。

 

と、まあ、輪廻転生(現世の行いが来生に影響する)という考えかたに当て嵌めてみた。

 

 

 

 

人生は選べない。

そう思いがち、、、。

 

でも、さ、

今日をひとつの人生だと考えれば、なんだかいろいろ選べるね。

やらない選択もできるよね。

 

 

わたし、今日の人生の前半は「料理をする人生」をチョイスした。

そして、後半の人生(いまから寝るまでの時間)では、映画を1本、観ようと思う。

 

 

 

まあ、突然、冷蔵庫がぶっ壊れたり、体調を崩して寝込んだりと、想定外のハプニングが起こることもあるけれど、ね。

 

 

 

 

生まれてから死ぬまでの人生も、1日1日の人生が連なっているわけだから。

 

起きるたび(生まれるたび)に、

「今日のわたしの人生、なにしようかなー♪」

って、毎回、「自分の人生」をフレッシュに迎えてもいいんだと思う。

 

「これは、こうだ」

っていう、理解というか捉えかたというか、決めつけというか。

 

いや、ま、確かに、そのひとのなかにおいての「こたえ」は、それなんだろうけど、さ。

 

でも、そもそも「こたえ」だけを求めてたんじゃなくて。

 

 

「あのね、これがね、、、」って言いかけて、

「あー、それね。こうでしょ」って返されて。

 

いや、そうじゃないんだけどなー。

 

 

あのね、これがね、こうなって、それでね、あれがこうなって、そのときこれはこんなふうで、、、。

 

 

あ、そっか。

わたしは過程を楽しみたいんだなぁ。

 

 

 

あははー。

 

そうね。

音楽も、過程を楽しむものだわね。

最初と最後の和音だけ聴いてわかったつもりになる?

時間の短縮ができるからと早送りで聴く?

 

映画や小説なども、あらすじだけを知っていても、それを味わったことにはならないもの。

 

 

 

ひともそうよね。

思いっきり大雑把にまとめたら、みんな同じになるよ。

 

「生まれました。そして、死にました。」

 

そう、みんな同じだわ。

 

 

人生って、過程なんだね。

 

だからときどき面倒くさくなったりもするんだけど。

過程を飛ばして、結論へと行きたくなるときがあるけど。

 

結論は、みんな同じ、「死にました。」だもの、おもしろくない。

 

 

「生まれました」から「死にました」のあいだの過程が「生きている」ってことなんだな。

 

 

その、「それぞれの過程」が「それぞれの人生」で。

同じものはひとつとしてないんだよね。

 

わたしの夢、希望。

 

平和にのんびり暮らしたい。

 

うん。

いま現在、叶っている。

 

今日、この時点で、「平和でのんびり」しているのだから。

 

めっちゃ、最高に幸せだ!

 

 

 

、、、お腹が空いたから、なにか食べよう。