自分に子どもが生まれ、その我が子との関わりの中で、さまざまなことがフラッシュバックするのだけれど。
そのとき思うのが、
(どうして?)
(なんで?)
という疑問。
どうしてお父さんは、あんな態度をとったのだろう?
なんでお母さんは、怒り出したんだろう?
ちゃんと訊いたのに、どうして答えてくれなかったんだろう?
真剣に求めたのに、なんで応えてくれなかったんだろう?
自分に子どもができたからこそ、強くなる疑問。
あ。
もしかしたら、、、。
ふと浮かんだ。
わたしは第一子。
父も母も、初めての我が子を前に、
「この子がちゃんと自立できるよう、しっかり子育てしなければ!」と意気込んだに違いない。
それが親としての責任だと感じ、躍起になって「しつけ」をし、「子どもをコントロール」しようとしたんだろうな。
でも、子どもって、みんな違う。
育児書の通りになんていかないし、成長度合いは違うし、性格も違うし、向き不向きもそれぞれ違う。.
だから戸惑うことばかりなのだけれど、、、。
子育ての仕方は、その子が教えてくれると思うのよ。
うちの場合がまさしくそうで。
(そうされるのは嫌だ!)
(こうされると嬉しい!)
(この味は口に合わない!)
(いまは食べたくない!)
(お腹が空いた!)
(退屈だから遊んで欲しい!)
(いまは自分の時間だから放っておいて!)
などといった意思表現がハッキリしていたので、
「なるほど。そうですか。わかりました」
と、わたしは我が子の子育てを、我が子本人から学んだ。
そう。
こうして子に育てられ、だんだん親っぽくなっていくわけである。
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あ。思い出した。
子どもをあやすひとつとして、にらめっこするときのような変顔をしてみせて、子どもを笑わせようとするのがある。
でも、わたしがこどものころ、おとなのそういった変顔は、笑うどころか恐怖でしかなかった。
そういう顔をされたら、泣き叫んでいたように記憶している。
そして、おとなたちからは、
「せっかく笑わせようとしてあげたのに、可愛げのない子だね」
なんて言われたようだ。
ちなみに、我が子もわたしと同じで、変顔を嫌がった。
だって、そりゃそうでしょ。
変な顔を見せつけられるより、にっこり優しい笑顔のほうが心地いいに決まってるんだもの。
でも、変顔を見て、けらけら笑う子どももいるわけだから、ホントひとそれぞれだ。
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で、考えるに。
わたしの両親は、子育てを頑張ろうとはしたけれど、実際のところ上手くはいかなかった。
なぜならば、それは「世間の常識」といわれるものや「一般的」というものを握りしめ、そのまんま我が子へ適用しようとしたからだ。
平均から、はみだそうとすれば叱り、遅れているとみれば無理にでも引っ張り。
「自立心を養うことが大切」というお題目で甘えを許さず、とにかく子どもを定型発達させることを重要とした。
そうすれば、世間的にもOK。
親としての責任を果たせているとアピールできるし、平均的である、普通であるということに安心したかったのだと思われる。
、、、、もしわたしがそれらに適合するタイプならば、それほどの問題もなく、安定して育ったのかもしれないけれど。
上手くいかなかったね。
結論として。
わたしの両親は、子に育てられてるのが下手だった。
子育てられ下手な両親だった。
ということなのだろう。
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しかし、子どもというのは、凝り固まった概念をぶっ壊してくれる。
いまも、まだまだ学びの途中。
子育てられの、子育ては続く。