いろいろあれこれむかしのこと、特に親との関わりを思い出すのは、フラッシュバックなんだろうね。

 

我が子とのやり取りが、トリガーとなることが多いのよ。

 

 

例えば、、、。

 

「あのね!わたし、リーダーに選ばれたんだよ!」

そう報告する我が子に、

 

「あら、そうなの~?」

と返した途端、わたしの脳内でブワッ!とフラッシュバックが起こる。

 

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「あのね!わたし、リーダーに選ばれたの!」

きちんとできるかどうかの不安を多少は感じつつも、わたしは選出されたことが嬉しくて、晴れやかな顔で親に報告したと思う。

きっと親も喜んでくれると信じて。

 

ところが、返ってきた言葉は、

「また調子に乗って。そんなことを引き受けるんじゃないよ」

「誰でも良かったんじゃないの。嬉しがるなんてバカみたい」

「面倒くさい役目を押し付けられたね」

「なにかあったときは責任を取らされるんでしょ。あんたに責任なんて取れるわけないんだから、やめておきなさい」

 

、、、心がしぼむ。

はりきっていた気持ちがぺしゃんこになる。

そして、どうせわたしなんてという思いがどんどん膨らむ。

もしうまくできなかったらという不安が重くのしかかり、わたしを潰しにかかる。

 

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といったことが展開し、不快さと苦痛を再体験。

 

こういうことがよく起こるのだ。

 

 

 

でもね、ということは、わたし、ちゃんとしっかり親の言うことを聴いていたってことだわ。

ずっと覚えているくらい、記憶に刻み込まれているんだもの。

 

親からは、

「あんたはちっとも言うことを聞かない」

って怒られていたけれど、、、。

 

それは違うね。

うん、違う。

わたしはちゃんとしっかり親の言うことを聴いていたよ。

 

わたし、とってもピュアで素直な、いい子だったね。

うん。

まぎれもなく、そう思う。

 

 

 

あのときのわたしに言ってやりたい。

あのときのわたしが欲していた言葉を。

 

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「あらー、代表に選ばれたの?おめでとう!」

「それは嬉しいねえ。認めてもらえてるってことよねー」

「ますますヤル気が出てくるねー」

「あ、だけど、代表だからって、ひとりでぜんぶ抱え込まなくていいのよー。っていうか、代表だからこそ、みんなに相談して、みんなで手分けしてね。それぞれが得意なことをやれるように振り分けるのが代表の仕事だからねー」

「ありがとうっていっぱい言えたら嬉しいねー」

 

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そう我が子に言った。

 

我が子が誇らしげに、にっこり笑う。

その姿に重なって、あのときのわたしも顔を上げてにっこり笑った。

 

 

 

こんなふうに、フラッシュバックも糧にできることがある。

 

通じないものは、しかたない、よね。

感覚的なことって、わからないものは、いくら説明したってわからないんだもの。

 

寂しさだけが募るのよ。

孤独感にさいなまれるのよ。

 

だからもう、わかってもらおうなんて期待しなくなったし、とにかく放っておいてくれたらそれで良かった。

 

そして、もう終わったと思ってた。

 

終わったと思ってたんだけど。

 

いざ自分に子どもができてみると、あれこれいろいろ思い出すのよ、むかしのことなのにね。

 

我が子が幼稚園に通うようになったときは、自分が幼稚園児だったころのこと。

小学校に上がれば、小学生だったころのこと。

中学生、高校生、大学生、成人式、、。

 

我が子の成長とともに、それに合わせ、当時の自分を取り巻いていた事象がフラッシュバックする。

 

 

そして、その成長段階に応じて、わたしが親に求めた「理解と感情の共有」を、我が子がわたしに求めてくる。

 

そう、それでまた思い出すのだ。

理解されず、感情を共有してもらえなかった寂しさや哀しさや無力感を。

 

 

だからこそ、わたしは我が子の感情に寄り添いたいし、できる限り受けとめたいとも思うようになったのだけれど。

 

その反面、わたしは親に受けとめてもらえなかったのに、この子はずるい。と、我が子に嫉妬の感情が芽生えたこともあったな。

 

 

 

でも。

しかたないよね。

 

「あなたの言っていることがわからない」

って、実際、母親に言われたし。

「感受性が強すぎるんだろうけど、それにしても気にしすぎだ。そんなことでは生きていけない」

って、突き放されたし。

 

うん。

しかたないね。

 

 

 

 

そうそう。

うちの子にも、同じことを言ってくれたよね。

 

「なんでそんな小さなことを気にするの」

「ゴチャゴチャ言わないで、やることやりなさい」

「おばあちゃん、あなたの言ってる意味がわからないわ」

 

 

きっと種族が別なんだと思うよ。

 

血の繋がりはあるんだろうけど、違う種族なんだよ。

 

 

だからさ、わかり合えないのは、しかたないよ。

どっちも悪くない。

 

わかり合えない。っていうのを、わかっていればいいよね。

 

さて。

いろんな「とき」を経て、いまここにいるのだけれど。

 

これからの10年間は、わたしにとって大きな変化の起きる「とき」だと思う。

 

 

◆それぞれ80代となったわたしの両親。

かなりの確率で、この10年の間に、ふたりとのお別れが来る。

 

現在、父は認知症が進行し、その介護をしている母。

父には施設に入ってもらったほうがいいと思うのだが、父の性格上なかなか難しいようで、いまもってこれはペンディング案件。

(施設入所に関しては、弟に丸投げさせてもらった。)

 

 

◆未知数である我が娘。

いまは大学生だけれど、近い将来、社会人となる。

 

どんな仕事をするのか、どこかに勤務するのか、フリーランスなのか、それともフリーターになるのか、、、。

もしかしたら結婚するかもしれないし、子ども(わたしにとっての孫)ができるかもしれない。

 

 

◆夫と仕事

60代の夫。

カラダとアタマが動くうちは働くと言っているので、まだまだ生きがいである仕事を手放すとは思えないが、先のことはわからない。

 

結婚と同時に事務所を立ち上げ、わたしは経理事務というカタチで関わり、いまに至る。

COVID-19の影響で世界情勢が大きく変化し、うちの仕事も大打撃を受けた。

今後、どのように変遷していくのだろう。

 

 

◆わたしの今後

この10年間で、わたしは50代半ばから60代半ばへと。

 

閉経から数年が経ち、更年期の期間も終わったようで、ちょっとひと息といったところ。

日々、自分の「老い」を実感しつつ、それでも「まだまだこれから」という気持ちもあり、はてさてどうしたものか、、、。

 

 

 

 

と、思いつくままつらつらと書いてみた。

 

 

これからの10年間。

 

生きてみよう。

生きてみたい。