この出来事のあと、
自宅に戻ってから、母にメールをしておいた。
いただいたものに関してのお礼と、
「あのあと暴力や暴言などありませんでしたか?」と。
母からの返信には、せっかく来てくれたのに嫌な気持ちにさせてしまって申し訳ないということが書かれてあり、
「あなたが帰ったあと、お父さんね、椅子に座って、穏やかな顔でうたた寝を始めたのよ」と。
そっか。
もうその時点で、わたしが訪ねたこと、わたしを威嚇し吠えたこと、くどくど説教したこと、、、これらすべて父のなかから消失していったんだろうな。
まあ、わたしのことは、もとより認識していなかったが。
母は、
「お父さんのこと、腹が立ったりもするんだけど、病気だから仕方ないよね。気の毒にも思うし」と言う。
でもね、父が病気のために性格が変わったとは、わたしにはまったく感じられないのよ。
認知症を発症する以前から、わたしへの対応は、多少の差はあれ、いつもあんな感じだったから。
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振り返ってみても、ふだんほとんど会話をしたことがないのだが、親戚などが集まった際は、それなりに仲良くうまくやっているふうを装いたい父。
なので、その席にはわたしも呼ばれる。
よそいきの仮面をつけた父が、常識人ぶる。
当たり障りなく、表面的な内容のない話で、場をつなごうとする。
しかし、その内容には???が多い。
「え? どういうこと?」
「でも、それって違うよね」
オトナな会話の出来ないこどものわたしは、素直に思ったことを口に出す。
すると、いままで顔に貼り付けていた微笑みの仮面をパッと消し、ものすごい形相で睨みつけ、わたしを黙らせようとする。
小さいころから何度もこういうことが繰り返されたので、わたしは慣れてしまった。
よそを向いているときの父は、笑ってる。
わたしのほうを向いたときの父は、目を吊り上げ口角をピクピク震わせ怒ってる。
それが常態。
父自身も、パブロフの犬しかりで、いつしかわたしの顔を見ればそういう反応が自動的に起こるようになっていった。
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思うに、父は過度の「心配性」「考えすぎ」という特性を持っていた。
それは性格という域を超えており、「症」もしくは「障害」のレベルだったのではないかと。
父は、それを押し隠すために多大なるエネルギーを使い、「常識のあるひと」「ちゃんとしたひと」というのを演じ続けた。
それは、他人のみならず、自分自身をも騙す勢いで、必死だったのかもしれない。
だけど、こどもって見抜いてしまうんよね。
で、親のほうも、「もしかしたら、こどもに見抜かれているかもしれない」って感じてしまうんよね。
「逃げ」「甘え」を極端に嫌悪し、「歯を食いしばって耐える」という表現が好きで、「迷惑」をかけるのもかけられるのもできるだけ避けようとし、「責任」という単語を多用するくせに責任を引き受けるのを嫌がり、、、。
自分がひた隠しにしていることを、いとも簡単に暴こうとする「存在」って、そりゃ恐怖だわ。
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お父さん、おめでとう。
よかったね、わたしの「存在」を消すことが出来て。
あなたのなかからわたしが消えたと知ったとき、わたしはものすごい解放感を味わったのだけど、あなたもそうなのかもしれないね。
親子の縁ってなかなか切れないって聞くけど、ようやくその縛りから逃れられたわけだ。
お母さんといるときは、「ふつう」に「穏やか」だそうなので、、、残された時間をゆっくりお過ごしください。
もうわたしは、あなたに関わることもないでしょう。
よって脅かすこともないので、どうぞ安心してくださいね。
まあ顔を見せたところで、すでにわたしの存在は消えているので大丈夫だとは思いますが。
あ、でも。
わたしについての記憶は消えても、恐怖の感覚だけは残っているのか、、。
わたしを見たとき、娘であるという認識はなくとも、その「存在」を察知し、忌まわしき感覚がぶわっと溢れ出たんだろうな。
そして、「パブロフの犬」が発動。
だから吠えて威嚇して遠ざけようとしたんだろうなあ。
うーん。
困ったもんだ。
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、、、最後にひとつ。
お父さん。
お父さんにとって、わたしってなんだったんでしょうね。
ま、いまとなっては、詮無いことだわね。