この続き。

 

 

 

こどもって、父親や母親の言うことを、ホント真に受けるというか、受け取ってしまうというか、脳に刻みつけてしまうんよね。

そして、その呪縛から、なかなか逃れられない。

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父親や母親からしたら、他愛のない日常会話としての言葉だったかもしれない。
悪意はなかったかもしれないし、あったこともあるかもしれない。
よかれと思っての発言だったかもしれない。


そんな親の都合による勝手な発言に振り回され、支配されてきたのかと思うと、、、。

ものすごく腹が立ったし、悔しかったし、情けなかった。

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なんで、「違う」「嫌だ」って言えなかったんだろう。

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うん。

でもね、拒否できなくて当たり前なんだよね。

こどもは語彙数も少ないし、経験値も低いし、経済力もないし、反論する力を持たない。

そして、こどもは親が大好きなんだもの。

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自分を作った偉大なる父と母。
本能的にも大好きになるし、尊敬もする。

そんな父母から言われたことを鵜呑みにするのは、当然のこと。

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だけどね。
父親も母親も、ふつうのひとなんだよね。

初めての子育てで戸惑うことばかりだったかもしれないし、寝不足で不機嫌になったのかもしれないし、不機嫌な顔をしていたのはわたし以外のことでなにか嫌なことがあったのかもしれないし。

また、誰だって得意なこともあれば苦手なこともある、、、。



うん。
父親であろうと母親であろうと、ふつうのひと。
 

それでも、こどもの目には「すっごいひと」に映るんだよな。

 

 

だから、親の声は、親の言葉は、それがわたしに合っているのかどうかなんて関係なく、脳にも心にも刻み込まれるんだ。

 

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もういいや。

 

得体のしれない呪いの声の正体もわかったし。

 

それらの言葉が意味するところを、どのように解釈するかは、わたしの自由だし。

 

わたしに向けてたくさんの言葉を発していたあのころの父親や母親より、いまのわたしは年上だし。

 

親と子であっても、考えかたも趣味嗜好も違う、別個の人間だし。

 

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あのひとたち、なんであんなことを言ったんだろう。

いつも一方的だったな。

 

こどもであるわたしの気持ちを考えたり、理解しようとしたり、受けとめたり、応援する気持ちはなかったんだろうか。

 

って思ったりもしたけれど、きっとあれがあのひとたちの精一杯だったんだろう。

 

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さんざん言われた「調子に乗るな!」だけれども。

 

わたしはこれからも調子に乗って、自分がしあわせだと感じる人生を選んでいきます。

 

選んで、生きていきます。