私は考え過ぎる傾向がある様です
これは本質的に私は思考する事に向いていないからでしょう
だから今回も考え過ぎかも知れません(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
ある日いつものように部下たちの議論に巻き込まれ
「私は決して自分を誇らない」と言ったとき
部下たちは流石に驚いた顔をされましたΣ(@@;)![あせる](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
しかも暫く沈黙が続いた( ̄‥ ̄;)そこまでか![むかっ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/034.gif)
言葉を無くしているとはこう言う状態なのだと思いましたよ( ̄‥ ̄)=3 フン
どうやら私には似合わない言葉のようです
まぁ偉そうに見えるからそう見えても仕方が無いのですが
私が最も気をつけている所です
この理由を話す前にまず「強いて謙虚になろうとしない」について
話す必要があります
私は基本的に良い意味でも悪い意味でも目立つようです(=◇=;)
そして偉そうに見える為
謙虚さを重視している方から責められたりします
ぼっち時代に人から攻められる事には慣れているから![ゲッソリ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/041.png)
冷静に相手を観察する癖がついています
謙虚さを強いているその人の生き方によって
その人は他者にも謙虚であることを求めるようになっていると感じました
必然的に謙虚でない人間を侮蔑したり、しなくても見下している
見下されることにも慣れているし、その感情には極めて敏感に反応するようになりました
ただいちいちそのことで腹を立てたりもしなくなっている事に最近気が付きました
その感情をいろんな人から向けられていると、これも慣れるようです(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
そこでもう少し冷静に相手を観察して考察する余裕も出来ます
私が気がついた事は
まず他者に謙虚さを求めたり追求した時点で自分の謙虚な姿勢は崩壊している
その事にその人は気がついていない様子です
寧ろ相手に謙虚さを諭す立派な行為だと勘違いしているように感じられます
それは自分の価値観を相手に押し付けている事と同義なのに
しかし強いて謙虚に生きようとしているが故に
謙虚でない人間を見下したり許せなくなるのも自然な事です(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
腹を立てる事でもない( ̄‥ ̄)=3 フン
謙虚さや素直さは自分を成長させるのに強力な武器になります
でずか、本質的に自分を成長させるのは
成長しようとする意志です
あらゆるモノから何かを学び少しでも自分を成長させようとする姿勢と心が
自分を成長させると思います
謙虚さや素直さを持っていることは有利になりますが
絶対に必要不可欠かと言えば、そうとも思えません¢( ・・)ノ゜ポイ
これは個性に関わるモノです
DNAでは人間の基本はほとんど同じで個性は1%に過ぎないという説がありますが
この1%を軽く見ない方が良いと思います
その時点で論理的スコトーマが生まれていることに気が付き難い
1%を無視して論理を構築すると、それが蟻の一穴となってその論理は崩壊する
或いは歪んで行きます
人間と猿のDMAは99%同じだと言われています
違いはたった1%ですが同じでしょうか?
脳の容量の違いと解く人もいますがそれだけでは無いと私は見ています
DNAにおける1%の違いはそれだけ大きいのです
そして謙虚さや素直さに向かない個性も少数派ながら一定数生まれてきます
一定数生まれてくる個性はその種族にとって必要だからだと判断出来ます
そうでなければ淘汰されるでしょう
この少数派をイレギュラーだと捉えている人もいますが
私は違う可能性を見ています
とは言えマイノリティを重視することは社会全体を崩壊させる可能性があります
多様性とはマイノリティを重視することではありません(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
何故少数派なのかを考察すれば
多数派になれば不具合が発生する可能性が高いから一定数を超えない¢( ・・)ノ゜ポイ
マジョリティの意味と向き合えば
マイノリティを尊重はしても重視すべきではない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
そのことを自覚しています
では何故こんな個性が一定数生まれるのか
太平の世の中、平坦な時代では迷惑でしかない存在ですが
今知られているだけの歴史を見ても平坦な時代だけではないようです
時代が変わる転換期も存在していて、そう言う時この少数派が活躍しています
だから迷惑だからと絶滅をさせては、転換期により多くの犠牲者を生み出してしまう
その可能性がかなり高いと思います
なので謙虚さと素直さを重視する考え方は正しい
ですがそれが全てでは無い(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
さて、この謙虚さを自分に強いる事の危険性は先に述べた通りです
私は謙虚さを強いるより、大自然の雄大さに目を向ければ自然と謙虚になって行く
これにヒントがあります
或いは私のようなタイプにはその方が合っているのかも知れません
謙虚さや素直さと程遠い個性をしているから
その私が謙虚にならざるを得ない事に気がついたのは
他力の存在です
他力については少し前に記事に書きました
私たちは他力の中で生きています:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜:。+゜
私は孫悟空が觔斗雲に乗ってどんなに遠くに行ってもお釈迦様の掌の上だった
という感覚になりました(=◇=;)
同時に他力の恵みによってさらに次の可能性を目指せますヾ(@^(∞)^@)ノ
1%の重要性を話しましたが
エジソンも天才とは1%の閃きと99%の努力と言っています
これはどんなに努力しても1%の閃きがなければ成立しないと言う事です
ですが、実はこの二つは両翼です一方が欠落しても空を飛ぶ事は出来ない
つまりどちらも同等に必要不可欠なモノだと私は捉えています
どちらが必要かなどと二元論、二者択一に捉えて仕舞えば
結局本質に辿り着けません(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
つまり謙虚であること素直であることが正解でそれ以外は間違い
という考え方は偏っている¢( ・・)ノ゜ポイ
謙虚さを強いてしまえば無理が来てそれ以外を排除するように心が歪んでしまう
私のようなタイプは特に他力の恵みに触れる必要があります
そうすることで自然に謙虚な姿勢になるようにして行けます
そして謙虚でない人に対しても腹を立てたりしない¢( ・・)ノ゜ポイ
私に対して悪がらみしてこない限りは
しかし悪がらみして来た相手に対してのみ
「心の縮こまった小さい人間になっているぞ」と直接相手には伝えますが( ̄へ  ̄ 凸
その言葉そのまま自分に跳ね返って来るのですよね(;¬д¬)
では私のように素直さに向いていない性質が強い個性が素直さが必要な場合
素直さを自分に強いても逆効果になります場合によっては心が歪みます
そこで一番効果的なのは、心底素直な性質の個性の子と出来るだけ接することで
ミラーリング効果を狙うのが良さそうです
天然系の友人は驚くほど素直な性質を持っていますエッ∑(`・д・´ノ)ノ
彼女といると相当影響されて私ですら素直な気持ちになります
素直さを誰かに強要したければ、心底自分が素直な人間になるのが一番効果的です
理屈で捩じ伏せてもその人のブラスになるとは限らない(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
100%相手に影響を与えようとしないで素直な生き方をしていれば
素直さに不向きな人間ですら影響されてしまう恐るべき影響力があります(((゜д゜;)))
相手を変えてやろうという下心の無い
心底素直な人間は恐るべしです♪~<(ФεФ;)>
それと私は謙虚な態度や謙虚であろうとするよりも
謙虚な姿勢を持つことを重視しています
それは誰からでも何かを学ぶ姿勢を持つ事です
年下だからとか後輩だからとか新入社員だからという色眼鏡を捨てれば
誰からでも学ぶことが出来ます
先輩だから教えなきゃならない新入社員を指導してやらなければならない
という固定観念を捨てて新入社員からでも何かを学ぼうとする姿勢を持てば
気付かされることは結構多いものです
私は指導を任された後輩たちに対して自分のスタイルを崩さず
しかし後輩たちから学ぶ姿勢を持ち、そのスタンスで接しました
新入社員は特にまだ会社に慣れていないため新鮮な捉え方で見ている
率直な意見を聞く事で、慣れていて気が付かない事に気付かされます
この姿勢でいると自然に謙虚な姿勢は身について習慣化できます
私の最大の強みであり、また弱点であるのは
自分の考えを絶対的に信じてしまうところにあります
つまり「私は神だ、私に従えば間違いない」という感覚になり易いのです
だからそういう姿勢を持っている人の
「これはこう言うものだ」という言い切りに対して
強烈な反発心を抱いて、違う可能性を懸命に探すようになります
不思議な事に
今までそれを探して見つからなかったことはありません¢( ・・)ノ゜ポイ
しかしこの性質は自分の心を育てるのに障害になってしまいます
夢を実現するとか、やりたい事を果たす目標達成においては
信念を貫き通せる性質なので強い武器になりますが
私の人生の目的である自分の心を育てることに関しては障壁になってしまいます
そこで軸を変えることで違う働きをさせるという荒技をしました
それが「自分を誇らない」事です( ̄‥ ̄)=3 フン
これには謙虚な姿勢と素直さも必須になってきます
謙虚な態度ではありません謙虚な姿勢を持つ事です
素直さは友人の力を借りています♪~<(ФεФ;)>
自分を誇る事と自己肯定感は別物です(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
私が誇るべきものは私自身ではなく
私の生き方と足跡です
これはそのまま自分の足跡に責任を持つと言うことにもなります
足跡に責任を持つと言うことは、その原因に責任を持つと言う事です
私の足跡の原因が何なのかは、言わずもがなでしょう
私のようなタイプが自分を誇り出すと、私は神だと言うところまで行ってしまいます
ブランドの会社の社員の中で
社名にプライドを持つ社員と商品のクオリティにプライドを持つ社員とでは
大きく違ってきます
前者の社員が増えるとその会社は傾くでしょう(=◇=;)
後者のプライドの持ち方である以上商品は劣化しない
前者は自尊心を肥大化させてしまうだけです(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
プライドの持ち方によって心の状態やその後の動きは変わって行きます
何に対して誇りを持つかは大切です
自分を誇らないで自分の足跡に誇りを持つ為には
日々懸命に生きる必要があります
これは人格、人間性を重視しない生き方と繋がっています
元々の人間性よりその人が何を考えてどのように生きているか
行動、所作からその人の生き方や考え方を探り出す
その人が自分自身を誇っているのか
それとも自分の生き方に誇りを持って懸命に生きているのか
この違いは大きい
自分を誇ると事と自己肯定感とはまるで別物です
本物の自己肯定は今の私をありのまま認めることだけではありません
自分の未来を信じてあげる事です、自分の可能性を如何に伸ばして行くか
その努力を怠らなければ、自分の可能性を信じ続けることが出来ます
しかし自分を誇ってしまうと自尊心ばかりが肥大化してしまいます(=◇=;)
少なくとも私のようなタイプはそのようにしか作用しないようです
自分を誇っている人がどのような動きをするのか
やがてどのような所へ辿り着くのか
これはその人の個性によって違ってきます
少なくとも私のような個性をしている人にとっては
自分にとってプラスにはならないことを体験で学びました(。-ω-。)ノ ・゚゚・。ポイッ
もちろん自分を誇っているフリをしてしている人はまた違った結果に辿り着きます
私の人生の目的の一つは自分の心を育てる事なので
今の私を誇るより自分の可能性を広げる道を歩き出すことを選択します
それに他力の慈愛の深さに触れると自然に感謝と畏敬の念が湧いてきて
謙虚な姿勢になってきます( ̄_ ̄ i)
そこまで話すと部下の一人が
「全然謙虚になってないじゃない、めっちゃ偉そうだし」
なんて絶妙なタイミングで言ったものだから
奴らの笑いの火山が噴火しやがりましたヾ(。`Д´。)ノ![むかっ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/034.gif)
「それは謙虚な態度の問題だろ、私の言っているのは姿勢だ」![むかっ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/034.gif)
私の抗議の言葉は奴らの私の声にかき消されました
ちーん
態度と姿勢の違いについてもっと話す必要を感じました(=◇=;)![汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
まる☆
追伸
昨日は安倍晋三元総理の三回忌でした
それに関しての記事を書いていましたが
日本にとって本当に痛手であることを改めて感じました
かなり暗い内容になったため
このブログには合わないと考えて公開は控えました
このように公開していない記事は毎月結構生まれてきます(=◇=;)![あせる](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
公開していない記事の方が多い月もあります( ;゚─゚)ゴクリ