1987年からTEEの後継としてはじまったユーロシティの歴史を振り返っていく企画を立ち上げました。ドイツから取り寄せた、Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegendenの翻訳を通じて、ユーロシティーの一端を知る、文字通り「備忘録」としたいと思います。

 

まとめの対象ですが、前述の書籍内では1987〜1993年の間に運転開始されたユーロシティを扱っており、その中の列車名ごとに歴史や仕様がまとめられているページとします。書籍の紹介順に倣って、53回目は、アルフレッド・ノーベル号を取り上げます。

EC Alfred Nobel

(以下原文訳、一部表現、短縮名称等をブログ筆者で補足)

アルフレッド・ベルンハルト・ノーベル(1833~1896)スウェーデンの化学者、発明家(ダイナマイトなど)。ノーベル賞の創設者。

 

有名なスウェーデンの化学者・発明家の名前は、ユーロシティの夜行列車として運行される以前から、ハンブルクとストックホルムおよびオスロを結ぶ夜行急行列車D 390/391で使われていた。1987年5月31日からユーロシティー・ネットワークに組み込まれた後も、アルフレッド・ノーベル号は時刻表上の位置と車両セットを維持している。この日から、EC 390/391はハンブルクとストックホルムを、EC 490/491はハンブルクとオスロを結んでいる。

 

ドイツ連邦鉄道の寝台客車とクシェット客車のみで構成され、DBクラス218ディーゼル機関車の重連で牽引されるEC 390は、ハンブルク・アルトナ駅発19:19で旅を開始する。ハンブルク・ダムトール駅、ハンブルク中央駅、リューベック中央駅を経由して最初の目的地であるフェリー港プットガルデン着21:28。プットガルデン発21:45でフェーマルン・ベルト海峡をフェリーで横断し、デンマークのロービュ着22:40。フェリーから編成一式を積み降ろした後、ロービュ23:03発でエルシノア(またはヘルシンゲル)(2:00着)に向けて旅を続け、そこからフェリーでわずか20分のオーレスンド海峡を渡る(エルシノア2:15発、ヘルシンボリ2:35着)。そこでアルフレッド・ノーベル号はスウェーデン国鉄(以下、SJ)の客車が増結され、ヘルシンボリ発3:05。アルベスタ、ネッシェー、リンシェーピング、ノルショーピン、ニュヒェーピング、セーデルテリエ・ソドラを経由し、EC 390は目的地のストックホルム中央駅着9:46。

 

EC 490は、エルシノア発EC 390とは別のフェリー(3:15発)を利用し、エルシノア着3:40で、そのまま4:05発でハルムスタッドへ: 他の停車駅は、ファルケンベリ、ヴァールベリ、イェーテボリ中央駅(方向転換と機関車交換、7:43着、7:57発)、トロルヘッタン、国境駅のコルンショー、ハルデン、サルプスボルグ、フレデリクスタ、モスを経て、アルフレッド・ノーベル号はオスロ中央駅着12:40。この時刻表では、EC 490はイェーテボリとオスロを結ぶ唯一の朝の接続便でもあり、そのためこの区間では1等車と2等車が増結された。

 

逆方向のEC 391はストックホルム発18:05で、オーレスンド海峡を0:55~1:20、フェーマルン海峡を3:50~4:45とそれぞれ横断し、ハンブルク・アルトナ駅着8:46。EC 491はオスロ発17:00で、21:35~21:50にイェーテボリに途中停車、EC 391の5分後に別のフェリーでオーレスンド海峡を横断し、エルシノア発(1:40~)の後発列車(EC 491)とともにハンブルクに向かう。

 

ハンブルグ - ストックホルム間(1,015km)とハンブルグ - オスロ間(1,033km)の距離はほぼ同じだが、ノルウェーの首都とドイツのハンザ同盟都市の間の所要時間は、特にヘルシンボリ - オスロ間の低速ルートとイェーテボリでの方向転換により、大幅に長くなっている。さらに、エルシノア - ヘルシンボリ間のフェリーの不適切な所要時間がゆえに、EC 490の所要時間は1時間以上ロスしている。このため、EC 390(14時間27分、表定速度71km/h)とEC 391(14時間41分、69km/h)の所要時間は、EC 490(17時間21分、60km/h)とEC 491(15時間46分、66km/h)よりも大幅に速い。

 

これらの低い巡行速度が1989年5月28日以降、所要時間はさらに延びた。EC 390は、ハンブルク・アルトナ駅で20分早く発車し(18:59発)、ストックホルムでは7分遅く到着した(9:53)。EC 490はオスロ到着が「わずか」2分遅い。反対方向では、EC 391のストックホルム発が17分繰り上げられ(17:41発)、ハンブルク・アルトナ駅到着時刻は以前のダイヤより4分遅くなった(8:50着)。1990年5月27日以降、EC 390の所要時間がさらに6分短縮され、スウェーデンの首都に9:59に到着する一方、ノルウェーの「ウィングトレイン」は幸いにも30分以上短縮し、オスロ着12:10となった。一方、南行きの所要時間は変わらず。従って、「スウェーデン編成」の所要時間は、北行15時間、南行15時間02分(表定速度68km/h)、オスロ発着部分の所要時間は、北行17時間11分(表定速度60km/h)、南行15時間50分(65km/h)となる。

 

アルフレッド・ノーベル号は、コメート号とは異なり、ユーロシティとして1991/92年ダイヤ改正を生き残り、1991年6月2日に新しい列車番号EC 280/281(オスロ区間)とEC 290/291(ストックホルム区間)が与えられた。ハンブルク・アルトナ駅発19:23で、ストックホルム着10:17、オスロ着12:20でそれぞれ終着。南行はオスロ発16:39に、ストックホルム発17:30で旅が始まり、終着ハンブルク・アルトナ駅着9:04。これは、63km/h(EC 281)と65km/h(EC 291)の速度がさらに低下することを意味する。1992年5月31日からは、アルフレッド・ノーベル号(名前はそのまま)が再びドイツを走る急行列車(D 290/291)となり、オスロ行はインターノルト(IN 390/391)となった。1年後の1993年5月23日アルフレッド・ノーベル号は最初のユーロナイトの1つとなったが、これは長くは続かなかった。1995年夏ダイヤをもって、航空輸送との競争激化を背景に廃止された。

 

 

  編成例(書籍内イラストから)

 

1987年夏ダイヤ 

1・2等合造寝台車、2等クシェット車、食堂車なし、エルシノア(ヘルシンゲル)で増解結。ドイツ・デンマークの車両。

 

今回は以上です。

 

参考資料:

・Die EuroCity-Zuege - Teil 1 - 1987-1993: Europaeische Zuglegenden /Jean-Pierre Malaspina, Manfred Meyer, Martin Brandt

・Thomascook European Timetable/Thomascook

参考ページ:

Datenbank Fernverkehr (Database long-distance trains)

Harrys Bahnen

ページ内写真:Flickr(引用元は写真とセットで明記)