いよいよ着手することにしました、Trans Europ Express(TEE)を、当時のトーマス・クック鉄道時刻表の紙面から振り返る企画です。
記念すべき第1回は、パリ・ルール号です。TEE初期グループに含まれていた由緒ある列車。その列車名の通り、パリとルール地方を結び、途中ベルギーのワロン工業地帯や、ケルン、デュッセルドルフの主要都市に乗り入れていたビジネス色の強い列車でした。車両運用面ではドイツ、フランス両国のディーゼル列車、のちにフランス国鉄の客車を使用した「多彩な運用の歴史」をもつ列車でした。
列車名の由来は?
列車が結ぶ両地域の名前から。ルールは西ドイツの地域名。ちなみにこの列車名ですが、パリ・ルール号の地名の並びが「フランス起点」なので、西ドイツ発列車では「ルール・パリ号」と呼んでいたようです。
運行されていた国 フランス、ベルギー、西ドイツ
運転時期と区間
1957年6月2日〜1971年9月25日 パリ北駅 − デュッセルドルフ − ドルトムント
1971年9月26日〜1973年6月1日 パリ北駅 − デュッセルドルフ
1973年6月3日からは列車名を「モリエール」号に改名
使用された車両、編成
ディーゼル列車
【西ドイツ国鉄】
ディーゼル列車VT08型 1957年6月2日〜12月22日
VT08型はVT11.5型の納期遅延の影響で半年ばかり「つなぎ」で運用されています。4両編成でした(DR4üm+4üm+4üm+4üm)。
ディーゼル列車VT11.5型
第1期 1957年12月23日〜1960年5月28日
第2期 1965年 5月30日〜1969年5月31日
TEE用に西ドイツが製造したディーゼル列車。いまでこそ国際列車=国際列車のイメージが定着したものの、1950〜60年代は欧州各地には非電化区間が多数存在してたため、機関車切り替えの時間を「節約する」ために重宝されたのがディーゼル列車でした。
運用時期は、VT08からバトンタッチした「第1期」と、一度フランス国鉄ディーゼル車にバトンを渡した後に再登板する「第2期」と、大きく2期に分けることができます。
編成両数ですが、
第1期:編成両端に動力車(2両)と中間車5両の7連(Pw4ü+4üm+WR4y+AR4y+A4y+4üm+Pw4ü)
第2期:中間車6両の8連(Pw4ü+4üm+4üm+WR4y+AR4y+A4y+4üm+Pw4ü)
という構成でした。
【フランス国鉄】
ディーゼル列車X2770型(RGP825)
1960年5月29日〜1965年5月29日
この形式が投入された契機は、フランス国鉄とのTEE車両運用距離調整のためで、従来TEEパルシファル号で使われていたX2770型編成をパリ・ルール号に導入。代わりにパルシファル号には西ドイツ国鉄のVT11.5型が投入となります。1965年には再びVT11.5に戻されたのですが、文献には「食堂車なし」「夏場のエアコンの欠如」という記述から、サービスレベル低下が懸念されていたところに、各地で電化開業によって余裕のできたVT11.5が充当されたと見るのが自然かと思いました。
編成両数ですが、X2771+X7771+X7771+X2771の4連でした。
※X2771が非貫通運転台、X7771が貫通運転台
ちなみにX2770型は編成の赤色がTEE用、緑色が国内列車用という用途分けがあり、この形式使用の最後のTEE列車は、このパリ・ルール号でした。
客車列車
フランス国鉄ミストラル69型客車
1969年6月1日〜1973年6月1日
編成構成ですが、パリ側から、A8tu+A3rtu+Vru+A8tu+A8u+A8u+A4Dtux の7両編成
A8tu オープン座席車、A8u コンパートメント車、Vru 食堂車、A3rtu バー/オープン座席車、A4Dtux 荷物電源車
牽引機
牽引機の変遷にあたって、抑えておきたい事実は1970年9月22日のナミュール〜リエージュ間の電化開業。また1969年6月から客車列車に切り替わっており、わずか1年程度のですが、非電化区間をディーゼル機関車によって連携していた時期がありました。
【フランス】
文献によると1969年6月から1970年9月の1年あまりの間で、パリ北駅〜ナミュール間で牽引実績があるようですが、詳細不明です。
【ベルギー】
150型(Class 15)、160型(Class16)3電圧対応交直流電気機関車(1969〜1973年 )
→パリ北駅〜ナミュール、全区間電化後はパリ北駅〜アーヘンで牽引担当
22型(Class 22)直流電気機関車(1969〜1971年)
→リエージュ〜アーヘンで牽引担当
202(のちの52)型、204(のちの54)型、205(のちの55)型ディーゼル機関車(1969〜1970年)
→非電化時のナミュール〜リエージュで主に牽引、ほかにもアーヘン西部で行われた大規模工事にともない一時的にアーヘンまでの運用に就いたこともあるようです。
写真は22型直流機関車。パリ・ルール号の1969年〜1970年というわずかな間ですが、電気機関車〜ディーゼル機関車〜電気機関車、とベルギー国内だけで3種の機関車を使い分けていた列車でした。
西ドイツの牽引機
184(旧E410)型4電圧対応交直流電気機関車 (1969〜1970年)
→リエージュ〜アーヘンで牽引担当。文献では1970年までとなっていますが、この機関車自体のベルギー国内乗り入れは1971年9月までは実施されていたようです。
110、112型(旧E10)交流機関車 (1969〜1973年)
→アーヘン〜ドルトムントで牽引担当
下記写真がドイツ側で長く牽引に携わった110型機関車です。
地名ばかりでわかりずらいと思いますので、地図化してみました。
実際の時刻表紙面
1962〜63年冬ダイヤ
168列車 ドルトムント発5:51→パリ北駅着12:50 ※6時間59分(デュッセルドルフ→パリ:6時間03分)
185列車 パリ北駅発17:42→ドルトムント着0:39 ※6時間57分(パリ→デュ:5時間58分)
運行開始から5年ほど経った時期のダイヤです。列車タイプはフランス国鉄のディーゼル列車(紙面ではTypeA)です。機関車付け替えはありませんので、途中停車駅の停車時間も最低限であることがわかります。
CooksContinental TImetable March 1963より
1969年夏ダイヤ
42列車 ドルトムント発6:01→パリ北駅着12:27 ※6時間26分(デュッセルドルフ→パリ:5時間33分)
41列車 パリ北駅発17:55→ドルトムント着0:34 ※6時間39分(パリ→デュ:5時間46分)
このパリ〜ルール地方間ではパルシファル号と対でダイヤが組まれていました。
設定時間を見ると、パリ・ルール号はドイツ起点のビジネス客を想定したダイヤと考えることができます。またこのダイヤ改正から使用車両がディーゼル列車から客車列車に切り替えが発生し、かつ非電化区間が残っていた時代ですので、ナミュールで8〜9分、リエージュで6分の停車を強いられていることがわかります。そんなハンディキャップがありながらも、フランス国鉄ディーゼル列車時代よりも大幅な所要時間短縮を実現できています。
CooksContinental TImetable August 1969より
1972〜73年冬ダイヤ
40列車 デュッセルドルフ発6:50→パリ北駅着12:11 ※5時間21分
41列車 パリ北駅発17:55→デュッセルドルフ着23:16 ※5時間21分
この列車は1971年に運転区間がパリ〜デュッセルドルフ間に短縮されています。あと注目はリエージュでの7分の停車時間。全区間電化後なので「?」と思われるかもですが、当時のリエージュ駅は頭端駅のため、機関車の種別問わず付替えを強いられたという事実がありました。ここだけ切り取るとディーゼル列車の優位性を感じます。
CooksContinental TImetable March 1973より
前述の通り、運転区間短縮によりルール地方への乗り入れがなくなったことで、パリ・ルール号の名称は1973年に「モリエール」号と改名されています。
本日は以上です。
取り上げたTEE列車の一覧ページです。こちらもご参考ください!
↓私が参考にしたドイツ語書籍。貴重な写真が多数。資料価値高いです。
↓使用されたVT11.5形を詳しく取り上げたドイツ語の書籍。写真多数です。
参考資料:CooksContinental TImetable
・Das Grosse TEE-Buch 40 Jahre Trans-Europ-Express /Jörg Hajt/HEEL 1997年
・TEE, la légende des Trans-Europ-Express : entre luxe et grande vitesse/Maurice Mertens、 Jean-Pierre Malaspina/LR PRESSE 2007
・TEE Zuge in Deutschland/Peter Goette/EK-VERLAG 2008
・Die Geschhichte Des Trans Europe Express /Maurice Mertens、Jean-Pierre Malaspina 2009
参考サイト:TEE、Paris-Ruhr、モリエール(列車名)、Voiture TEE PBA(ともにWikipedia)
ページ内写真:Flickrのリンクより
カバー画像:Deutsche Bahn AG, converted by , Public domain, via Wikimedia Commons