西野了のブログ 「テキトーがいいです」

西野了のブログ 「テキトーがいいです」

日々頭に浮かんでいることを適当に書いてます。音楽と本さえあれば満足している資本主義社会にはそぐわない人間。だけどプチブル的に生きているような気もします・・・。

 高校3年のときのクラスの同窓会に出席した。といっても学年単位の同窓会なので、他のクラスの人間も混じり、結構な人数だった。

 僕は実に32年ぶり、つまり高校卒業以来の級友との再会となる。同窓会は時々開催されていたようだったが、僕には連絡がこなかった。それは何故か? 嫌われているとか問題があるとかではなく、単純に住所がわからなかったからだ。京都から愛媛に転居しただけだが、行方不明者になってしまった・・・・・・。今回は幹事を務めてくれた人たちが頑張ってくれ、僕のクラス約40人のうち、連絡がとれなかった人は1人だけだった。

 

 実は今回の同窓会は何故か非常に緊張した。案内をもらって参加しますと返事を出した時点から、妙に緊張したのである。50歳になった自分がどう見えるのか、また同級生はどう変わったのか、そんな心配もあった。しかしその緊張感の一番の理由は、おそらく人生の一番多感な時期にともに過ごした人たちとどう接すればよいか、わからなかったということだと思う。

 しかしそれは杞憂に終わった、嬉しいことに。中学、高校と同級生だった友達と話していくうちに、様々な記憶がよみがえってきた。とくに中学3年のときのクラスの雰囲気がリアルな感覚で思い出すことができたのだ。そう、当時僕たちは仲がよかった。今では信じられないかもしれないが、クラス全体がなんとなく仲がよかった。もちろんいろんないざこざや男女間でのややこしい? 感情のもつれもあった。でも全体的には親密だった。

 

 なぜだろう? 僕たちが少年だったときもおそらく今の少年たちとそれほど変わらないはずだ。繊細で傲慢で孤独を求め暖かなつながりを求めていた。たぶん35年前の15歳の世界は今よりもシンプルだったのだろう。当時、僕たち男子は丸坊主で、女の子たちは野暮ったいセーラー服を着ていた。僕たちは未来を漠然としか考えておらず、窮屈な校則にあまり文句も言わず、それでも1日1日が自分の手の中にあった。

 

 記憶はふだんは眠っていて、日常の生活に影響していないと思っていた。僕が何とか生き延びてこられたのは、家族があり友人がいて、愛する音楽や小説があるからだと思っていた。もちろんそれはそうだけども、様々な記憶が僕を生きさせているということも今ようやく理解しつつある。(僕は相変わらず愚かで無知だ)いったい僕たちはどれほどの記憶を持っているのだろう・・・・・・。

 中学3年の同級生と話していると、35年前の教室の情景が浮かんでくる。季節は秋で、窓からは弱い日差しが差し込んでいる。風はない。放課後、誰かの机のまわりに4、5人が群がってたわいもない話をしている。おそらく大した話ではないはずだ。だけど男子は変に意地をはったり、女子はうるさく笑ったりしている。確かに僕たちはその場所にいたし、そして今までずっと歩いてきたのだ。

 

 記憶というものは無意識のうちに、かなり変えることができるらしい。僕たちが共有している記憶は35年という時間の影響なのか、悪くないものばかりのように思えてくる。

 

「おい有村君、例の書類はできたかい?」 

「アッ、す、す、すいません。もう少しかかります」有村考一は、か細い声で答えた。

「あーっ、いいよ、いいよ。まだ会議には時間があるし」課長は投げやりにそう言った。

「有村さん、私、何か手伝うことないですか?」先週からパート職員としてこの職場に入ってきた越智菜々子が明るく言った。有村は彼女の元気さに気圧されるように「いや、別にないです」と黒縁メガネの中の小さな眼を見開きながら答えた。

「有村君。見神町二丁目三番地のゴミ収集でまたクレームがきてますわよ。あなた、ちゃんと対応したの?」係長は赤い眼鏡のフレームを動かしながら早く現場に行きなさい! と無言の圧力を有村にかけてきた。

「じゃあ、あたしも同行していいですか? 仕事を覚えるために、ねえ課長さん?」

「あっ、あああっ」課長は菜々子の若い美しさに圧倒されて首を縦に振ってしまい、既にそれを失ってしまった係長は憎々し気に課長を睨んだ。

「それじゃあ、よろしくお願いしまーす!」ミニバンの助手席に乗った奈々子は有村に顔を近づけ元気よく挨拶したので、中年運転手は思わずアクセルを踏み込みそうになった。

「アッ、ここですね」神社を登る階段の横にゴミステーションがあった。鉄製金網の中に可燃ごみの半透明ビニール袋が一つだけあった。今日はプラスチックゴミ回収日なのだ。

「有村さん、これ、どうするんです?」

「役所のゴミ焼却炉で燃やします」有村は申し訳なさそうに答えた。

「エーッ! このゴミ出した決まりを守らない人を見つけないのですか?」

「そういう人はたくさんいるのです」有村は元気なく言った。

「それで有村さんはよく外に行っているのですね」

「他にやる人がいないのです」

「エーッ、課長とか、女係長とか暇そうですよ」菜々子はピンクの頬を膨らませた。

「管理職は課内に居ないとダメだそうです」有村はゴミ袋をミニバンの荷台に入れた。

「うぇー、有村さん、超臭いです。窓開けていいですか?」

「はい、どうぞ」有村の返事を聞く前に菜々子はミニバンの窓を開けて外気を吸い込んだ。

「あれぇ?」暫くして運転している有村が不思議そうな顔をした。

「どうしたのですか、有村さん?」

「ひょっとして道間違えたのかもしれません。おかしいなあ。前もここに来たのに」

「いいじゃないですか、たまには気分転換も必要ですよ、少し臭いけど」菜々子は嬉しそうに答えた。

「ありゃー! 変な一本道に入ったみたいです。すみません、越智さん」

「フフフッ、面白そう」菜々子は楽しそうに窓の外を見たり、有村の生真面目な表情を見たりしている。ミニバンは薄暗い一本道を登って行っているようだった。その一本道の行き止まりには古ぼけた神社があった。野草が生い茂り背の高い楠や欅が周囲を覆っている。

「あれ? この辺りにこんな古い神社があったかな」有村はミニバンから降りて古ぼけた神社を眺めた。

「有村さん、この神社は人の手が入っていないようです。神秘的で面白そう」

「エッ? そうですか」小心者の有村は嫌な予感がした。

「ねえ有村さん、この神社の中に入ってみません? 凄いお宝がありかもしれませんよ」菜々子はそう言うと有村の返事を待たずに彼の右手を握って神社の階段を上がり始めた。若い女性に初めて手を握られた有村は激しく動揺しながら彼女について行った。

「土足のままで上がっていいのでしょうか?」有村は埃が積み重なっている床板を見た。

「あたしたちだったら許されると思います。それよりも孝一さん、開かずの間の扉が開いていますよ。フフフッ」菜々子は悪戯っぽく笑った。

「エッ、越智さん、あそこは神官さんしか入ってはいけないはずです」

「いいから、いいから」菜々子は有村にギュッとくっついて開かずの間に入って行った。有村は菜々子の柔らかい体の感触に呆然として、彼女のなすがままに歩いている。

「あれ、何か変ですよ。開かずの間なのに洞窟の中みたい?」有村は周囲を見渡したが殆ど何も見えなかった。彼は菜々子に優しく誘わられるようにフワフワと歩いていた。

「孝一さん、そろそろ出口ですよ」

 二人の前方が少しずつ明るくなってきた。爽やかな風が吹いてきて有村は大きく深呼吸した。真っ暗な洞穴から出ると、そこは草原が広がっていた。彼の眼下には白い砂浜に規則正しく波が打ち寄せていた。

「ここは・・・・・・?」

「相変わらず孝一さんは忘れっぽいですね。まあ座りましょう」菜々子は草原の上に腰を下ろした。それにつられて有村も彼女の隣に腰を下ろした。すると菜々子は頭を有村の左肩にのせて体を預けてきた。有村は自然に左腕で彼女の体を引き寄せた。

 陽は傾かず風は吹き止まず市役所勤務の中年男は空腹も尿意も感じなかった。

 ひとつの同じ時間が引き延ばされている。

(ずっと前もこの感覚があった・・・)有村はそう思った。

「孝一さん、あなたの住んでいる場所はもう壊れています」新任のパート職員は低い声で告げた。

「えっ!」

「今の様子を見ますか?」菜々子は前髪をかき上げて額を有村の額にくっつけた。

 その街は何もかも崩れ落ちていた。所どころ火の手が上がりどす黒い煙が漂っている。彼の勤めている五階建ての市役所も瓦礫の山になっている。

「何があったのですか?」

「あの場所に住んでいる人間は余りに汚れ過ぎていたのです。そして大地の怒りをかった。超巨大地震が発生しました。人々は自分の快楽と欲望のために他者を貶めて欺いてばかりいました。彼らは他の生き物も様々な恵みも貪欲に貪ってばかりいました。その罪のために罰がくだったのです」

「でも、どうして僕はここにいるのです?」

「孝一さん・・・」菜々子はにっこりと笑った。

「孝一さんはあの場所で唯一の優しい人です。お部屋の小さな蜘蛛を踏まないようにするしお話もする。お腹を減らした野良猫に鰯の干物を与える。毎日のご飯は感謝して一粒も残さない。野草を意味もなく駆除しない。足の不自由なお年寄りの荷物を持ってあげる。職場でも嫌な仕事を引き受けている等など。あの場所でこの世界を美しくしている人間はあなただけなのです」菜々子はそう言うと瞳を閉じた。

「そんな。僕なんかよりも優しくて思いやりのある人はたくさんいるでしょう?」

「孝一さん、時代の流れというものがあります。今は個人や会社の欲望が全てを飲み込んでしまって、正と負のパワーバランスが崩れてしまいました。分水嶺を超えてしまったのです。そうなるとまともな人たちも快楽の欲望に飲み込まれてしまいました」

「・・・・・・」有村は何も言わず目の前の変わらない風景を眺めた。隣に座っている菜々子の温もりが伝わって懐かしい喜びが沸き上がってくる。

「やっと巡り会えたのだから、しばらくここにいよう、孝一さん」菜々子は眩しそうに有村孝一を見つめた。

 有村は菜々子の言う通りかもしれないと感じた。一週間前に初めて越智菜々子に出会ったとき、強張った彼の体と心がゆるゆると解けていく感覚があった。

「僕も越智さんと一緒にいたいけど・・・」有村は突然立ち上がり、先ほどまで歩いて来た洞穴の出口に向かって走り出した。

「越智さん! やっぱり僕はあの街で何かしないといけないのです。ごめんなさい」有村は全速力で走り続け、彼の姿は洞窟の暗闇に消えていった。

「あーあっ、やっぱり。コウイチさんはいつもこのパターンだもの」菜々子は微笑みながら洞窟の出口に向かって歩き出した。

 

 

 きな臭いが黒い煙の中、有村はミニバンをゆっくりと走らせていた。彼の積み込んだ臭い可燃ごみ袋は無くなっていた。道路にはいたる所に建物の破片が散乱しており、大きな道路は軽自動車しか通行できない状況だった。主要道路のアスファルトは隆起して裂け、電柱が倒れていて通行できない場所がいたるところにあった。有村の運転するミニバンが市役所に到着できたのは奇跡的であった。

 鉄筋コンクリート造りの市役所庁舎は見る影もなく崩れ落ちていた。あれほどいた職員たちはどこにもいない。所どころから灰色の煙があがり無機質的な匂いがたちこめている。

「・・・・・・てぇ」有村が立っている右前方から聞き覚えのある女性の声が聞こえた。

「助けてぇ」今度は弱々しいがハッキリと係長の声が聞こえた。有村はハンカチで口を塞ぎながら声のする方向に走り出した。ロッカーや机、パソコンが積み重なっている中から係長の声が聞こえてくる。よく見ると係長の声がする場所は地下に空洞が出来ており蟻地獄のように様々な物が地下に吸い込まれている。

「係長!」有村は今にも地価の空洞に落ちそうになっている係長の左腕を掴んだ。

「こらぁ! 有村―ぁ。早く私を助けろーっ!」係長は鬼の形相で有村に命令した。部下は自分の体重の一・五倍はある係長を渾身の力で引き上げた。そして彼はその反動で巨大な空洞に落ちて行った。落ちていく途中、有村の顔の前に部屋にいる小さな蜘蛛がぶら下がっていた。その小さな蜘蛛は言った。

「ねぇ、コウイチさん。今度は早くあたしを見つけてね・・・」

 

 

 藤村公一はアルバイト先のファミリーレストランから出てきて駐輪場に向かって歩いていた。

「公一、そんな怖い顔していると、お客さんが逃げちゃうよ」彼の自転車の傍に立っている制服姿の落合奈々子が笑いながら声をかけた。

「奈々子、後ろに乗る? 歩いて帰る?」

「今日は後ろに乗る、フフフッ」

 サドルに腰を下ろした公一を奈々子はギュッと抱きしめた。人見知りで警戒心の強い公一はなぜ奈々子に心も体も許しているのか不思議に思っている。でも彼女といると安心と喜びと優しさが沸き上がって来る。そして奈々子は公一のそんな胸の内をお見通しだという顔をしている。

奈々子のことを考えても分からないのは若さのせいだと思い、公一は力強くペダルを踏んだ。

 二人を乗せた自転車は生暖かい夜の街を切り裂くように走って行く。 

 

 Yは部屋の中を歩き回り僕に言った。
「宇宙はこの部屋にあるんだよ」
「ふーん?」僕は彼の言っている意味が分からなかった。
「どんな、宇宙なんだ?」僕が訊くと彼はしばらく何も言わず、おもちゃで遊んだり本を読んだりした。
「だからね、ここが宇宙の底なんだよ」
 僕はますます彼の言っていることが分からなくなった。
「宇宙の底って、こんなに平凡なのかい?」
「そうだよ、宇宙の底はこの部屋さ。ここには宇宙のすべてがあるじゃないか!」彼はゲームをしながら笑った。
 僕はこの部屋が何もかもあるとは思えなかった。
「だってこの部屋にあるものはテレビと本とゲーム機と木のおもちゃしかないじゃないか?」
「あははははー!」彼は大きな声で笑った。どうやらネットゲームで相手を打ち負かしたらしい。
「君には見えないのかい。ここにこの世界のすべてがあるってことが。すべての音が響いているってことが」
 彼は哀れそうな目で僕を見た。
「君も昔は見えていたし聴くことも出来てただろうに・・・。そんなに急いで大人になるからつまらなくなるんだ」
「だって、いつまでも子供のままでいられないだろう?」僕は少しムキになって言った。
「そうかな、ゴワゴワした形あるものだけ見て、騒音ばかり聞いて、それが大人になるってことだろ。つまんないじゃないのかな?」君は手のひらをヒラヒラさせて踊った。
「僕は君みたいにいつまでも少年の心を持っていられないよ。そんなの疲れるだけだろ。いつかは世間の深淵に飲み込まれて自分をなくしてしまうんだよ」
「だからいいんじゃないか。ここがロゴスだ、飛べ!」
「ここがロドスだ、ここで跳べだろ」
「アハハ、いいじゃないか。それとも清水の舞台から飛び降りるだっけ?」
「どっちでもいいよ。僕はもうそんなことしないし、できないもの」
「そうかな?明日になったらわからないよ。まだ君は17歳の心を持っていると僕は思うんだけど」
 彼はけん玉を不器用に扱っていた。全然玉が皿に乗らない。
「それって面白い?」
「面白いよ、できないから」
 僕は彼の部屋から出ていこうとすると「かちッ」という音が響いた。
 彼のけん玉が棒にはまっていた。
 彼は嬉しそうに言った。
「いつかそのうち、できると思っていたんだ」
 僕は彼を眩しそうに見て「ちぇっ」と言った。そして部屋の外に出た。
 外の風は少し冷たかった。
 

 その角を曲がると細い道がある。少し歩くと横断歩道があって僕はボタンを押す。信号が点滅するのを止めて青色に変わる。横断歩道を渡ると左側に昔の社宅に使われたアパートが数棟ある。それらは少しずつ廃墟のようになっている。

 またテクテク歩く。今度も右に曲がる。悪者ばかりがいるところに着く。ここは悪魔もいる。妹のいくところは悪者はいなくて良い者ばかりだ。そして正義の味方もいるらしくて、彼が悪者をやっつけてくれるって言ってた。良い者ばかりなのに、正義の味方が活躍するそうだ。

 僕が行くところには多すぎる花が咲いていて、それらは偽善的で息苦しい。そして小さい悪者がたくさんいて、注意深く観察しなければいけない。勿論しゃべってもいけない。ご飯も黙って食べなければいけない。いつも毒が入っていないか、恐る恐る食べる。

 スピーカーから突然大きな音が鳴るので気を付けなければいけない。

 早くあの人が迎えに来てくれればいいのに。そうしたら悪者のことをいっぱい話すんだ。そしてファミリーマートでチョコレートのアイスクリームを買って食べて息を吹き返すことができる。

 みんなは悪者がいないと思っているのか不思議だったけど、みんなが悪者だから気が付かないんだと気づいた。 

「みんな、その穴に落ちてしまうんだよ」

「ずっと落ちていくんだね?」

「落ちたらガチャって言うんだ」

「落ちた底にはドアがあるのかな?」

「いや、ドアじゃないんだ。それはドアじゃない」

「でもガチャって言うのはドアじゃない?」

「ガチャって言うけどドアじゃないんだ」

「ドアじゃないけどガチャって言うんだね」

「そう・・・」

 

「新幹線や列車がそのトンネルに入るんだよ」

「新幹線や列車がそのトンネルを通過するんだね」

「違う、通過するんじゃなくて入ってしまうんだ」

「新幹線や列車が入ってしまうの?」

「新幹線も列車もいろんな方向から入って行く」

「それはターミナルみたいなトンネルかな?」

「そう、そしてそのトンネルが大きくなって膨らんで・・・」

「新幹線や列車が入ったまま、そのトンネルが大きくなるの?」

「そうだよ、トンネルが大きくなってグルグル回転するんだ」

「じゃあ、乗っているお客さんは大変だね」

「そう大変、大変」

「ハセガワサン、コレドコデスカ?」ジョージはいつまで経っても仕事を覚えない。

「右の奥の棚。同じパンがまだあるだろ、そこに置いとけよ」

「ハイ、ワカリマシタ」ジョージは返事だけはいい。深夜なのに客は結構来る。

みんな遅くまで何やってんだ? 俺はレジで客の対応をしながら胸の中で毒づく。

「やだぁー。ジョージ、面白いーっ」いつもの甲高い声が聞こえる。

「ヨーコか?」

「ハイ?」レジの目の前の男性客が不審な顔をする。

「ありがとうございました」俺は客を送り出すと奥の飲食スペースに視線を向けた。ジョージとヨーコが楽しそうに喋っている。

「またコーヒー一杯でねばっている」

「クモちゃん、いいじゃない。ここ居心地良いからぁ」相変わらず甘ったるい口調だ。

「ねえねぇ、それよりこれ見て」ヨウコは黄色いTシャツの豊かな胸の谷間を指さす。

「やだぁー、エッチーィ!」自分で言っておきながら、何て言い草だ。

「ハセガワサンハ、ムッツリ助平デスカラネ」ジョージもヘラヘラ笑っていやがる。こいつ、仕事は覚えないくせに変な日本語だけは覚えるのだ。

「クモちゃん、そこじゃなくてココ」ヨウコはそう言うと、Tシャツをめくって白い物体を取り出した。その白い物体はニャーニャー泣いている。

「何だよ、猫かよ」

「カワイイでしょ」

「ヨーコチャンニニテ可愛いデスネ」

「エーッ、そうかなぁ。ウレシー」ヨーコは子猫を触りながら、名前をどうしようとか言っている。

「ニャンニャン鳴くからニャン太郎ってどうかニャ?」猫はニャンニャン鳴くものだろ! と思ったが言葉を飲み込んだ。それにヨーコのふざけた言い方とその猫を真似たポーズは何だ。

「オー、ソレハ、ピッタリノネーミングデスネ」どこがピッタリだと思ったが黙っていた。

「ニャン太郎っていうからオスだろ?」俺はヨーコが抱き上げた子猫の下腹部を見た。

「ない! オスにあるべきものがない!」俺はヨーコとジョージを見た。

「キャーッ! クモちゃんエッチーィ!」

「ハセガワサンハ、ネコニモ欲情スルノデスネ」ぶっ飛ばすぞ! この野郎。しかし俺はジョージに手出しはしない。こいつはカポエラの達人なのだ。以前、レジの金を盗もうとした強盗犯を回転蹴りで吹っ飛ばしてKOさせた記憶が蘇る。誰でも良いところ? はあるのだ。

「それでぇ、クモちゃん、お願いがあるんだニャン」完全に猫モードだ。こいつ、化け猫にでも憑りつかれたか? それにそのメス猫、ニャン太郎でいいのか?

「あたしの家ではニャン太郎、飼えないのだニャン。クモちゃんのお家で飼ってくれないかニャン?」

「またかよ」

「ハセガワサンノ家ハ、ヒロサダケハアリマスカラネ」いちいち気に障ることをいう奴だ。

「ねえねえ、前に預けたワンちゃんーワン五郎は大丈夫なのかニャン?」

「ああ、あの瘦せこけた犬か。ちゃんと良いところに行ったよ」

「ヨーコチャン、アノイヌハナゼワン五郎ナノデスカ?」確かに何故ワン太郎ではなくてワン五郎なのか? おれも気になっていたところだ。(この犬はオスだった)

「何故ワン五郎かって? 私のママがワンちゃん大好きなのだ。それから野口五郎の大ファンなのだニャン」何か中途半端な猫モードだな。

「野口五郎? うーん・・・?」

「オー野口五郎デスカ! ボクハカレノ大ファンデス。『青いリンゴ』『私鉄沿線』―カイサーツグーチデーキミノコトー」こいつ、アフリカ系アメリカ人で十九歳って言っているけどホントか? 

「キャーッ! ジョージ、素敵ィー・・・・・・だニャン」いい加減な猫モードだな。途中でニャン忘れている。

「ヨーコの母親が犬好きで野口五郎好きだから『ワン五郎』なのか」

「そう・・・・・・だニャン」

「ヨーコチャンハ『ピョン太』ト『ピー子』モタスケテアゲマシタネ」ピョン太は灰色兎でピー子はセキセイインコだ。

「えへへへへ、偉いでしょ、ピョンピョン」猫モードから兎モードになっているぞ。

「預かったのは全部俺だぞ」

「デモ、お世話ヲシテイルノハ、ハセガワサンノオトーサンデショ」

「グッ」俺はジョージをキッと睨むがアイツはヘラヘラ笑ってやがる。

「ヨーコ、もう三時だぞ。帰れよ」さすがに客はほとんど来ない。

「ジャアボクガヨーコチャン送リマス」ジョージは嬉しそうだ。

「道草するなよ」

「オーノー」

「ウフフッ、クモちゃん、またね」二人が出ていくと俺は店内の掃除を始めた。ヨーコの残した冷めたコーヒーも捨てた。三時半にジョージは帰ってきた。

「お疲れ様」

「ハセガワサン、チョットイイデスカ?」ジョージが珍しく真面目な顔をしている。

「ハセガワサン、ヨーコチャン数日後ニニャン太郎ノヨウスヲミルタメニ、ハセガワサンノ家ニイクッテイッテマシタ」

「えっ! 俺の家に。本当か?」

「ホントウデス」

 俺たちは暫く黙り込んでしまった。

 

 東の空が紫色に染まり始めた。夜明けが近い。石段を上る俺たちに時折涼しい風が吹いてくる。周囲の木々の梢が小さく揺れている。

「結構高いところにあるのね、クモちゃんのお家」

「ハセガワサンノ家ハスゴクオンボロデスヨ」

「ジョージ、お前、俺の家でただ飯食ってんじゃないのか」俺が一瞥すると「オー! ハセガワサンノ料理ハサイコーデス」とか言ってる。

 百十七段の石段を上ると『隆雲寺』という木の札が見えてきた。

「へぇー、クモちゃんのお家はリュウウンジって言うんだぁ」

「ハセガワサンノナマエモ雲海トイッテ、ナマエダケハリッパデスカラネ」

「お前だってジョージ・ワシントンだろ!」

「ボクノバアイハ、名は体を表すデス。フッフッフッ」こいつの根拠のない自信は何処から来るのか、俺はいつも不思議に思う。

「アッ! ニャン太郎!」

 ヨーコが本堂に向かって駆け出した。本堂にある幅が広い階段の四段目に白い子猫が座っていた。

「ニャン太郎、元気になっている」

「ホントデスネ。イイ顔シテマス」

 ヨーコがニャン太郎を抱き上げた。ニャン太郎はヨーコの腕の中でゴロゴロ言っている。しばらくニャン太郎はヨーコの腕の中で目をつむり気持ちよさそうにしていた。そして目を開けて「ニャン」

と言った。

「オイ、ヨーコ。ニャン太郎がそろそろいくぞ」

「エッ?」ヨーコが腕の中のニャン太郎を見た。ニャン太郎の体が白い光に包まれた。そして白い子猫の体が徐々に霞んでいった。白い光が消えていくと同時にニャン太郎もいなくなった。

木立の間に見える空は薄紫に染まっている。

「ニャン太郎、いっちゃった・・・・・・ニャン」ヨーコは空を見上げながら呟いた。隣でジョージが十字を切っている。

「ねえ、クモちゃん、ジョージ・・・」ヨーコは微笑んで呟くように言った。

「あたしもそろそろいこうかなって思う」

 俺は頷き、ジョージは真剣な顔をしている。

「あの事故から半年経ったし。ママはずっと泣いてるけどパパが傍にいる」

「ソウデスネ・・・」

「あたしがまだここにいるのは、あの二人には良くないことだと思うの」

俺とジョージは何も言えなかった。

「クモちゃん、どこにいても、いくことはできるんだよね?」

「ああ、もうこの世界から旅立ってもいいと思ったらな」

 ヨーコは自分の手のひらを見ながら暫く考えていた。

「あたしはクモちゃんやジョージにいっぱい優しくしてもらったから、もういいの。でも二人の前でいくのは、何か恥ずかしいっていうか嫌だ」

「うん・・・・・・」俺はよく分からないけど頷いた。

「だから握手して・・・」

 ヨーコはジョージに小さな右手を差し出した。ジョージは両手でヨーコの手を包んだ。ジョージの大きな手の中でヨーコの手が透けて見える

「ありがとう、ジョージ」

「サンキュー、ヨーコサン」ジョージは泣きそうな顔をしている。

「じゃあ、クモちゃん」ヨーコは先ほどと同じように右手を俺の前に差し出した。俺もゆっくりと右手を差し出して彼女の柔らかい手を握った。小さくて冷たい手だ。

「エッ?」ヨーコは小さく驚いた。そしてゆっくりと右手を見た。それから大きく深呼吸した。ジョージもなぜか驚いている。

「クモちゃん、ジョージ、お別れね。二人とも元気で。サヨナラ!」

 ヨーコはそう叫ぶと石段めがけて走り出した。

「ヨーコチャン、サヨナラー!」ジョージは大きく手を振った。俺は茫然と佇むだけだった。

 

 月曜日の深夜のコンビニは暇だ。おまけに雨も降っている。ヨーコが去ってから十日が過ぎた。

「ハセガワサン、コノパンドコデスカ?」ジョージは相変わらず仕事を覚えない。

「右の奥の棚」

「ハイ、ワカリマシタ」

もうすぐシフトチェンジなので俺はレジの金をチェックした。

「いやだぁージョージったら」聞き覚えのある甘ったるい声が聞こえてきた。俺は飲食スペースに目をやるとヨーコとジョージが楽しそうに喋っている。

「ハーイ! クモちゃーん。ホットコーヒー一つお願い」

「ヨーコ! お前どうしてここにいるんだ?」

「ヨーコチャンハ、マダこの世デ、ヤリノコシタコトガアルノデス」

「はあ?」

「ちょっと前にとても素敵なことがあったから、もう少しこの世界にいることにしたの」

「幽霊に素敵な体験とかあるのか?」

「ハセガワサンハ、乙女心ガワカラナイダメ男デスネ」

「ねー、クモちゃんはデリカシーないよねー、ジョージ」

「ネーッ、ヨーコちゃーん」

バカバカしいと思いつつ、俺はヨーコの前にホットコーヒーを置いた。

「ありがとう、クモちゃん」

「お、おう・・・」ヨーコの笑顔に俺は柄にもなく照れた。

「クックックッ」ジョージは何が可笑しいのか、必死で笑いを嚙み殺している。

 俺は混乱した頭で外を見た。

 いつの間にか雨は止んでいた。

 午前三時、街はまだ闇の中に沈んでいる。

 

(本編は「小説を読もう」に掲載しています)

 

 彼女の自転車はすぐ見つかった。登録番号が1234でピンクの自転車だからそれは当然だ。

 係員がその自転車の施錠を外して、こちらへ持ってくる時だった。何かが整然と並べられた自転車の間をかなりのスペードで走っている。目を凝らしているとそれは段々と輪郭がハッキリとしてきた。

「見えますか?」

 初老の係員が楽しそうに聞いてきた。

「ええ、何かトカゲのようなものが自転車の間を走り回っています」

「お客さんによっては、あれを小型恐竜に見える人もいればエイリアンに見える人もいます。あなたは何に見えますか?」

「僕には普通のトカゲに見えるのですが」

「ホーッ」彼は感心したように頷き、もう一人の係員を読んだ。

「オイ、ジョン、この人見えるんだって」

「オー、ソウデスカ」

 緑色の瞳を持った長身の若者がどこからか現れた。

「ソレデハ、アノ、チャリンコノ奴モミエマスカ?」

 彼の指差した自転車はいわゆるママチャリでシティサイクルと呼ばれているものだ。その後部座席には小さなおさげ髪の女の子が座っていた。

「ええ、見えます。可愛い女の子が後ろの座席に座ってます」

「お兄ちゃん、あんた素質あるよ」

 初老の男が僕の右肩を叩きながら言った。

「なあ、あんた、ここで働かないかい。あんただったら一ヶ月の研修でモノになるよ」

「ソーデスネ」ジョンも納得している。

「えっ? どういうことですか?」求職中の僕は思わぬ展開に驚いた。

「放置自転車を管理して引き渡すのは表向きの仕事で、本当の仕事は自転車にくっついてるややこしい奴らを取り除くのが俺たちの本業だ。だから、そのややこしい奴らを正確に見えて、彼らとちゃんと話ができる人間が欲しいんだ。場合によっちゃあ力仕事になるけどな」

「ケッコウ、コノシゴトタイヘンデース。ヒトデブソク」

「どうだい、兄ちゃん、ここで働いてみないか? 給料は思ったよりいいぜ。あんたが入ってくれたら、俺たちも余裕ができて有給休暇もとりやすくなるし」

「オーッ、ユウキュウ、ホシイデス」ジョンが叫んだ。

「あっ、前向きに考えておきます」

「うん、なるべく早くいい返事を聞かせてくれ。詳しいこと知りたかったら、いつでもいいぞ」

「あっ、ハイ。明日にでもまた伺おうと思います」

「ゼンはイソゲデース」ジョンが握手してきた。

「ところで、。この自転車・・・・・・」僕は彼女のピンクの自転車を見て呟いた。

「そうなんだよな~」

「コイツ、シツコイデース」

 彼女の自転車の前にあるかごに薄毛で分厚いメガネをかけた小太りの男がちょこんと座っていた。

「まあ、たいした力はないから大丈夫だろう。お兄ちゃんからもこいつにどっか行くように言ってくれよ」

「はあ」僕はその小太りの男を見ながら力なく答えた。

 彼女は悩んでいた

 彼らがなぜ存在するのかと?

 彼らははある部分をなくしていた

 

 神様の悪戯だろうか?

 彼らは何も生み出せずに、ただただ時間を消費するだけだった

 しかし善なる魂にみちびかれて

 彼女は彼らのために働いた。

 

 彼女は信じられないほど優しく

 またとても冷たい人間だった

 

 彼女は自分を信じられなかった

 どうして

 いつも怒りがあるのか

 世界に嘘が蔓延しているのか

 美しいものが蓄積され、破壊され続けているのか

 そして

 いつも 

 世界が自分の外に在るのか

 

 実は

 なくしている人たちは

 彼女の欠けているピースだった

 彼らと接しているとときだけ

 彼女はかろうじてこちらの世界にいることができた

 

 人によっては

 それは

 偽りの優しだだったり

 暴力だったり

 犯罪だったり

 嘘だったり

 幻想だったり

 作り替えられた記憶だったりする

 また午前零時の涙だったり

 永遠の夢だったりする

 

 世界の終わりが来ても

 彼女は欠落していて

 世界は手を伸ばすところにあっても届かなくて

 

 諦めろと

 誰もが囁く

 それは真理だとわかっているけど

 

 諦めきれずに

 彼女は

 ずっと

 彷徨っている

 

 そして彼女は呟く

「時間なんてどうにでもなるのよ」

 いったい、いつから誰とも話をしていないのだろう? 一昨日、三日前、それとも一週間か・・・・・・

 僕のまわりにあるものが現実感を失っている。パソコン、システムキッチン、テレビ、ボールペン、etc

 それらのものは、透明な薄い膜に覆われていて僕を拒絶している。ここにあるけど、本当はここにない。

 僕はうんざりして外に出る。

 大きなマンションの前に広い駐車場がある。その駐車場には自動車が一台も停まっていない。何もない。ひょっとして、ここは名もない戦士たちの墓地かもしれない。アスファルトの下に無数の兵士の死体が埋められているかもしれない。

 夜空を見上げると小さな星が2つ光っている。薄い雲が信じられない速さで空を駆けている。雲の隙間から僕の知らない星が顔を覗かせる。

 ショッピングモールでは本屋だけが開店している。4階のその一角だけが、ぼんやりした灯りの光がある。

 僕はそこで麦色の本を見つける。

 ミシェル・フーコーはニーチェに耳元でこう囁かれた。「人生の楽しみ方を教えよう。いいか、人生は危険なほど楽しいものだ」

 フーコーは考える。「自由ほど抑圧的なものはない」

 僕はその本の重みを手の中で感じる。

 

 部屋の中で男性がお尻を出していた。男にしては綺麗な尻だ。丸みがあり艶やかだ。僕はふざけでそのお尻に回し蹴りを放った。

「パチッ」という華やかな音が響いた。

「虐待だ!」

 僕の同僚が隣の部屋につながる廊下から言い放った。

 僕は冗談のつもりで軽く蹴っただけだし、痛みはほとんどないはずだ。だから同僚の言葉に嫌な感じがした。

 しかし彼は僕の表情の変化などお構いなしに部屋に入ってきた。そしてキッチンのスペースをチェックした。そこには薄汚れた空間があるだけで、台所関係のものはないもない。同僚は周囲を見回した。

 部屋の中には工事用の作業着を着た男たちが十人近くいた。彼らは何もせず、ただつっ立っていた。その表情は死人のようだ。

 僕は思い出したように四方を囲んでいる窓を見た。その窓は外から見えないようにベニヤ板のようなものが打ち付けられている。その作業は荒っぽいもので、所々に隙間がある。しかしその隙間から部屋の中の様子が明らかにはならない。

 僕は先ほどのキックが表沙汰になることがないと思い安堵した。