世界一幸せな人間と、
世界一不幸な人間の違いって
どのくらいあると思いますか?
どーも。
今日は箱根駅伝ですねー。
今、私は預かっている子ども達と、
私の実家にいます。
私の実家の近くに、
箱根駅伝のコースがあるので、
駅伝を後で子ども達は旗振って応援しに行きます。
私も気が向いたら応援しに行きます。(笑)
さてさて。
今日は、
世界一幸せな人間と、
世界一不幸な人間の違い
について考えてみたいと思います。
どのくらい違うと思います?
まず、結論から言ってしまうと、
そんなに違いはありません。
というのが答えですね。
だって、両者とも
人間なんだから。(笑)
羽が生えてる訳でもないし、
かめはめ波が打てる訳でもないし、
家に未来の世界の
ネコ型ロボットがいる訳でもないし。(笑)
両者ともオギャーと生まれた時点では、
そんなに大差ない訳ですね。
もちろん、環境によって大差があるとも考えられますが、
生まれたその瞬間においては、
大人になった時よりも、
そんなに大差はありません。
受けてるストレスは
それほど違いない訳ですから。
もちろん、お母さんの
おなかの中にいる期間の事を考えると、
まったく同じとは言えないですけど、
そんなに違いはない訳です。
と、いうかこの話。
ちょっと進めていくのが難しいので、
少し定義を決めて生きたいと思います。
「幸せ」の定義ですね。
「幸せ」ってどういうことでしょうか?
お金持ちで生活することでしょうか?
美人のお嫁さんと、
イケメンの旦那さんと
結婚することでしょうか?
病気にならずに健康に暮らすことでしょうか?
みんなの人気者として生きることでしょうか?
大きな夢をかなえられる人生の事でしょうか?
どれも、幸せの定義の中に入る可能性はありますが、
それを幸せの定義とするのは、暴論だと私は思います。
むしろ、こういうことを「幸せの条件」だと思いこんでいる人は、
どちらかというと不幸な人生を送っているとも言えますね。
だって、これらが「幸せの条件」ではないからです。
ちょっとそのあたりの事をお話しましょうか。
たとえば、よく言われる事が、
宝くじで大金を獲得した人は、
逆にその後不幸な人生を送っている。
という事実。
私も、噂話ではなくひとりそういう方にお会いした事があります。
家族はぼろぼろになってみんなバラバラになってしまいました。
宝くじなんて当たらなければ。。。
と、そう言ってましたね。
みんながその大金に目がくらんでくるんですね。
「遺産相続」の問題も似ていますよね。
その問題によって、
兄弟の仲がめちゃくちゃになるなんて話は、
よくある話です。
つまり、お金を持つ事が
幸せの条件であるとは言い切れない訳ですね。
もちろん、お金があれば解決できる問題も
あると言えばあるので、
その人に相応しい収入があればよいのではないかなと思います。
問題は、「相応しい」という部分ですね。
もうひとつある事例をお話しましょうか。
ある高校生の方のお話ですが、
活発なお子さんだったんですけど、
クラスの中では馴染めずに、
孤立してしまう子だったんですね。
別に「みんなに馴染めない」というのは、
それほど深刻な状況ではないんですけどね。
「みにくいあひるの子」をイメージしてもらえば
分かると思いますが、
ただ単に「そのコミュニティにおいては浮いてしまうだけ」
それだけなのに、「落伍者」のように見られてしまう。
そして本人も段々「自分はダメなんじゃないか」と誤解してくる。
で、そういう状態をやはりまわりが「許さなかった」のでしょう。
彼は不登校になってしまいました。
だけど、高校になったら
どうしようという気持ちをしっかり持っていたので、
彼は自分なりに人生設計をしました。
そして、彼は定時制の高校を受けることを決めたのですが、
親に止められて、普通高校を受ける事になりました。。。
その結果どうなったかというと、、、
彼は自殺してしまいました。。。
私は、彼が自分で決めた人生を生きる事ができれば、
自殺なんてしなかったと思っています。
むしろ、今頃幸せな人生を送れていたと思います。
「幸せ」って何か?
それは、
自分の生きたい人生を、
自分の持っているエネルギーの
100%を注いで、
生きること。
これが「幸せ」なんだと思います。
これを「幸せ」だと思えない方は、
このまるクリではどうしようもできないので、
他に行った方がいいですよ。
金持ちこそが幸せだとかいう人を
私は相手にしたくもないし、
するつもりもないので。
と、いうことで、「不幸」という状態は
どういう状態であるかというと、
自分の生きたい人生を生きる事が出来ない人。
の事だと私は考えます。
いいんです。
ホームレスだって。
病気だって。
なんだって。
自分が生きたい人生を
生きている結果がそういう状態であるならば。
おそらくこう反論する人がいるかもしれません。
「じゃあ自分が「死にたい」と思う人は死ぬ事が幸せなのですか?」
みたいな。
本当にそういう生き方がしたいのであれば、
それがその人にとっての「幸せ」なのだと思います。
まあ、このあたりはよいとして、
「じゃあ、人を殺す事が自分の生き方だと思う人は?」
みたいな場合はどうでしょうか。
相手も
「誰かに殺される事が自分の幸せだ。」
と、思っている人であるならばそれで良いとは思いますが、
「誰かに殺されるなんて絶対に嫌だ。」
と思っている人を、
いくら自分が「誰かを殺したい」と思ってたとしても、
殺してしまっては、自分は幸せになれるかもしれないけれど、
誰かを不幸にしてしまうのだから、
そういうことはしてはいけない訳ですね。
自分にも幸せになる権利はあります。
だけど、自分以外の誰かさん達にも、
自分と同じだけ幸せになれる権利がある訳です。
ここをまずは忘れちゃいけないんです。
なんでかって?
だって、
この部分が分からない人が多いから、
世の中、不幸な人だらけなんです!!
普通は、みんな幸せになっているはずなんです。
なのに、そんな、
自分の生きたい人生を、
自分の持っているエネルギーの
100%を注いで、
生きること。
が出来ている人。
あなたも含めて、
あなたのまわりにどれだけいますか?
ほとんどいないと思います。
それは、
自分にも幸せになる権利はあります。
だけど、自分以外の誰かさん達にも、
自分と同じだけ幸せになれる権利がある
これが分からないからです。
だから、「自分が、自分が!、自分だけが!!」
みたいな気持ちが強くなって、
誰かから奪うような人生を送ってしまうため、
自分も幸せになれないし、
まわりの人達も幸せになれていないのが、
今の世の中の現実です。
まあ、そんなに「奪い合い」をするのはよくないと、
今度は自分を抑え込む生き方をしたりしますね。
そうしないと
KY野郎とかまわりに言われてしまいますからね。
なので、今度は奪い合いはしなくなるのですが、
自分の生きたい人生に、
自分の持っているエネルギーの100%を注ぐ事
をやめてしまいます。
そうするとどうなるか?
自分の持っているエネルギーのMAXが下がります。
たとえばあなたのエネルギーの100%が、
5600だとしましょう。
そうやって自分のエネルギーを出さなくなることで、
5600→4000→2000→1000→500→100→20→3→。。。
みたいな。こんな感じになって来る。
これじゃあなんのために
生きているのかわかりゃしない。
自分のエネルギーのMAXを上げつつ、
誰かから奪うような生き方ではなく、
自分の生きたい人生に、
自分の持っているエネルギーを100%注ぐ。
そういう生き方が
「幸せ」
なのだと私は定義します。
みんなこの感覚というか生き方が分からないのです。
あるタイプの人は誰かから奪う事で
自分だけ「幸せ」になろうと躍起になり、
あるタイプの人は、
誰かから奪うような生き方はよくないと、
空気を読んで、自分のエネルギーを
発揮する生き方を放棄する。
今の世の中、不幸な人というのは、
このどちらかの生き方をしています。
もしかしたら。この両方なんて人もいるかもしれません。
自分のエネルギーのMAXを上げつつ、
しかも誰かから何も奪わず、
しかも、自分の生きたい人生に
自分の持っているエネルギーの100%を注ぐ生き方。
そんな事ができるのだろうか。。。
「できるわけないだろ。。。」
と、思う方は頭が固いのです。
体も固いのです。
だから、身動きが取れないのです。
できるから、世の中には
自分の生きたい人生に
自分の持てる100%のエネルギーを注ぎ込んで、
100%幸せに生きている人が存在するのです。
そんなに難しい事ではないのですけどね。
だけど、凄い難しいことも分かります。
それはなぜか?
人は生まれた時から
不自由な生き物だから
です。
日本人の場合、
本当に条件なしに自由になれるのは、
16歳ぐらいからですよね。
もっと言ってしまえば、20歳。
つまり、
日本人は、20年間不自由な人生を
生きなくてはいけないハンデを背負っている。
ってことなんです。
特に、一番不自由な生き方を強制されるのは、
義務教育の9年間
といえると思います。
もっと言っちゃうと、
中学時代の3年間は
地獄としか言いようがありません。
さらに、学習塾やら、
受験勉強やら、部活やら。。。
本当に自分がそれを心から
やりたいというのであれば、よいけれど、
そんな人間ほとんどいません。
部活に関しては、やりたい子もいるとは思いますが。
とにかく、
「自分を出せない期間」というものが、
自分を蝕んでいく訳です。
本当に、疲れている時に無理やり起きて、
疲れきっているのに、電車の中でギューギューに立たされて、
痴漢と間違われないかとビクビクしながら、
頭もボーっとしている状態なのに、
会社に行って、なんか頭の悪い結果しか求めない
馬鹿そうなオッサンの指示通りに、
椅子に座ったまま8時間も仕事をし、
また、電車でギューギューになりながら家に帰る。
本当にこんな生き方したいのでしようか?
疲れている時は、会社とか関係なしに
ゆっくり休みたくありませんか?
いつでも会社に行ってよいなら
わざわざギューギューになって通勤したいですか?
本当だったら、家で仕事ができるのであれば、
家でしたくないですか?
と、考えた時、
「いやいや、私は疲れている体にムチ打って、
無駄に通勤電車でギューギューになって、
となりのいやらしそうなオッサンが
もたれかかってくるのを、我慢しながら通勤して、
会社の上司のつまらないオヤジギャグに
愛想笑いするのが大好きなんです。
「私って生きてる!!」って感じがするんです!!」
というのであれば、
たしかに良いのかもしれません。(笑)
そんな人いるのかなーほんとに。。。
私には無理です。
だから会社勤めはしません。
これからもするつもりはありません。
自分が幸せになれない事を知ってるからです。
だけど、「30過ぎて会社員じゃないなんてダメ人間」なんて思いこんだら、
大変な事になります。
おそらく今頃私は、病院通いの薬漬け人間になっていた事でしょう。
今の私の生活は、ある意味、週休0日制です。
逆にいえば、私の生活はある意味、週休7日制です。
つまり「自由だ」って事です。
もちろん生活に困らないだけの収入も得ています。
もっと言っちゃうと、人がやりたくても
できないような仕事もしたりしています。
サッカーが好きな人だったら誰もが
知っているような有名人とも仕事をした事がありますし。
この前は、世界でも有名なある業種のアーティストの方達と、
クリスマスパーティをしたりもしましたね。
最近の話で言えば、
六本木にある有名人達が御用達のなんとも癒えない多国籍クラブで、
ポールダンサーそっちのけで
念願のポールダンスを披露して店員を困らせたりもしましたね。(笑)
それだけ自由な生き方をしています。
すごい、ストレスにならないし、
日に日に私のエネルギーのMAX値は上昇していますね。
「おいおい自慢話かよ。。。」
と、思いましたか?
そう思ってしまった方は、
自分の生きたい人生を生きられていないって事です。
だって、幸せな人は私の生き方を見て、
嫌悪感を持たないからです。
だって、私の人生。
別に誰かから何かを奪って
実現している人生ではありませんからね。
もうひとつ言っておきます。
こういう生き方は、
あなたが望めば誰でも出来る事なんです。
だけど、あるものを捨てなければ
絶対にできないですけどね。
どんなに能力が高かろうが「あるもの」を捨てなければ、
こういう生き方は出来ません。
それはなにかというと、
あなたの中にある
常識
です。
実は多くの人達が幸せな人生を送れない原因は、
常識に縛られてしまうから
です。
「空気を読む」というのも、
自分以外のなんか良く分からない暗黙のルール。
のことですよね。
多くの人達が幸せになれないのはこれが原因であり、
心の病にかかってしまうのもこれが原因です。
トレードオフの時に私の知り合いの方が
そううつ病になってしまった話をしましたが、
「うるせーオッサンがギャーギャー言ってるし、
こっちの言ってること分からないみたいだから
高校なんてやめちゃお。」
と思えば、そんな病気にかかることはありませんでした。
「高校はぐらいは出ておかないと。。。」
みたいな常識が彼の人生を蝕んだのです。
私に関しては、小学校でしたから、
辞めるにも辞めれません。
だけど、行くべきではありませんでした。
と、いうかその原因となったのが
音楽とか図工の時間だったので、
その授業を受けなければよかったのです。
「受けたくない授業なんて受けなくていい」
なんてことは考えられなかった訳です。
結局、不幸せになるのは、
「義務的な事、常識」
からどんどん不自由になっていくからです。
特に、親がこのあたりを分かっていない場合、
親のせいで、
子どもが不自由になったりします。
しかも、皮肉な事に、
不幸な人生を送っている人の中で多いのは、
学校の教師の子ども
だったり、
警察官の子ども
だったりとか、
医者の子どもだったり
だとか
「いかにも」みたいな人達の子ども達の方が、
なんか自分らしくない人生を
送っているケースが多かったりします。
これは、ここまで説明すれば分かりますよね?
彼らは、
常識のど真ん中で生きている人間
だからです。
自由の効かない職業で生きている人というのは、
だいたい子どもを自由に育てる事が出来ていません。
自分の信念を、
子どもに押し付けたりするケースが多いからです。
もはや、残念な事に
負の連鎖が凄まじいって事なんです。
学校に通えば通うほど、
子ども達は不自由になり、
自分の人生に自分のエネルギーの
100パーセントを注げなくなる。
挙句の果てには、
卑屈になって、
なんでもいいから、
とにかく職につけさえすればそれでいい。
みたいな人生を送ってしまう。
そりゃあ、病むのは当たり前だって話です。
そんな生き方は、ストレスしか
生まない生き方だからです。
何かにチャレンジする時、
ストレスはかかります。
だけど、これは必要なストレスであり、
別にこのストレスを悪だと見る必要はありません。
善玉ストレスと考え良いです。
だけど、自分の生きたい人生とは違う
「義務」
「常識」
「空気読んだ生き方」
みたいなことを我慢した時に生じたストレス。
これは過剰すぎます。
だって、不要なストレスですからね。
ストレスを過剰に受けなければ、
病気になんてなりません。
もっと深いところで見れば、
「病気になったからこそ見えてくる世界がある」
なんて特別な人もいますが、
そういう人はむしろ幸せだったりします。
問題なのは、
自分の人生も生きないし、
病気にもならないで、
延命治療というか、
節電みたいな人生を送っている人達です。
正直なところ、そういう生き方って、
本当に生きているといえるのでしょうか?
私は、死んでいるように見えてしまいます。
自分の人生は一度しかありません。
くだらない義務や常識に縛られて、
自分の生き方に100%エネルギーを
注げない生き方をしていては幸せにはなれません。
ちょっと勇気を出してみてください。
まわりに合わせるという事をあなたがやめた時、
常識に照らし合わせて生きるという生き方をやめた時、
あなたは、ようやく「自分の人生」を
歩む事がスタートするんです。
あなたは、「自分の人生」を
本当にスタートさせて生きていますか?
あなたは、自分のお子さんたちに、
「自分の人生」を歩ませていますか?
実際、「義務」「常識」という言葉によって、
「自分の生き方」を放棄している人達がたくさんいます。
私達の生命は「常識」によって作り出されたものなのでしょうか?
私達の生命は「空気を読む」ことによって作り出されたのでしょうか?
自然は?地球は?宇宙は?
彼らは、私達のようなくだらない常識によって縛られていません。
私達人間も、彼らと同じように、
自由な存在なんです。
人が作ったルールに縛られたら不幸にしかなれません。
従うのであれば、宇宙や自然達が
従っているルールに従うべきです。
体や心が悲鳴をあげている時に、
「もっと頑張れ」「社会人ならあたりまえ」なんてルール、
人間界以外には存在しません。
もっと言っちゃえば、日本人ぐらいじゃないですか?
世界の人達はもっとゆったり生活している人の方が多いですよ。
日本があなたにとって窮屈ならば、
日本の外に出ればいいんです。
あなたはもっと自分の生きたい人生に、
自分の持っているエネルギーの100%を注ぐべきだし、
注げる存在なんです。
では、なぜそれができないのか?
あなた以外の「訳のわからないルール」が、
それをストップさせているだけです。
まあ、大人の人はもうしょうがない。
たしかにあなたのせいでそうなった訳じゃないのだけれど、
もう大人になっちゃったんだから自分の責任で生き方を決めるしかありません。
だけど、
もう子ども達に対しては
そういう生き方を
押しつけるのはやめにしませんか?
子の親であるあなたに聞きます。
そんなに自分の子どもを
牢屋に閉じ込めたいんですか?
そんな窮屈な生き方、
あなたの代で終わりにしませんか?
自分がそうだからといって、
なぜ、自分の子どもにまで同じ人生を
歩ませようとするのですか?
勇気を持って、
その訳のわからない鎖を断ち切ってください。
もちろん、できれば子どもにだけではなく、
あなた自身を縛りつけている鎖も、
勇気を持って断ち切ってください。
そうしたら、
あなたも、あなのまわりにいる人達も、
きっと幸せになることでしょう。
もし、あなたが今現在、
100%イキイキしていないのであれば、
足りないのは、
勇気
です。
今こそ、自分と向き合ってみましょう。
by まるクリ院長
