2018年7月
早速、参拝いたします。
両側には、狛犬さん
沖縄のシーサーのように見えるのは、私だけかな?
参道の先には、神門が見えます。
青島神社とは・・・
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)が海積宮(わだつみのみや)からご還幸された御宮居の跡とし、
御祭神は、 ・彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
・その妃神である豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
・塩筒大神(しおづつのおおかみ)
元来は海洋に対する信仰によって創祀されたと考えられ、古くから青島自体が霊域として
崇められていたそうです。
よって一般の入島は許されていませんでしたが1737年(元文2年)当時の宮司長友肥後氏が
一般の参拝者にも入島を許されるよう藩主に願い出て許可されたので、入島が自由になりました。
昔から聖域として保護されていたので、植物、岩石が自然のままに残っていることから、
それらは、天然記念物に指定されています。
すぐ左側にあるこの建物は、日向神話館
ここは、日本で初めての蝋人形神話館なんだとか・・・。
日向の地への天孫降臨から、海幸・山幸の物語、神武天皇による大和平定までを
三十体の蝋人形と十二の場面で再現しているそうです。
私たちが訪れた時は、まだ開館前だったようなので、スルー。
ちなみに、元巨人軍の長嶋監督の人形も展示されているそうです。
そして右奥に鎮座しているのは、御祖神社(みおやじんじゃ)
青島神社氏子神徒の祖霊並びに氏子戦病死者の霊をお祀りしています。
日向神話館から少し歩いたところに社務所(授与所)があり、
そのそばに“玉の井”と呼ばれる井戸(龍の口から流れる水)がありました。
古事記によると、彦火火出見命と豊玉姫命との出会いのきっかけとなった井戸とのことで、
病気平癒・家内安全など清めの水として水を汲みに参拝に訪れる方がいらっしゃるそうです。
周囲を海に囲まれているにもかかわらず、塩分はまったく含まれていないとのことでした。
この玉の井の手前にある“御神水器(ごしんすいき)”と書かれた器の中には、水が溜まっています。
これは、こちら↓の『願い符』の願い事を書き、息を吹きかけ、御神水器に願い符を浮かべ、
龍の口から流れ出た水を手のひらに取り、数回水をかけると願いが成就すると伝わるものだそうです。
神門の手前左側に手水舎
その奥に『掃守神事(かもんしんじ)』と書かれた案内板がありました。
賽物(賽銭・供物)や持物(硬貨・お札)を生命の母なる神水で清め、箒で掃うことにより
禊となって心身健全・金運財運発展の祈願となるのだそうです。
作法に従い、やってみます。
まず、願い銭(お賽銭)と賽銭箱に入れ、蟹ザル(そばにあった)に清めたいものを入れ、
神水につけながら願い事を唱えて箒にて清めます。
水気を乾かし、元に納めて(持ち帰る)終了。
その様子をじっと見つめるカニさん
そしてこちらが、修跋(しゅうばつ)の儀を行う祓串↓
「祓へ給ひ清め給へ」と唱えながら左・右・左と自分を祓います。
手水舎の向かい側にあるのは、“賽の目神事”
これは、置いてある賽の目を、願いをこめて転がし、
出た目が当人にとって今一番大切なものなのだそうです。
私は“厄”・・・慎重な行動をとりなさいとのお告げでした。
は、“学”仕事や趣味等の知識を深める気が満ちているので、
これからも学んでいきなさいとのお告げでした。
いよいよ神門をくぐって拝殿へと向かいます。
正面に鎮座しているのが拝殿。
まずはお参り・・・
社殿は朱色に統一され見ごたえのあるものでした。
そばに“御縁継ぎ”と呼ばれるものがあります。
これは、御縁(五円)、護重縁(五十円)を大きな五円玉の上部にある棒に通し、
横にある臼を回すそうです。
ちなみに御縁(五円)の人は一周、護重縁(五十円)だと五周だそうです。
しかし、私たちが訪れた時には、肝心の棒が見つからず・・・(早朝だから?)
拝殿に向かって左側に鎮座しているのこちらの御社は、石神社
御祭神は、豊玉彦命(とよたまひこのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
古くから婦人病にご利益があるとして信仰されているそうです。
そのそばには、石占の“おもかる石”
この丸い石が軽ければ、願い事が早く叶い、重ければ願い事成就が遠いとのことでした。
そして右側に鎮座しているのは、海積神社(わだつみじんじゃ)
御祭神は、彦火瓊瓊杵命(ひこほのににぎのみこと)
木花咲屋姫命(このはなさくやひめのみこと)
磐長姫命(いわながひめのみこと)
が祀られています。
この拝殿前から右へ瑞垣を抜けられるようになっています。
この先に青島神社の元宮(もとみや)が鎮座しているとのことなので、行ってみることにしました。
㉕ 青島神社 その3 につづく