2017年10月8日 日曜日
ケーブル山門駅となっている普明殿から、徒歩で上っていくことに決め、早速出発します。
少し歩いた右側に“順路”を書かれた案内板があったので、その小さな石段を進みます。
細長く続く参道のそばには、放生池がありました。
放生とは、生き物を逃がしてその命を救うこと
・・・亀や魚を放ち、善行功徳を積み、滝に打たれて修行する場だそうです。
その滝が、コレ・・・かしら?
また滝のまわりの石組は、江戸時代のままの姿を残しているそうですよ。
さらに続く石段をのぼっていくと・・・
吉鞍(よしくら)稲荷社が鎮座していました。
こちらは、五穀豊穣・各種産業の守護神として稲荷大権現が祀られています。
その脇からさらに奥に続く石段を上ると・・・
鳥居が3基、立っていました。
こちらの鳥居の扁額には、『鬼一法眼』と書かれ、
この鳥居には、『魔王乃滝』と書かれていました。
その先には、“魔王の滝”と呼ばれる滝が流れていました。
滝が流れ出る崖の上には、護法魔王尊が祀られているとのことでした。
そしてそのそばにある御社が、鬼一法眼社
ここは牛若丸(源義経公)に六韜三略(りくとうさんりゃく)の兵法を授けたと伝わる
鬼一法眼(きいちほうげん)が祀られています。
鬼一法眼は剣術の達人で京八流の祖とされていますが、牛若丸が兵法を習った鞍馬の天狗が
その鬼一法眼であるという説もあるんだとか・・・
武道の上達を願い参拝に来られる方も多いそうです。
そこから、左へと抜け、再び元の参道へと戻ります。
すると、すぐ先に、由岐神社の鳥居が見えました。
由岐神社とは・・・
鞍馬寺の鎮守社で、大己貴命と少彦名命を主祭神として「由岐大明神」としてお祀りしています。
通称 『靫明神』とも呼ばれている。
天変地異が続く都を鎮めるため、940年、御所内に祀られていた祭神をこの地に勧請したのが
始まりとされ、天皇の病や国難時に神前に靫(ゆき=矢を入れる器具)を奉納し、
平安を祈ったことで、靫社の名がつき、のちに現在の社名になったと伝えられている。
御祭神は、医薬の道をお授けになった医薬の祖神として、
また二柱共に天上神である皇孫に国譲りの大業をなしとげられたことことから事業の守護神として
仰がれている。
こちらが、手水舎
由岐神社の鳥居をくぐって、参拝します。
鳥居の後方に見える建物が、由岐神社の拝殿です。
豊臣秀頼公が再建された、中央に石段がある割拝殿(わりはいでん)という珍しい桃山建築で、
山の斜面を利用した懸造りとなっています。
この拝殿もくぐると、目の前に大きな杉の木が・・・!
石段を上ってその杉の木に近づくと、根元には、大杉社が鎮座していました。
この杉は、願掛け杉といい、樹齢800年、樹高は53m、京都市天然記念物に指定されていました。
古くから“大杉さん”と呼ばれ、一心に願えば叶うとされているんだとか・・・
その右奥には、岩上社
岩上社と向かいあうように、冠者社が鎮座していました。
さらに石段を少し上った左側には、白長弁財天社が鎮座していました。
そして由岐神社本殿前へと到着です。
この建物も秀頼公によって再建されたものだそうです。
本殿両サイドに安置されている石造の狛犬は国の重要文化財に指定されています。
子供を抱っこしているの・・・見えるかなぁ~
また京都三大奇祭例祭として知られる鞍馬の火祭が毎年10月22日に行われることでも
よく知られています。
小さな御社でしたが、参拝者がいっぱいです。
私たちもさっそく参拝・・・
本殿の左後方には、御神水
そのお隣に鎮座しているのは、三宝荒神社
火の神、竈の神として、古くからこの地に祀られている神さまだそうです。
参拝を終え、ご朱印をいただきました。
本殿から右へ進むと、参道へと戻れるようになっていました。
鞍馬寺の本殿までの道のりは、まだまだ・・・
もちろんこの辺りでは、まだ元気な私たちでした。
⑭ 鞍馬寺 その3 本殿までの参道 へとつづく