この影は乳がんですね
告知されてから2ヶ月と少し、怒涛の日々でした
それでもひとつ歳をとる〜
今日は私の誕生日です
(これまでの振り返りをしたのでちょっと記事が長いです)
朝から家族や友達からおめでとうと声をかけてもらう
いちばん嬉しいのは東京に住む子供からのLINE
この間自分で作ったというパスタの写真が添えられてた
しっかりやってるんやなぁ〜
それがわかるだけで、私にとっては何より嬉しいプレゼントでした
子どものことが乳がんの原因なん!?
乳がん告知後に
義母:〇〇ちゃんのことで気苦労が多かったから・・・
義妹:家族のことで頑張りすぎたから
友人A:子供さんのことでも大変やったからなぁ
子どものストレスで乳がんになったかのように声をかけられることが続いてびっくり
確かにこの5年間、不登校の子供のことで走り回っていたことは事実やけど
私は乳がんの原因が子供のことやったなんて全然思ってないけど
高校で子供が不登校に
子供は進学校である私学の高校に進みました
大学進学へのノルマはいろいろとあり驚きでいっぱい
その中でも子供にとって一番辛かったのは
特進コースの生徒は部活動への参加は禁止だったこと(他コースはOK)
中学で陸上部に入り、楽しい思い出もたくさんあった子供は高校での活動も楽しみにしてたんです
なのに高校生活3年間
・ただ大学受験のための通過点にしかすぎないような扱いを受ける
・学校の知名度を維持するため、有名国立大学に進学することこそが生徒の使命
これに子供は適応できませんでした
担任からなぜかターゲットにされ、ここには書けないようなことも言われたのです
言いがかりとしか思えないようなことでした
1年生の間はきちんと通学していたのですが、2年生になるとまず身体の症状が出ました
強い腹痛、頻回な下痢、吐き気、起き上がれない、食べられない
初めはIBDかと思い、いくつかの大きな病院を回りましたが症状は治らない
学校や担任とも多くやり取りしましたが、不信感も募るばかり
別室登校に切り替わったところで私達は決断しました
高校はやめよう身体や心を壊してまで行くところではない
通信制高校に編入
高2の2学期に通信制高校に編入
受験勉強からのプレッシャーからは解放されましたが、その代わりに
通常のコースから外れてしまった
周りの期待に答えられなかった
そういう負の感情にのまれてしまったようでした
予備校に通っても居場所がない
高校はやめても大学へは行きたい
そう希望したので、通信制高校と並行して予備校へ通わせました
でも現役の高校生を見ると自分だけが取り残されている感覚になるのでしょうか?
あの頃は私も、制服姿の学生さんを見るだけで涙が出てました
現役時代、1浪時代と別の予備校でしたがどちらにも1年通して通えることはなく・・・
部屋に閉じこもり、勉強しているのかどうかわからない姿にやきもきし、時にはぶつかることもありました
大学にこだわることはないんじゃないの?
そう伝えて、子どものプライドを傷つけただけのこともありました
1浪後にのぞんだ受験ではなんとか何校かの合格はいただけました
でも本人にとっては不完全燃焼だったようです
なりたい自分と世間の評価とがかけ離れていることに投げやりになっているようでもありました
このままで終わりたくない、2浪したいという子供をどう進ませるべきか正直悩みました
- 浪人し、予備校を変えてもまた通わなくなるのでは?
- もう1年受験勉強したからといって、レベルが上の大学に受かるのか?
- そもそも2浪は世間的にみてどうなのか?
- 今、受かってる大学に入って資格を取るなどの努力をすればいいのでは?
- また浪人したいのはできなかったことへの言い訳、逃げではないの?
- もう1年、時間もお金も無駄にするんじゃないの?
ぐるぐる考えて、話もたくさんし、結局は私達も腹をくくりました
あかんかったらまたその時に考えよう
やらない後悔よりやる後悔
この先の人生で「あの時やっていればよかった」が一番心残りになる
2浪目で本気出す
浪人生専門校舎がある予備校を選びました
老舗のS予備校です
ここがよかった
浪人生しかおらず、多浪生もいる
自分だけではない、みんないろいろ背負ってがんばっているということがわかった
また担任の先生との相性も良かったようです
高校の担任とのやり取りで先生への不信感が根強かった子供
でもS予備校の先生との関わりで大人に対しての信頼感を取り戻し、自己評価を上げる事もできたようでした
子どもの自信を取り戻してくれた先生には感謝です
晴れて大学生になれました
今春、MARCHの大学群の1校に進学し、念願の東京でのひとり暮らしを始めました
普通のお子さんにとっては、何ということもない進学先かもしれませんね
でも全日制高校に通えなくなり
普通の学生がたどる通常ルートを外れた
もう自分には価値がないのではないか
そう思い込んでいた子供にとっては大きな1歩となりました
この子はもう一生外へ出ていけないかもしれない
と覚悟したこともあったので、私たちもホッとしたのは言うまでもないです
子どもはがんの原因なんかではない
私も今回予期せぬがんにかかりました
今年、起業する予定で進めていたことが全部白紙に戻りました
だけど
何かあったとしてもやり直せる
あきらめる必要なんかない
子供はストレスの原因なんかではなく、私に大事なことを教えてくれました
まだ乳がんのことは伝えていないのに
身体が資本のスタンプが送られてきて、涙がボロボロ出ます
お母さん、まだがんばるよ
やりたかったこと、形が変わってもやるから