宮崎市小松にある 若宮神社

小さな川にかかる橋を渡ると

道路沿いにあります

 

 

壇ノ浦の戦いで 平氏滅亡後

悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)は

源氏より日向国宮崎郡に三百町を給わって下向

※悪七兵衛景清の「悪」は、悪いという意味ではなく、強いという意味を表しています

この神社は

景清公によって勧請されたと伝えられています

 

『景清』という演目があるそうです

源平の勝利で戦が終わった後、

平家方の武将で、勇名を馳せた悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)は、盲目となり、日向国へ流されました。

景清はかつて、尾張国熱田の遊女との間に一人娘、人丸をもうけました。人丸は鎌倉に住んでいたのですが、風の便りに景清が存命していることを知り、お供と共に日向国宮崎へ景清を訪ねます。

悪七兵衛景清の「悪」とは、強いという意味を表しています。平家一門の中でもひときわ勇猛な武将として知られていました。そんな名将が敗者となって落ちぶれてしまう人生の悲哀、そして離れ離れだった景清の子が、親に会いたい一心で、遠路かまわず駆けつける人間の情愛の深さなどを、静かに描く名作

 

泣いちゃうかも泣くうさぎ

 

景清を題材とした 歌舞伎 浄瑠璃 もあるそうです。

 

これだけ勇猛な武士だったからこその逸話が

他にも残っていて、なるほどと納得します。

 

 

 

御祭神 

大鷦鷯命おおさざきのみこと(仁徳天皇)

 

末社

素戔男命

稲荷神社

 

 

境内には

石の文字塔のようなものがいくつかありました

 

          庚申

 

  月天子

 

 水神 摩利支天 不明 水神 山神


摩利支天は、武将の戦勝の神

景清公も大切にしていたのかもしれません

 

この若宮神社は

すぐそばの大谷川改修工事のため

元あった場所から数百メートル西に移され

今の拝殿は昭和4年建立されました。

もしかしたら、もっと石塔などがあったかもしれません。

 

 

拝殿左横に 天満宮の鳥居 があります

 

天満宮鳥居むこうに 3社ありました

 

そして 拝殿右に 1社ありました。

 

4社は、

天満宮

秋葉神社

稲荷神社

八坂神社

 

 

太陽が輝いてきれいでしたニコニコ

 

空 と 太陽 と 森 が

なんか、目ん玉みたいだなと思ったのです。

 

あとから思い返してみれば、

まさか

景清公の目ん玉?

 

景清公が 

自分の目をくりぬいて 空に投げ 

落ちた場所とさるところが

宮崎市生目の 生目神社 にあります。

 

目の神様として 親しまれています。

 

生目神社は、子どもの頃から馴染みがあり

好きな神社なのですが

若宮神社が、景清公が勧請した神社だと

最近知り、参拝に至りました。

 

感謝