宮崎市下北方町の平和台公園にある
平和の塔
もっといい写真があればよかったのですが手元にこの写真しかなくて
戦後は「平和の塔」と改称されましたが
正式名称は
「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」
通称「八紘一宇の塔」
「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」は
1940年の神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝うにあたり、宮崎神宮の拡大整備事業でつくりあげられた。
1939年(昭和14年)から工事開始
県内から動員された学徒を中心とする、延べ約6万人の労働により、翌1940年(昭和15年)11月25日に完成し、高松宮宣仁親王を迎えて落成式典が行われた。
塔の正面には
「八紘一宇」の文字(秩父宮雍仁親王筆)が刻まれ
四方に
武人である「荒御魂(あらみたま)」
商工人である「和御魂(にぎみたま)」
農耕人である「幸御魂(さちみたま)」
漁人である「奇御魂(くしみたま)」
の信楽焼の四神像が配置された。
戦後、GHQの命により
1946年(昭和21年)1月
「八紘一宇」の碑文は削り取られ
武人の象徴であった荒御魂像が撤去された
塔内に保管されていた秩父宮雍仁親王の揮毫「八紘一宇」も撤去処分対象だったが、宮崎県職員によって密かに運び出され、宮崎神宮の倉庫内に隠され守られた。
「八紘一宇」という言葉は
神武天皇が橿原で即位された時の勅語の一節「八紘を掩いて宇と成さんこと亦よからずや」という建国の理想からきている。
世界平和を願ったものなのだが
日本を占領したGHQ司令部は昭和20年12月「八紘一宇」という語の公文書における使用を一切禁止した。
その後、復元と保存の機運が起こり
昭和37年になって「荒御魂」像が
昭和40年には「八紘一宇」の文字が復元された。
八紘之基柱の全景は、1944年に発行された十銭紙幣の表デザインに採用されている。
「世界平和を謳うオリンピックの精神と『八紘一宇』は同義」であり、1964年(昭和39年)9月10日には、東京オリンピックの聖火リレーのスタート地点となった。
その時使用した聖火台は、今も平和台公園内の「はにわ館」横に飾られています。
人には 一霊四魂 があります
一霊四魂の中心が直霊
直霊
荒魂
和魂 ― 幸魂、奇魂
直霊(なおひ) 内なる神性の中心的存在
荒魂(あらみたま) 現象化をもたらす内なる神性
和魂(にぎみたま) 調和・統合の働きをする内なる神性
幸魂(さきみたま) 智慧・洞察力・人生開花を司る内なる神仏
奇魂(くしみたま) 奇跡・超常的パワーを司る内なる神性
GHQが奪った「荒魂」は
達成する力
勇気をもって行動する力
果敢に立ち向かい打ち勝つ力 です。
日本の八紘一宇(世界平和)のおもいを
達成できないように
勇気をもって行動できないようにした。
あきらめて、
どうせダメだと思わせるようにした。
日本人の魂を恐れた
見えるものだけ奪うのではなく
見えないものまで奪いにかかった
日本人の
魂に刻まれているのもは
なくなりません
日本人の 荒魂・和魂 の発動は起こっています。