髙屋神社

宮崎市村角町橘尊1975

 

(むらすみちょうたちばなそん)

 

尊い地名なのだと思いますニコ

 

髙屋神社の辺りには、

高尊(たかそん)中尊(なかそん)安尊(あんそん)阿波(あわ)古郷(こきょう) などの地名があります。

 

髙屋神社

夫婦楠が出迎えてくれます

 

 

この日は、強風で

注連縄を ブオーブオーと揺らし

仲良く 楽し気な 夫婦楠でしたグリーンハーツ

 

夫婦楠の間から 鳥居が見えます目

 

 

鳥居に到着

 

 

 

丸レッド御祭神丸レッド

彦火々出見命
豊玉姫命
景行天皇

 

当社は、日向御三代皇神第二代の彦火々出見命御陵降誕神話の舞台である村角の里に、千古の昔より鎮座しております。

『日本書紀』神代巻下に鹿葦津姫(木花開耶姫)ご出産の折り、御子(彦火々出見命)の臍の緒を切って捨てた竹刀が後に竹林となり、その地を竹屋(たかや)と名付けたとあり、社名の由来を物語っております。又、これに因み当社は、安産育の神と崇められてきました。社殿西方の古墳は、命の御陵(みはか)「髙屋山上陵」と伝わり、古来昇る者や近づく者は無く、畏れ敬われていました。村角には他に安尊・袍ノ尊・天神川・御手洗川・犬ケ城といった神話縁の地名数多く残されており、古き伝承と民族を大切に受け継いできた里人の気質が窺えます。

 

時代は降り、第十二代景行天皇の熊襲御親征の際、当地に行宮「髙屋宮」が建てられ、六年間御駐輦されたと『日本書紀』巻第七に明徴されています。武内宿禰が山稜聖跡である当地を選定したもので、約一千九百年前から皇神を崇め祀り、社殿が創建されたものと考えられています。次いで仁明天皇嘉祥二年の当社旧社家系図に神官就任の記録があり、古代における祭礼の執行を証しております。

 

平安末期から戦国期にかけて宇佐宮領村角別府が成立し、久しく髙屋八幡宮と称していましたが、延岡藩領となった江戸期の宝暦年間に髙屋宮に復しています。明治に入り現社名となりました。

 

近世初頭の慶長十六年社殿改棟札をはじめ、近現代にかけての棟札多数が残されており、古代から現代へと至る連綿とした祭祀と信仰の継続が国史上に明らかな宮崎県内屈指の古社であります。

なお、現社殿は明治初年に造営されております。

 

 

宮崎神道青年会HPより

創建は、古老の伝えるところによれば、一〇七代後陽成天皇慶長十六年(1611)社殿改造の棟木あり、また仁明天皇嘉祥二年(849)当宮の祠官となった旧社家の系図があることから、その古いことがうかがえる。
当社西方の小高い処は、彦火々出見命の山陵と言い伝え、「日本書紀」にいう「日向の高屋の小陵に葬る」とあるのは当地であると伝える。また景行天皇が六年間ご駐輦された高屋行宮址とも伝えている。このことは「日向五郡八院旧元集」に、「景行天皇が十一月日向の国に到り行宮を起こしてここに居たまう。これを高屋宮という。武内宿祢、彦火々出見命の山陵を知り、そこで御鎮座を定めた。これが村角高屋八幡宮である。」と書かれている。
山陵付近には命にちなむ地名が残っている。竹園(たけぞん)は、命のご降誕の時その臍の緒を切った竹刀を投げた所と伝える。袍ノ園(いやんそん)は、命の臍の緒を切った所と伝える。安園(やすぞん)は、命のご降誕の地と伝える。その他、天神川・御手洗川、犬ヶ城等の地名が残っている。
当社はもともと高野(高屋)八幡宮と称していたが、宝暦時代以降高屋宮と称するようになり、明治になって高屋神社と称し現在に至る。

 

 

髙屋神社は 緑の保全地区

 

手水舎

 

 

猿田彦神石塔が 多く残されています

 

 

 

 

 

 

 

弘法大師も祀されています

 

 

 

拝殿へ 

 

 

1月下旬の参拝で

まだ御正月の雰囲気が漂っていました

 

 

座布団に鎮座する

大きな打ち出の小づちが気になりました

 

 

「満珠・千珠」

よーく見てみました目

 

龍の手の中に珠

右端の波に珠

龍のしっぽに珠?うーん

 

どれが何だかよくわかりませんでしたガーン

 

 

「満珠・千珠」のすぐそば 若宮神社

 

参拝お願い

 

小さくて、年月を感じさせる風貌で

かわいらしい狛犬

 

 

ナギの木

 

 

 

 

髙屋山上陵

彦火々出見命御陵墓 へ

 

 

竹の鳥居から入ります

 

 

 

 

 

左が、寄付した方の名前が彫られた寄付石

 

他2体は、経年で形が削られてしまっていますが、おそらく、阿吽の仁王像

 

 

こちらが、御陵の中心

 

 

 

寄進された石塔

 

参拝お願い

 

 

髙屋神社の敷地内にもう1つ神社があります

 

 

奥の社殿が 美録神社

 

「みろく」なのか?

「びろく」なのか?

 

弥勒菩薩と関係があるのか?

美しいもの大切なものなどを、記録してあるのか?

コノハナサクヤヒメと関係があるのか?

 

分かりませんでした。

 

 

近くに、霧島神社やお寺などもあり

信仰深い地域だったのだと思います。

 

 

近くの 曹洞宗天正寺

 

 

古い石塔が多くあります

 

 

 

下三角下三角下三角下三角下三角下三角下三角下三角

「高屋神社」という名称の神社が

宮崎県西都市にも在ります 

 

 

神社発祥の由来は異なりますが

今現在の神社名は、同じです。

 

こちらも、景行天皇

熊襲征伐で 日向国に入り

御駐輦した地です。

島津氏の祖・惟宗忠久(これむねのただひさ)が、建久8年(1197年)に創建した

島津稲荷神社

 

島津忠久(惟宗忠久)は、大阪の住吉稲荷で生まれたという伝説があります指差し

 

忠久の母の丹後局は、源頼朝の正室・北条政子のねたみから鎌倉を追われ、僧永全とともに難を逃れて西国に行く途中、大阪の住吉神社で産気づき、頼朝の子として初代島津忠久公を生んだとも言われています。

このとき、暴雨風の中で守ってくれたのが稲荷大明神の狐火だったそうです炎

 

 

犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬犬

 

 

 島津稲荷神社へ⛩️

 

 

鳥居をくぐり 振り返ると

 

 

鳥居の 向こうに

大通りに面する一の鳥居が見えます

 

 

『三国名勝図会』には

御祭神

倉稲魂命

瓊瓊杵尊

伊弉諾尊

 

と記されているが

 

現在は

豊受媛大神

大宮売神

猿田彦神

 

を祭神する

 

平和記念之碑

 

社務所

 

 

参道を進みます

 

 

手水舎は、撮影の仕方が少し傾いているのもありますが、実際も結構傾いていて、ちょっとトリックアート感覚になりました無気力

 

 

植込みの中に 意味ありげな石がありました

 


 

 

二社を過ぎ

参道を進み

拝殿へ向かいます

 

 

この日は、あと数日で新年という年末

 

駐車場に人はいましたが、境内には人がなく

たくさんの雀と私だけ

 

また振り返ってみました

 

 

んー いい天気だ 照れ

 

 

大樹の根元に 小さな御狐ちゃんたちがいました

 

かわいー ラブ

 

 

こっちの木の根元にも ラブ

 

 

うふふ笑 うふふ笑 と

御狐ちゃんたちを見て

一人でニヤけていました 

(ひとに見られてなくてよかった)

 

 

参拝お願い

 

つづいて

拝殿の左の社へ

 

 

エイブルカラーの奉納旗がズラリびっくり

 

何十旗ものエイブル旗の中を通り

 

 

参拝お願い

 

つづいて

拝殿の右の社へ

 

 

こちらは赤い旗で

いろんな会社さんの名前があります

 

 

参拝お願い

 

 

狐ちゃんも居るけど

ウサギちゃんも居ましたうさぎ

 

 

またしても 振り返ってみました

 

 

緑と赤の旗は、陰陽なのか?

 

エイブルさんが社色の旗にしたかったから、たまたまそうなっただけとは思います

 

来た参道ではなく、こちらからも駐車場へ行けます

 

こちらも 大樹が いくつもあります

 

 

鳥や小動物

狐ちゃんたちの隠れ家にもよさそうです

 

 

道路から 神社をみました⛩️

 

気が付けば

振り返ってばかり爆笑

 

去年1年での最後の参拝神社で

自然と、1年間を振り返っていたのかな?と思いましたニコニコ

 

ありがとうございました

髪長媛を祀る早水神社から

車で7分車

 

髪長媛の弟・五百津御毛主大神(いおつみけぬしのおおかみ)を祀る乙戸神社に到着

 

この日は、午前に都城での用事を済ませ

昼前から3か所をまわりましたニコ

 

 

 

すでにグレーの静まりかえった空だったのですが

 

乙戸神社に着いて

パラパラと雨が降ってきました

 

写真は、相変わらずグレーがかって色味がありませんが

乙戸神社 参拝をご覧くださいニコニコ

 

 

乙戸神社

 

霧島酒造本社にもほど近い住宅街にあります

神社の隣は、下川東自治区公民館

 

 

この神社は、北郷讃岐守入道沙弥道端が沖水川の川端に建てたものが洪水のため、志和池の野々谷に流されたのを北郷家六代義久公が延徳二年(1490)にこの場所に再建された。

 

沖水川は、今ある乙戸神社から1㎞ほど離れているところにあります

そこから、志和池の野々美谷まで5~6㎞流されたと推測しますうーん

 

乙戸神社の祭神は、早水神社の祭神髪長媛の弟神と言われ、弟が故に「乙戸」に成ったと伝えられている。

又、社号を乙戸大明神と称されていた。

 

昔、髪長媛が仁徳天皇のお妃に召された折、弟神は守護役に任せられ、その後この地に祀られた。

 

古くから、川東、祝吉、千町、沖水地区の氏神様として崇拝されている。

乙戸神社は、家内安全、交通安全、商売繁盛、五穀豊穣などの祈願に参拝者が多く、家業の神として庶民に熱く尊崇されている神様であったと伝えられている。

 

 

鳥居をくぐると

右 左 に社があります

 

 

 

乙戸神社の説明板にあった

境内神社 神門神社(みかどじんじゃ)櫛磐間戸神(くしいわまどのかみ) 豊磐間戸神(とよいわまどのかみ) かと思います

 

姉の髪長媛を祀る早川神社

東神門神社 西神門神社 がありました

 

 

境内は、広いです

 

 

 

手水舎に 古い 説明板がありました

 

 

新しい説明板には書いていなかったところを記載します↓

 

三年に一度御衣替として早水神社の御衣を乙戸神社へ譲る同社の祭神に着衣する事から弟神に麻す証明となりと地理誌に書かれている。

 

 

神社内には、川東第7児童公園があります

 

 

思いっきり天に枝を伸ばす木

氣持よさそう 爆笑

 

 

 

参拝お願い

 

末社 水天宮 は

都城市上川東四丁目に有るようです

 

 

神社への入口は、裏にもあります

 

 

神社の横、後ろは

思う存分遊べるスペースがあります

 

 

最近、シーソー

あまり見なくなったような気がします

 

個人的には、好きな遊具 音譜

 

 

乙戸神社は

まわりの土地より小高くなっていて

古墳だったのかな?と思ったりしました キョロキョロ

 

ありがとうございました

古代5世紀頃、日向国に

美人の誉れ高い女性がいました

 

名前は 髪長媛(かみながひめ)

 

諸県君牛諸井(もろかたのきみうしもろい)の娘の髪長媛は、美人の誉れ高く、その噂は、当時の天皇 応仁天皇の耳まで届いていました。

 

諸県君家(もろかたのきみけ)は

現在の宮崎県の 東・西・北諸県、南那珂、日南、串間、そして鹿児島県曽於郡に及ぶ広大な領域を統治していました。

 

応神天皇は、髪長媛を召し出し、大和に近い桑津邑(くわつむら)に住まわせました。

 

皇子の大鷦鷯尊(おおささぎのみこと)(後の仁徳天皇)は、髪長媛の美しさに一目惚れし、恋慕され、想い悩まれるようになりました。

 

どんだけ美しいんだー ラブハート

 

それを知った応神天皇は、髪長媛をあきらめ

仁徳天皇に譲ることにしました。

 

髪長媛は、仁徳天皇の妃となりました。

 

二人の間には

大草香皇子 と 幡日皇女 が生まれました。

 

幡日皇女は、後に二十一代雄略天皇妃となられたことで、諸県君家と皇室は母子二代の深い間柄の親戚となりました。

 

娘の幡日皇女も美しかったんだろうなー ラブラブラブ

 

 

髪長媛を祀る

早水神社

 

宮崎県都城市早水町3866

 

 

 

鳥居をくぐり

 

左手に見えてきたのは

 

早水観音

 

 

縁結び 安産の 神様

 

 

むかしは、今の場所ではなく

東方へ150m付近にあり、

17番札所として宿坊もあったそうです。

 

廃仏毀釈で観音菩薩像や寺は焼滅

 

住民の強い願いにより、早水神社境内に再建されました

 

 

早水観音から

少し進むと

幢六地蔵 

 

 

廃仏毀釈で基礎や中台が失われています

 

 

幢六地蔵 の先へ進むと

 

沖水古墳

 

大正末期までは

あたりに小規模古墳が散在していたそうです

土地開発などで無くなっていってしまったのでしょうか

 

 

都城も古墳が多いところだったと思います

 

 

沖水古墳の先に進むと

 

髪長媛の泉水

 

髪長媛が産湯を使われた泉水

 

湧水を飲む、顔や手を洗うと美人になると伝えられています

 

 

髪長媛が泉水の畔に立っています

 

 

参道を進んでいくと

左に 西神門神社

 

 

右に 東神門神社

 

狛犬が見えてきました

 

 

奥が 拝殿です

 

御祭神

応神天皇
髪長姫
諸県君牛諸井

 

参拝お願い

 

 

 

昭和天皇の皇后・香淳皇后

皇太子妃となられた大正12年、早水神社に御来臨になり、境内から御先祖島津発祥の地祝吉御所旧跡を望まれました。

 

香淳皇后は、久邇宮邦彦王同妃俔子島津忠義公爵の令嬢)の第1王女子

 

香淳皇后もお輿入れの際は、水を汲んでいかれたそうです

 

 

拝殿から右へ進むと

早水馬頭神社

 

廃仏毀釈のため、装飾を削り落としたそうです

 

葉山神社

都城市五十市にあったそうですが

五十市競馬場の早水移転についてきた葉山神社は、競馬場廃止や家畜市場の移転などのため早水馬頭神社に合祀されました。

 

 

良子(ながこ)女王祝吉御所跡観望記念碑

(良子女王は、昭和天皇の皇后・香淳皇后)

 

 

昭和天皇の皇后・香淳皇后

皇室にないって皇太子妃になる前、

ご家族4人で九州を巡遊され、

島津出身のお母様のご先祖の

島津発祥地の祝吉御所跡を神社から観望されました

 

 

 

 

池に 架かる橋は

 

 

かみながひめのはし

 

 

池之大王神社

 

水神信仰から

縄文時代から神座が

弥生時代には祠が設けられた

 

 

早水神社は

広い公園内にあります

 

早水公園

 

馬? 

タツノオトシゴ恐竜くん? 龍龍? にも見える 

案内図

 

右側が 早水神社の方で

大きな道路を隔て左は、きれいに設備をされた体育文化センターや広場や公園があります

 

今回は、早水神社の方だけ行きましたが

公園全体をまわって

植物や池を楽しむのもよいと思いますニコニコ

 

ありがとうございました

去年は11月12月と

いろんなことで怒涛のように過ぎていき

ブログも数週間遅れのアップなど

タイムラグが多く驚き

まだ下書き保存に4つ、5つ?

いや、遡れば まだ下書きがあるかもしれません笑い泣き

 

年は変わりましたが

2025年の下書きブログからアップしていけたらと思っております

 

どうぞよろしくお願いしますニコニコ

 

馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬

 

 

「島津」と 聞くと

薩摩 や 鹿児島 

思い浮かべるかたが多いのではないでしょうか

 

島津亜矢さんを思い浮かべる人もいるかもカラオケ

 

実は、島津

宮崎県都城

とても深い関わりがありますニコ

 

 

都城島津発祥の地なのです

 

万寿年間(1024~1028年)に大宰大監(だざいのたいげん)・平季基(たいらのすえもと)が、当時「島津」という地名であった都城市郡元町周辺地域を開発し、関白・藤原頼通にこの土地を寄進しました。

これがのちに日本一の大荘園となる「島津荘」(しまづのしょう)のはじまりです。

 

文治元年(1185年)3月、源頼朝は、弟の義経らの力を借りて、壇の浦の合戦で平家を滅ぼし実権を握りました。

同年8月、島津荘の下司職(げすしき=荘園の管理人)に、惟宗忠久(これむねのただひさ)を任命します。

その後、惟宗忠久は、日向・大隅・薩摩3か国の守護島津荘の地頭となっていきました。

 

惟宗忠久は、荘園名から姓をとって「島津忠久」と名乗るようになりました。

 

地頭となった忠久は、都城の祝吉(いわよし)に館を造って移り住んだといわれ、今もその跡地と伝えられる場所(祝吉御所)に顕彰碑が立てられています。

 

これが「島津」姓の由来の地として

都城「島津家発祥の地」といわれる理由です。

 

島津は、鎌倉時代から幕末維新期まで約700年間、南九州を治めつづけました。

 

 

島津忠久

館を造って住んだ祝吉御所跡

都城市内の住宅密集地の街の中にあります

 

 宮崎県都城市郡元町2804

 

 

祝吉 って 

縁起がよい漢字の組み合わせですよねひらめき

 

 

 

 

 

後ろ側に回ってみました

 

 

「馬頭観音の由来」

 

よ、読みたいのに 読めませんでした 滝汗

 

この石碑のまわりの石が馬頭観音???

何か大事な石だと思います

 

 

広場のような何もないスペースもあります

 

 

車は、砂利が敷かれている駐車スペースにとめることができます

 

 

「島津」 地名

大荘園「島津荘」から

惟宗忠久が をとって

「島津忠久」になった

というお話でした 指差し

鳥取・島根で強い地震が相次いでいますね

地域の方は、とても不安だと思います

何より安全第一でお過ごしください

 

遠く離れた宮崎でも、

震度2、震度1が発生しています

 

西日本全体が揺れた

 

そんな感じを受けました

 

 

 

昨日、午後

宮崎市で 

ヘリコプターがホバリングをしていました

 

ドクターヘリ?

 

でも、こんな場所で

ずっとホバリングもおかしいうーん

 

色もブルーではなく

明らかに違います

 

何か確認してるのかな?

何かあったのか?

 

どこからも煙もでていないし

台風の後でもないし

何なんだろう

 

そう思いながらも、

ずっとヘリを見ていることはできないので

そのまま仕事に戻りました。

 

 

今日になり

昨日の ヘリコプターが

なぜ長時間ホバリングしていたのか分かりました

 

宮崎市役所そばの

大淀川の底から

250キロの不発弾が発見

されたそうです

 

 

6日未明まで

佐賀県の陸上自衛隊目達原駐屯地の不発弾処理隊が確認を行っていたそうです

 

 

 

太平洋戦争中の

アメリカ製250キロ爆弾の不発弾で

今後、宮崎市などと、付近の住民の避難範囲や交通規制などを協議したうえで、不発弾の信管を外す作業を行うということです。

ダイソー宮崎南店での買い物を終え、帰る時

そういえば、この近くに

前から気になっている神社があったうーんと思い、

ダイソーの駐車場から

徒歩1分 その神社へ向かいました。

 

こちらの神社です

 

 

鳥居の真向かいは 

カラオケコロッケ倶楽部赤江店カラオケ

 

神社前道路の突き当りは

城ケ崎清武線 車

 

この神社の名前は

何ていうんだろう?

 

鳥居に 「春日神社」 とありました

 

へー こちらに 春日神社さん ニコ

そうだったんだー

 

 

左手にある

春日神社の説明を読んでみました

 

 

春日神社は、地域の守り神として春日神(天児屋根命など4柱)をまつっています。

創建は不明ですが、明治23年(1890)の記録によれば、天正12年(1584)の棟札が残っていたことから、安土桃山時代には建立されていたことがわかります。

赤江町は、大淀川右岸に城ケ崎町と並んで所在していましたが、寛文2年(1662)の外所地震と津波で被災し現在地に移りました。春日神社もそのときに移転したと考えられます。

太平洋戦争の頃の道路拡張や戦後の地域開発などで、境内は狭くなりました。

赤江地区にあった観音、大師、地蔵、鵜戸山権現、恵比寿などの神仏は境内に合祀されました。

戦前まで行われていた夏祭りでは、若い男衆が神輿を担ぎ、リヤカーに地蔵を乗せて、赤江の上講・中講・下講を練り歩きました。

 

いろんなことがあって、いろんな神仏が集められ

時代の流れとともに、ぎゅうぎゅうの境内になってしまったのですね。

 

 

初めまして 失礼します ニコ

 

 

 

手水へ向かいます

 

 

 

小高い位置にガードレールがあります

この城ケ崎清武線は、混みやすい道路

 

 

井戸は壊れていて水が出せませんでした

 

「危ないから入ってはいけません」の看板の後ろは、雨水が流れる小さい溝

 


鳥居から 真正面に進んみ

社へ 向かいました

 

 

「赤江観世音菩薩」と書いてあります

 

春日神社の説明板によると

【赤江観音】

カギ町境にあった上講の民家から移転

 

 

イチョウがきれいでしたおねがい

 

 

赤江観音の 左後ろは

 

【杉田興助翁碑】

赤江酢等を経営し赤江町の慈善に尽くした杉田興助翁を祀る

 

ここから 鳥居に向かって 横並びに

紹介していきます 

 

 

【赤江大師】

「お大師様の山」の護国寺に祀ってあった

 

 

【石仏】

稲荷山の並びの里山「お大師様の山」にあった

稲荷山って

おそらくこの稲荷山のことかなと思いましたニコ

 

 

【赤江地蔵】

赤江大師とともに移転

 

 

【鵜戸山権現】

山内に接した下講の杜にあった

 

 

【恵比寿神社】

中講の醬油屋・酢屋の前から移転

 

ここで 鳥居まで きました。

 

最後に もう一つの社に向かいます。

この社は、

鳥居に向かって 後ろ向きに建っています。

 

なぜ鳥居に背を向けているのだろう?

向きに 違和感があるのですが

ぎゅうぎゅうだったから この向きになったのか??うーん

 

【春日神社】

鳥居に背を向けて立つ社は

春日神社 でした

 

鳥居に「春日神社」とあるので

真正面にあると思い込んでいました 

 

春日神社さん すみません

思い込みはいけないですね 汗うさぎ

 

参拝 お願い

 

 

赤江の歴史と神仏が集まった

春日神社

 

地域の皆さんに大切にされてきた歴史があり

今この場所で

いろんな神仏とともに

赤江の町を見守られていました

 

ありがとうございました

この日は、

南郷旅館を出て 宮崎市に帰ります

 

昨日、南郷に向かう途中、行こうと思っていた神社があったのですが、時間の関係で帰りに行くことにしました。

 

南郷から日向市東郷まで 車で約35分 車

 

山陰神社に到着

 

駐車場はこちらです

 

駐車場そばには

大きなイチョウの木、広い屋根付きスペースがあります

 

 

この奥の方に社が見えたので

こっちからも行けるかもしれないと思いましたが、道路に出て神社へ向かいました

 

 

緩やかな下り坂を 歩いていくと

鳥居が見えてきました

 

 

山陰神社 に着きました

 

 

鳥居の向こうから 

こちらを 何かが 見ています

ぬとーっという感じの半笑いで イヒ

 

 

河童? 妖怪的な雰囲気です

狛犬ですが河童なのか?

 

 

ようこそという歓迎 

見透かすような目 見定めているような

あざ笑うような 面白がっているような アセアセ

 

でも、なんか楽しいような

 

歓迎されていると解釈し

しっつれいしまーす 爆  笑

 

 

祭神 大己貴命(大黒さま)

 

天正6年(1578)の大友宗麟の乱入により神社に関する書類の多くは紛失したため創建の時期は定かではないが、約1300年前に遡り、天平勝宝8年(756)百済王が敗戦し朝鮮より逃れ、美郷町神門への途次、山䕃神社に休息のため立ち寄られ、その日の出来事が神楽にもなっている。創建は、養老の年代と推測される。

 

大友宗麟は、こちらでも神社破壊をしていたのですね悲しい

 

キリシタン大名の大友宗麟(洗礼名フランシスコ)は、キリスト教の布教を推進する過程で、特に日向国(現在の宮崎県・鹿児島県の一部)侵攻の際に、神社や仏閣の破却や焼き討ちを徹底的に行ったいました 悲しい

日向国に「神の国(キリシタン王国)」を建設する夢を抱き、この目的のため日本の神道や仏教を排撃し、神社仏閣を破壊。

 

山陰神社の由緒書きには「乱入された」とだけ書かれていますが、破壊はもちろん焼き討ちのようなことをされ文書は残っていないのではと思いましたぐすん

 

こちらの神社も大友宗麟の兵火にあっています

 

ちょっと悲しくなったけど、参道を進みます 

 

 

気持ちよい参道 キラキラ

 

 

「カッパと、なかよ~くしてね」の立て札

 

まずは 粟嶋神社

 

 

 

すごい!願掛けです

 

特別な願掛けは、髪の毛を切って使うようですガーン

 

呪術的~ 

 

 

チョロチョロと水が流れる音

 

水面が揺れて 透明で きれいだな 

 

粟嶋神社の裏手には

珍宝神(大国主命)がいらっしゃるようで

回ってみました

 

 

おっ!!!びっくり おったまげ

かなりリアルな陰陽さまがありました

掲載は控えます 生で見て参拝がよいですねチュー

 

 

境内に古墳があります

山陰古墳

直径約13m・高さ約4mの円墳

1935(昭和10)年指定 宮崎県指定史跡(東郷村古墳)

 

 

かっぱ像はコチラです

 

かっぱの後ろ姿が見えてきました

 

 

 

正面から拝見

 

 

長い柄の柄杓で

夫婦かっぱのお皿に水をかけました

 

目の前は、耳川

 

 

水が流れる音が心地よく 

カッパさんも川が見られてよい場所ですね

 

すると、弟が、「かっぱや!」

 

え??

え!!

 

「見てん!あそこ河童!」

 

どこ?

どこ?

 

「(指を指しながら)あれ!」

 

どれ? 

んーーーー 目

 

なんやー 釣り人やわー

おいーーー!

 

でも、もしかしたら人間に擬態した河童かもしれませんニコ

 

川を見たり、河童に水をあげたり

河童と戯れ 楽しくて うきうき

 

 

はいニコニコ すもうはしませんでした

 

 

この夫婦河童

元は、町の違う所に居て、山蔭神社にやってきたようです

 

そうだったんだー ほっこり

 

 

続きまして

八幡神社

 

 

 

参拝お願い

 

 

山蔭神社は、整備されていて(現在も整備中)

多くの方からの寄付で木が植えられ

町の人に愛されている神社だと

境内を回りながら感じました

 

 

こちらが山蔭神社です

 

 

参拝お願い

 

 

奥も狛犬が守っています

 

 

気持ちよさそうな龍たち

 

 

やはり地域性なのか

ここも黒色が使われています

 

伊佐賀神社跡

 

 

山蔭神社拝殿横に

結界が張られている所がありました

その中の 木の根元に鳥居が目

 

 

鳥居の中を見ると 

大黒様が数体いらっしゃいました

 

その木の後ろの石が、大黒様にも見えます

 

犬とか ドラえもん っぽくも見えたりニコニコ

 

 

山蔭神社(やまげじんじゃ)

とっても清々しく 気持ちの良い神社でした

 

川のせせらぎを見ながら、音をききながら

ボーっとするのもよいと思いました

 

ありがとうございました

神門神社から 車で数分

今日のお宿に到着しました車

 

国道388号線沿いに建つ 

南郷旅館

 

駐車場は

旅館前の道路を挟んで向かい側です

 

チェックインは 15時から。

 

16時過ぎ頃 旅館の玄関を開け

「こんにちはーニコニコ すみませーん」

と尋ねてみますが

どなたの姿もありません キョロキョロキョロキョロ

 

夕食の準備などで 忙しい時間かな

 

もう一度

「すみませーん」と、受付から声をかけてみました

 

...しーーーん 耳

 

もう一度 と、思ったところに

 

「はーい」とお宿の方が出てきてくださいましたおねがい

 

「お忙しい時間にすみません。今日、予約をしている○○です」

 

「○○さんですね!」

 

「はいニコニコ

 

「お部屋に案内しますね。どうぞ!」

 

私たちを案内しながら

 

「道、大丈夫でしたか?」

 

「はいニコニコ 教えていただいた通り日向から来ました」

(予約時に電話でご親切に教えてくださいました)

 

「そうですか。よかったです。ナビがあっちを案内するみたいで、あっちからだと早いんですけどね、狭いところがあるから、皆さんビックリされるんですよ」

 

「ちょっとトライしたい気もありましたが爆  笑

 

「ははは笑」

 

などと 会話をしながら お部屋に到着!

 

部屋の中まで案内してくださいました。

 

「うちで一番いい部屋なんですよ」

 

「えっ!! すみません。無理に予約いれていただいたんじゃないですか?」

 

「いえいえ。大丈夫ですよ」

 

「ありがとうございます<(_ _)>いいお部屋を」

 

夕飯の時間は、18時半でお願いして

お風呂は、温泉に行く旨伝えましたニコニコ

 

部屋の窓からの景色

鳥の巣箱が設置されていましたオカメインコ

 

近くを流れる水の音が 心地よく聞こえます

 

お部屋で ちょっと 熱いお茶を飲んでお茶

 

温泉へ 行こう!

 

 

車で5分車

南郷温泉山霧 到着

 

 

ちょっと冷えてきました

 

中に入り 券を購入

入浴料金 大人/520円
入浴料金 中学生/320円
入浴料金 4歳以上小学生以下/210円
個室風呂
1日1組限定(13:00~16:00)
個室使用料1時間:1,500円

個室休憩室 や レストラン もあります

 

 

芸人さんたちのサインが並んでいます

 

 

南郷旅館にも芸人さんのサインや写真など飾ってあります

 

 

南郷温泉 山霧 

どんタロの湯 「美人の湯」とも言います

 

 

休憩所にいた どんタロちゃん

 

 

「どんタロ」って 何なんでしょう?

 

座敷童てきな? カリコボーズてきな?

 

【南郷温泉HPより】

どんタロの「どん」は、頭(かしら)·一番の意

「タロ」は、子供によく使われる名前の太郎の略

九州の山あいの温泉屋さんから小さな子供が生まれ、すくすくと育って、みなさんにかわいがってほしいという願いが込められています。

 

南郷温泉のキャラクターなのですね にっこり

 

 

温泉から 上がって

売店を 見て回りました ニコニコ

 

温泉水を主成分に、防腐剤不使用でつくられた「どんタロ」のジェルを買いました

 

置いてあった本

 

ちょっと読んでみたかったですが 時間がありませんでした

 

車で旅館へ帰ります車

 

途中、コンビニらしき店が1軒

Aコープが1軒あり

A コープで、水などを購入

 

レジには、2人のお姉様がいました

 

私たちが買い物をさっとすませ

店内から出る時に

 

お店の入り口から「まだ大丈夫?」と

ご婦人が声をかけていました。

 

ん? もしかして 閉店時間??

 

18時閉店だそうです!


おーーー ギリギリセーフ 

 


車に乗り込み 旅館まで2分 車

 

道路に出て 進み始めた時に

車内で 

ビービービー ビービービー 地震です 地震です

と一斉にスマホがなり始めました

 

なに?なに? 地震? 

 

え!!! びっくり

 

動く車の中で

揺れているかどうかも分からず

大きな地震だということは分かり

驚きながらも 旅館に戻りました

 

この日は、11月25日

熊本県阿蘇地方で9年ぶりに震度5強の地震が起きた日でした

時間は18時01分

 

阿蘇は、南郷から100㎞近く離れていますが、ちょっとドキドキしました びっくり

 

この日、南郷に来た時に

竜巻のような嵐のようなのがあったと

観光受付の方々がおっしゃっていたので

大きなエネルギーが阿蘇の方に抜けていったのかなと思ったりしました

 

一旦、旅館の部屋へ戻り

夕食の広間へ 鍋

 

大広間が、いくつかの部屋に分かれていて、そこで食事をします。

 

席には 料理が並び 

鍋が置かれていました

 

飲み物を注文し 

 

いただきます!!!

 

 

 

新鮮な鹿刺しが運ばれてきました

 

 

鍋は キムチ鍋

 

絶妙な 甘辛さで美味しいです 照れ

 

 

あゆの塩焼き

 

 

手打ちそば

 

 

 

食事の部屋は、他のお客様と利用します

 

私たちのあとに

男性が一人、隣のテーブルに案内されました。

 

旅館のお姉様が「新潟から来られたんですよ」とおっしゃいます

 

「新潟からなのですか?」という会話から、話がはずみ

 いろんなお話をしました。

 

男性は、Yシャツを着ていて サラリーマンの方かな?と思ったら、

 

出張で九州に行くことは、ほぼない(特に、宮崎とか)ので、この際、3連休に合わせて有休を取って旅をすることにしたそうです。

 

この日は、3連休翌日

 

明日には、宮崎空港から羽田へ 飛行機

そして新幹線で新潟へ帰るそうです 新幹線真ん中新幹線前

 

高千穂なども回ったそうです。

レンタサイクルで高千穂神社から天岩戸神社まで行ったというのでびっくり 端から端までスゴイと思いましたが、自転車でしか見れない所が見れてよかったそうです自転車

すべて交通機関利用で、数も少なく、大変だったそうです。

 

そして、翌朝、6時のバスで宿を発つそうです。その次の8時台でも間に合うけど、もしものことを考えてとのことです。

 

ワイワイといろいろ面白い話ができ、よい交流でしたニコ

 

男性は、こちらの旅館が

出世旅館ということで来たそうです。

 

ここ数年、全国区で 

出世旅館として知られるようになりました

 

とろサーモンの久保田さんが

テレビで話されて

芸人の方も多く訪れ

全国からお客さんが来ます。

 

 

南郷旅館には

パワーのある石がありますキラキラ

 

石の存在は 知っていたのですが

石の前に 色紙が貼られていました

 

 

え! 吉田先生が見つけたの?

 

私にとって

人生の中で、衝撃を与えてくれた人物の一人です。

直接お会いしたことはありませんが、過去にネット上で挨拶程度ですが会話をさせていただいたことがあります。

吉田先生の研究は、興味深く、面白いですニコ

 

南郷旅館に来られていたのですね 

 

宮崎の山間地域には、ペトログラフが発見されることがあります

 

 

渡り廊下のデッキから 

ペトログラフ石を拝見できます

 

 

朝食も美味しく 幸せでした ニコニコ

 

帰りに 女将さんが 

取れた富有柿を たくさんくださいました

 

柿を入れてくださった袋は

沖縄のお客様からのお土産が入っていた袋でした

 

全国から 南郷旅館に お越しです

リピータも多いです

 

お見送りもしていただきました。

 

南郷は、お姉様方が大活躍の地だと感じました

男性方も、笑顔が素敵で親切でした

 

ありがとうございましたニコニコ

百済の館から すぐの

神門神社

 

 

丸ブルー百済の館

神社への階段の 右手にあります

 

丸ブルー西の正倉院

神社の階段を上ると神楽殿があり その右奥です

 

 

こんにちは ニコ

 

 

 

鳥居をくぐり 階段を上がります

 

 

神門神社本殿国指定重要文化財

 

 

ここから さらに 階段を上がります

 

本殿が 見えてきました ニコ

 

 

 

屋根の手前左右に 何か乗っています うーん

 

 

こちらも 阿吽の狛犬

 

奥には、しゃちほこ

 

 

 

先に行った 坪谷神社 もでしたが

このあたりでは

社殿に黒色を使い模様を入れるのが特徴なのかなと思いましたニコ

 

 

御祭神

大山祇命(おおやまつみのみこと)
品陀和気命(ほんだわけのみこと)
伊弉冉命(いざなみのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)
事解男命(ことさかおのみこと)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
禎嘉王(ていかおう)

 

 

参拝お願い

 

 

 

 

 

 

銅鏡三十三面

古墳時代のもの四面、奈良時代の唐式鏡十七面、藤原時代の品三面、室町時代以降のもの九面。これほどまとまった数の銅鏡が一ヶ所の神社に伝えられていることは全国でも珍しい

 

馬鈴、馬鐸

六世紀後半の本邦製

 

板絵観音菩薩正体一面

応永八年(1401年)に比丘長存僧侶が描いたもの

 

大甕二個

一個は、須恵器

一個は、延岡藩主有馬直純公がもう一個あった須恵器と取り換え代わりに奉納したもの

一の鳥居付近には、須恵器の破片が出土

 

神門神社本殿

寛文元年(1661年)の上棟。県内で2番目に古い建物。奈良時代からの伝統技法が受け継がれているつくり

 

 

 

大きな木がいくつかありました

 

 

最後に

西の正倉院の受付棟に向いましたニコニコ

こちらで、おみくじや御札などが販売されています。

 

いろいろと受付の女性とお話をしました。

 

星「師走祭り」は、毎年にぎわうが、

地元の人は、寒くて出てこない人が増えた。

写真を撮るために来る人、観光客が多い。

 

星西の正倉院の木」は、長野県からやってきた檜で、村民で木を引いた。

 

その時の材木屋さんのHPを見つけました目

 

材木屋社長の「木曽節」の唄とともに 南郷村に引き渡され、

これを受けて、南郷村村長が「日向木挽き」節で返礼。

 

かっこいい!! ひらめき

 

唄と唄で引き渡し

 

儀式は、大事ですよね

 

樹齢何百年の木曾檜が

宮崎の山奥の南郷まで、トラックやフェリーを乗り継いでやってきてくれたのです。

山の神に感謝し、自然に感謝し、携わってくれた人々に感謝し、盛大に迎え入れる。

木曾檜の神々も喜んでくれたのではと思います😊

だから、何十年経っても、よい香りを放って、観光客を歓迎してくれるのかなラブと思いました。

 

星「百済王の子孫」はいないのですか?

という質問をしてみたのですが、

「いない。みんなあの時に死んでるから」との回答

しかし、どこかで子孫が残っているかも?と思い、聞いてみましたが、

「長い年月が経っているから、分からないのでは」という回答でした。

でも、どこかに、いそうな気も。

 

 

南郷をテーマとした漫画本が置いてあり、以前は販売されていたそうですが、観光客にあげているということで1冊いただきました本 もう残り少ないそうです。

 

受付のお姉様方

ありがとうございました。

 

ここをあとに

この日の旅館へと向かいしましたニコニコ