髙屋神社
宮崎市村角町橘尊1975
(むらすみちょうたちばなそん)
尊い地名なのだと思います![]()
髙屋神社の辺りには、
高尊(たかそん)、中尊(なかそん)、安尊(あんそん)、阿波(あわ)、古郷(こきょう) などの地名があります。
髙屋神社は
夫婦楠が出迎えてくれます
この日は、強風で
注連縄を ブオーブオーと揺らし
仲良く 楽し気な 夫婦楠でした![]()
夫婦楠の間から 鳥居が見えます![]()
鳥居に到着
御祭神![]()
彦火々出見命
豊玉姫命
景行天皇
当社は、日向御三代皇神第二代の彦火々出見命御陵降誕神話の舞台である村角の里に、千古の昔より鎮座しております。
『日本書紀』神代巻下に鹿葦津姫(木花開耶姫)ご出産の折り、御子(彦火々出見命)の臍の緒を切って捨てた竹刀が後に竹林となり、その地を竹屋(たかや)と名付けたとあり、社名の由来を物語っております。又、これに因み当社は、安産育の神と崇められてきました。社殿西方の古墳は、命の御陵(みはか)「髙屋山上陵」と伝わり、古来昇る者や近づく者は無く、畏れ敬われていました。村角には他に安尊・袍ノ尊・天神川・御手洗川・犬ケ城といった神話縁の地名数多く残されており、古き伝承と民族を大切に受け継いできた里人の気質が窺えます。
時代は降り、第十二代景行天皇の熊襲御親征の際、当地に行宮「髙屋宮」が建てられ、六年間御駐輦されたと『日本書紀』巻第七に明徴されています。武内宿禰が山稜聖跡である当地を選定したもので、約一千九百年前から皇神を崇め祀り、社殿が創建されたものと考えられています。次いで仁明天皇嘉祥二年の当社旧社家系図に神官就任の記録があり、古代における祭礼の執行を証しております。
平安末期から戦国期にかけて宇佐宮領村角別府が成立し、久しく髙屋八幡宮と称していましたが、延岡藩領となった江戸期の宝暦年間に髙屋宮に復しています。明治に入り現社名となりました。
近世初頭の慶長十六年社殿改棟札をはじめ、近現代にかけての棟札多数が残されており、古代から現代へと至る連綿とした祭祀と信仰の継続が国史上に明らかな宮崎県内屈指の古社であります。
なお、現社殿は明治初年に造営されております。
宮崎神道青年会HPより
創建は、古老の伝えるところによれば、一〇七代後陽成天皇慶長十六年(1611)社殿改造の棟木あり、また仁明天皇嘉祥二年(849)当宮の祠官となった旧社家の系図があることから、その古いことがうかがえる。
当社西方の小高い処は、彦火々出見命の山陵と言い伝え、「日本書紀」にいう「日向の高屋の小陵に葬る」とあるのは当地であると伝える。また景行天皇が六年間ご駐輦された高屋行宮址とも伝えている。このことは「日向五郡八院旧元集」に、「景行天皇が十一月日向の国に到り行宮を起こしてここに居たまう。これを高屋宮という。武内宿祢、彦火々出見命の山陵を知り、そこで御鎮座を定めた。これが村角高屋八幡宮である。」と書かれている。
山陵付近には命にちなむ地名が残っている。竹園(たけぞん)は、命のご降誕の時その臍の緒を切った竹刀を投げた所と伝える。袍ノ園(いやんそん)は、命の臍の緒を切った所と伝える。安園(やすぞん)は、命のご降誕の地と伝える。その他、天神川・御手洗川、犬ヶ城等の地名が残っている。
当社はもともと高野(高屋)八幡宮と称していたが、宝暦時代以降高屋宮と称するようになり、明治になって高屋神社と称し現在に至る。
髙屋神社は 緑の保全地区
手水舎
猿田彦神石塔が 多く残されています
弘法大師も祀されています
拝殿へ
1月下旬の参拝で
まだ御正月の雰囲気が漂っていました
座布団に鎮座する
大きな打ち出の小づちが気になりました
「満珠・千珠」
よーく見てみました![]()
龍の手の中に珠
右端の波に珠
龍のしっぽに珠?![]()
どれが何だかよくわかりませんでした![]()
「満珠・千珠」のすぐそば 若宮神社
参拝![]()
小さくて、年月を感じさせる風貌で
かわいらしい狛犬
ナギの木
髙屋山上陵
彦火々出見命御陵墓 へ
竹の鳥居から入ります
左が、寄付した方の名前が彫られた寄付石
他2体は、経年で形が削られてしまっていますが、おそらく、阿吽の仁王像
こちらが、御陵の中心
寄進された石塔
参拝![]()
髙屋神社の敷地内にもう1つ神社があります
奥の社殿が 美録神社
「みろく」なのか?
「びろく」なのか?
弥勒菩薩と関係があるのか?
美しいもの大切なものなどを、記録してあるのか?
コノハナサクヤヒメと関係があるのか?
分かりませんでした。
近くに、霧島神社やお寺などもあり
信仰深い地域だったのだと思います。
近くの 曹洞宗天正寺
古い石塔が多くあります
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「高屋神社」という名称の神社が
宮崎県西都市にも在ります
神社発祥の由来は異なりますが
今現在の神社名は、同じです。
こちらも、景行天皇が
熊襲征伐で 日向国に入り
御駐輦した地です。













































































































































































