8月23日(火)から、二十四節気の「処暑(しょしょ)」に入ります。

 

「処」はさまざまな意味を持つ漢字ですが、この場合は「収まる」という意味で使われています。ですから処暑は「暑さが収まるころ、落ち着くころ」という意味になります。

暦の上ではすでに秋に入っていますが、残暑はなかなか収まっていません。この処暑こそ、涼しい日々になることを期待したいものです。

さて、処暑とはどんな時季でしょうか。幾つかのキーワードをもとに見ていきましょう。

 

 

「秋の声」が聞こえますか?


秋を感じさせる、もの寂しげな風雨や木の葉などの音を「秋の声」といいます。また音読みで「秋声(しゅうせい)」ともいいます。

「秋の音」といい換えることもできますが、「音」ではなく、「声」と表現すると、聞こえてくる音に命が吹き込まれる感じがしませんか。

明治時代半ば生まれで、鉱山学者で俳人でもあった山口青邨(やまぐちせいそん)に、次の一句があります。

〜北上の渡頭(ととう)に立てば秋の声〜

この「北上」は岩手県と宮城県を流れる北上川のことで、「渡頭」は渡し船が発着するところです。

岩手県盛岡市出身の山口青邨は北上川の渡し場に立って、どんな「秋の声」を聞いたのでしょうか。

 

 

 

「八月尽(はちがつじん)」で、やっと夏が終わる?

 

耳慣れない言葉かもしれませんが、八月が終わることを「八月尽(はちがつじん)」といいます。

古くは、季節の変わり目の月に、それぞれの季節の終わりを惜しむ気持ちを込めて使われました。

近年は、それ以外の月でも、単にその月が終わるという意味で、「~尽」という季語が使われるようになっています。

地域などによりますが、現代では「八月尽」に、実感として夏の終わりを感じる人は多いでしょう。

やれやれ、これでやっと暑さともお別れだ、とホッとする一方で、去りゆく8月に一抹の寂しさを覚える人もいるでしょう。

 


大いなる「野分」に備えたい

 

「野分」は「のわき」、または「のわけ」と読みます。「野の草を分けて吹く風」の意で、台風の古い呼び名です。「野分の風」ということもあります。

〜大いなるものが過ぎ行く野分かな〜

これは、明治時代前半生まれの俳人で小説家の高浜虚子(たかはまきょし)が詠んだ俳句です。

この「大いなるもの」である「野分」は、1934(昭和9)年9月に起きた室戸台風のことを表しています。

室戸台風での死者・行方不明者は、3000人を超えました。

大自然の猛威を前にすると、人間の存在は小さなもの。それは今も変わっていないでしょう。

(ウェザーニュースより)