【音楽】チャイコフスキー:バレエ音楽「白鳥の湖」作品 20a | Spinnaker's Music Clipboard

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クラシック音楽をこれからお聴きになりたい方々に向けて書き綴った「クラシック音楽ご案内」ブログです。どうぞご厚誼の程よろしくお願い致します。



ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー バレエ「白鳥の湖」組曲 作品 20a
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演奏:ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 録音:1972年 Deutsche Grammophon
 1. 情景 00:00 (YouTubeタイムバーを移動してご選曲ください)
 2. ワルツ  02:50
 3. 四羽の白鳥の踊り 09:55
 4. 情景 11:43
 5. ハンガリーの踊り(チャールダーシュ) 18:33
 6. 終曲 22:56

多分、ご存じない方はおられないと思う程に、お馴染みの「白鳥の湖」です。

残念ながら、組曲版(作品 20a)の演奏で、お勧めできる音質のものを見付けられず(´;ω;`)、
滅多に採用しない、1972年録音のカラヤン・ベルリンフィル版をご案内いたします。


富豪の未亡人ナジェジダ・フォン・メックから資金援助を受け始め、第4番交響曲で高らかに作曲家の道を歩き始めることを宣言したばかりの、1877年 3月、モスクワ・ボリショイ劇場バレエ団によって初演された、チャイコフスキーの初めてのバレエ音楽です。

初演当時はさほどの評価を得られず、いつしかお蔵入りとなり、その後、書斎に埋もれていたのです。

ようやくチャイコフスキーの没後2年目、1895年に蘇演され、日の目を見た曲です。


現在は、世界3大バレー曲として評価され、音楽レビューなどさらさら必要のない程に

有名なこの曲を持ち出してきたのには、少しばかり、素人解説ならではの「理由」があります。



チャイコフスキーや他のロシアン作曲家(ロシア五人組などを含めて)には、西欧クラシック

音楽にない”独特の香り”があると常々感じるのです。

チャイコフスキーのどの曲にも薫る独特の香り。その”香り”を、最も濃く感じるのが、

作曲家として歩み始めた初期の作品「白鳥の湖」なのです。


冒頭の「情景」。(英語では” scene ”。とても素晴らしい翻訳といつも感じ入ります)

オリエンタルというかアジア的というか、西欧には無かった独特の節回しを感じてしまうのです。


その理由をスピンはズーっと考え続けて来ました。
そして、ある日、ようやく思い当たったのが、以下の説明でした。

できるだけ簡潔にまとめてみましたのでよろしければお読みください。
(私は音楽の専門教育など受けたことのない素人です。それに免じて荒唐無稽はお許し下さい)


ロシアの国の形も定まらぬ西暦1206年、遥か東方のモンゴル高原を統一したチンギス・ハンは、周辺の西夏や金といった国への侵略を始め、1219年には中央アジア遠征を開始します。
いわゆる「タタールの来襲」です。

中央アジアの国々はたちまちのうちに壊滅。

ヨーロッパのキリスト教世界の中でももっとも東に位置した、現在のロシア・ウクライナは

1223年にモンゴル帝国の最初の襲撃を受け、モンゴル軍はあっという間に(現在の)

ロシア・ベラルーシュ・ポーランドに迫り、遂にはバルト三国まで破壊しつくします。



1237年には、ほぼロシア・東欧の全てがモンゴルの支配下に置かれました。

モンゴルの直接的な支配は、モスクワ大公国が1480年に独立するまで約200年前後で終わります。

が、東ヨーロッパのクリミア半島では1783年まで、中央アジアのホラズムでは1804年まで、

インド大陸では1857年まで、チンギス・ハンの血を引くモンゴル帝国の属州国家が存在し、


なんと、ソビエト連邦が誕生する20世紀初頭までチンギス・ハンの末裔達が、社会の

指導者層として社会の各方面で活躍したのです。


モンゴルの支配の時期、ロシア各民族とモンゴルの支配階級の間では人的・文化的交流がさかんに行われ、当然のことながら「混血」が進みます。

近年の血液鑑定でも、モンゴルから出自したロシア人の「姓」は驚くほど多いのです。

アレクセーエフ、ブルガーコフ、ゴーゴリ、ゴルチャコーフ、ゴドゥノフ、ジャルジャーヴィン、カラムジン、コルサコフ、ストロガーノフ、タチシチェフ、トレチャコフ、トゥルゲーネフ、ホロビッツなどなど、数えきれないほどあります。


さて、モンゴル帝国はユーラシア東方各地の文化も併せて持ち込みました。

その影響は現在でも、例えばブルガリアなどの民族音楽に色濃く残っています。

まるでチベット高原の旋律ではないかと思いこむほどに酷似しているのです。


多くの歴史家が、モンゴルによる支配と民族の融合が、ロシア史を特徴づける「西洋と東洋の狭間」という性格を形作った要因になった、と指摘してきました。

数百年におよぶモンゴル人の社会支配は、ロシアに東洋的な要素を大量に注入することとなり、

西ヨーロッパでは「ロシア人の皮をはぐと、タルタル人が出てくる」という俚諺があるほどです。


長くなりました。

チャイコフスキーの音楽に感じる「東洋の薫り」は、以上のような歴史によって、彼やロシアの

作曲家たちの体内に、作品に、深く沁み込んでいると考えるのです。


白鳥の湖の「情景」、リムスキー・コルサコフの「シェエラザード」のテーマ、ボロディン

「韃靼人の踊り」 等々、沢山の、誠にオリエンタルなメロディが生み出されています。


そして日本人が何故かチャイコフスキーが好きである訳は、そういうことなのではないかナ、

と考えてしまう次第なのです。





次回は、名高い「ピアノ協奏曲 第1番」を聴いてみたいと存じます。 スピン 拝。