YOSEMITE

ここのブログに何度か繰り返し文字だけでてくる『ヨセミテ国立公園』。
アメリカの自然を語る上で重要な位置づけになっています。
自然を・・・語る?

そうなんです、自然環境を語るとき、この『ヨセミテ国立公園』が必ずといっていいほど登場してきます。
環境保全などの自然保護思想の誕生・・・

ごめんなさい、回りくどい言い方をしてしまいました。
要は産業革命以降、人類は生産性の向上一点に集中するあまり地球の循環型サイクルのバランスを壊してきているのですね(進行形)

地球といえども所詮「閉ざされたひとつの世界」なわけですから、生産者・消費者・分解者という自然界における生態系の循環的役割分担を尊厳する必要があります。
しかしながら、この100年足らずの間に人類のもたらす消費社会が地球の循環型社会に歪を生んでしまいました。
所詮、自然界における消費者の一種族に過ぎない「ヒト」が、自然の持つ回復力以上に生産・消費活動を環境負荷として繰り返してきたのです。
何億年も自然界の中でバランスされていた循環型社会の崩壊・・・と言われる所以です。

で、ヨセミテ・・・
19世紀、自然保護思想のもつナチュラリストたちの中には、人間と自然の調和的な関係の原点を求めて「ヨセミテ」の厳しい自然の中に身をおくことで自らのエコロジー思想を体現し自然保護の視点に立ち返った・・・という自然科学者の牧歌的時代があったようです。(…でも、聞くところによると「ヨセミテ」の冬はあまりにも厳しく積雪も多く人間が生活するには過酷過ぎるとのことです)
そんなわけで、環境に関係する書物を読んでいると必ずといってよいほど「ヨセミテ」という言葉が登場してきます。

が、しかし・・・
20世紀、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962年)によって環境保護の考え方が一変します。
彼女のメッセージは、単なる自然保護の思想に留まらず科学的な事実に基づいて発せられ、人々の倫理観に警笛を鳴らした衝撃的なものであったといわれています。
この著書は初め「ニューヨーカー」に三週連続で掲載され、その年に本として出版されました。
環境に携わる者のバイブルと言われ私も何度か読みました。

まぁー、堅い話はこれくらいにして、これから『ヨセミテ』の自然を紹介致します。