「Blade Runner」であるw。
ご存じの方も多いと思うがこの映画、かれこれ30年以上前の1982年に公開された、
「サイバーパンク」の先駆け、「カルトムービー」の一つの金字塔といえる、
リドリー・スコット監督の傑作SF映画だ。

僕もこの映画は、かなりの回数見ている。
LDも持っていたので、自宅で、がメインだが。
(公開時は「ET」の影に隠れ、全く知らなかった)
ご存知の方も多いと思うが、この映画にはいくつかのバージョンが有り、
それによってエンディングや解釈が微妙に違っているのだ。
今回観た「Final Cut」というバージョンは、
公開25周年を記念して、リドリー・スコット監督自身が自ら編集しなおしたもので、
一番、現在の“監督の意志に忠実”な編集となっている。
映画の編集って、大事だよね!
原作があり、脚本があり、撮影があり、と映画製作のフェーズはいろいろあるが、
最後の最後に「作品」に仕上げるのは、何と言っても「編集」という作業だ。
そういう意味で、今回の「Final Cut」というバージョンは、
僕の“Blade Runner観”とも言えるものを、大きく変えてしまった。
根本から覆される感じ。
この映画、出来た時から割りと“不出来”で、
例えば年号が、当初の予定では「2020年」の設定だったが、
視力の「2.0 2.0」と間違われる、というミョーな理由から、
設定自体を「2019年」に変更したと言うこと。
しかし、ディテールまで気が回っていないようで、
この映画で一番大切な「レプリカントの寿命」に関して、
1年ずれたまま話が進行していく。
レプリカントの寿命が4年で、2017年製だって言ってるのに、
なんでもう死ぬの?って、ちょっと疑問だったのだ。
また、脱走して地球に潜入したレプリカントの数も微妙に変わる。
最初は6人で、実際にデッカードが始末するのが3人、
首領格の一人は、自然死だから、計4人しかいないじゃない?
(「一人は既に死亡」というアナウンスがあったらしいが、それにしても足らない)
途中でレイチェルが自分がレプリカントと知らされ、
タイレル社から逃げ出したので、見つけて始末しろ、と言う司令が、
上司のブライアントからデッカードに伝えられる。
にも関わらず、最後は彼女を見逃す発言をブライアントの部下のガフがしている。
この辺りもイマイチ、腑に落ちない。
「レプリカント」とは「アンドロイド」のような機械じかけではなく、
「人間を科学的に作ったもの」という事なので、実際は“生身”なのだ。
それをバンバン撃って殺すってのは、どうも気持がよくない。
実際デッカードが撃ち殺すのは二人。しかも女ばかりw。
嫌な奴だ。(男一人はレイチェルが撃った)
で、最後の一人を助け、連れて逃げたのだ。微妙なヒーローだね。
確かに“脱走レプリカント”は平気で人殺しをする悪いやつだ。
自分の親に当たるタイレル博士を、酷い方法で殺している。
また、宇宙空間での利用を考慮して製作された、というが、
宇宙空間で使うなら、機械じかけのロボットの方が簡単じゃない?
更に言えば、それに「感情」まで発生してしまうというのは、
相当に厄介な代物だw。
「2001年 宇宙の旅」で、コンピュータのHAL9000が、
まるで“感情があるかのような”仕草で動く場面があり、論議を醸したが、
あれとて続編の「2010年」では「最初からプログラムされていたこと」という
言い訳というか、エクスキューズがついていた。
(つまりコンピュータには意志はない、との事)
ともかく、今回のは「Final Cut」と言うくらいだから、
監督自身の“今”が反映した最後のバージョンと言うことで、
本編中にも多くの修正が入っているのだが、
一番大きいのは、やはりラストシーン。
無いのだ。
最後にあった、あの幻想的なサックスと、空撮の、
“あの”シーンが。
全体的にカルトムービーらしい、あの暗くて湿った重たい空気を、
最後の最後で、一瞬明るい日差しが差し込むような、ホッとする瞬間。
公開時もやはり、僕と同じような感情を持ったプロジューサーにより、
無理やり追加された、という、あのシーンが。
確かディレクターズカットにはあったと思うのだが…、
今は手元にないので、わからない。
とにかく、今回このバージョンを観てハッキリわかったのは、
監督は「デッカード=レプリカント」を成り立たせたいんだ、と言うこと。
今まで何回もこの映画を見てきたが、
途中デッカードがピアノを弾きながら回想する「ユニコーンの夢」のシーン。
これには、全く記憶がない。
見ている最中に「おや?」と思っていたのだが、
(今回の)最後のシーンで、デッカードが拾うユニコーンの折り紙と繋がる。
で、すぐに“エンドロール”となるのだ。
あまりに腑に落ちないので、特典映像の「監督の解説」を聞いてみると、
「あの折り紙を折ったのは、間違いなくガフで、
本来は誰もしらないはずの“デッカードの夢”であるユニコーンを、
これ見よがしに折って家の前においたのは、
お前の考えてることくらい先刻承知。
なぜなら、お前の記憶はこちらが用意したもので、
つまりお前は、レプリカントなのだ」
というメッセージ、なのか?みたいな事を言っている。
う~ん、そうか…。
確かに監督には「デッカードとレイチェル」のハッピーエンドよりも、
「彼は何者で、この後どうなっていくのか?」の方が興味深いのだろう。
この映画は“カルトムービー”であり、一般受けしなかった事を考え合わせると、
なるほど、この終わり方でいいのかな?という気も、
今ようやくしてきたw。
“腑に落ちない”けど、ある意味「正しいカルトムービーの終わり方」なのだ。
何回見ても、こういう映画は味わい深い。
しかし、バージョンが数多く存在するというのも、如何にもカルトっぽくて、
“ヲタク”達を熱狂させるのだろう。
スター・ウォーズの様に何作も作られてはいないが、
それ故集中して、やたらと深い考察が進む作品なのだ。
今後また何回も、観るんじゃないかなw。
を!なんか嬉しいDVDが出てるんだ~!
Final Cut以外の3つのバージョンが入ってるって、資料としては最適!


ブレードランナー クロニクル [DVD]
ご存じの方も多いと思うがこの映画、かれこれ30年以上前の1982年に公開された、
「サイバーパンク」の先駆け、「カルトムービー」の一つの金字塔といえる、
リドリー・スコット監督の傑作SF映画だ。

僕もこの映画は、かなりの回数見ている。
LDも持っていたので、自宅で、がメインだが。
(公開時は「ET」の影に隠れ、全く知らなかった)
ご存知の方も多いと思うが、この映画にはいくつかのバージョンが有り、
それによってエンディングや解釈が微妙に違っているのだ。
今回観た「Final Cut」というバージョンは、
公開25周年を記念して、リドリー・スコット監督自身が自ら編集しなおしたもので、
一番、現在の“監督の意志に忠実”な編集となっている。
映画の編集って、大事だよね!
原作があり、脚本があり、撮影があり、と映画製作のフェーズはいろいろあるが、
最後の最後に「作品」に仕上げるのは、何と言っても「編集」という作業だ。
そういう意味で、今回の「Final Cut」というバージョンは、
僕の“Blade Runner観”とも言えるものを、大きく変えてしまった。
根本から覆される感じ。
この映画、出来た時から割りと“不出来”で、
例えば年号が、当初の予定では「2020年」の設定だったが、
視力の「2.0 2.0」と間違われる、というミョーな理由から、
設定自体を「2019年」に変更したと言うこと。
しかし、ディテールまで気が回っていないようで、
この映画で一番大切な「レプリカントの寿命」に関して、
1年ずれたまま話が進行していく。
レプリカントの寿命が4年で、2017年製だって言ってるのに、
なんでもう死ぬの?って、ちょっと疑問だったのだ。
また、脱走して地球に潜入したレプリカントの数も微妙に変わる。
最初は6人で、実際にデッカードが始末するのが3人、
首領格の一人は、自然死だから、計4人しかいないじゃない?
(「一人は既に死亡」というアナウンスがあったらしいが、それにしても足らない)
途中でレイチェルが自分がレプリカントと知らされ、
タイレル社から逃げ出したので、見つけて始末しろ、と言う司令が、
上司のブライアントからデッカードに伝えられる。
にも関わらず、最後は彼女を見逃す発言をブライアントの部下のガフがしている。
この辺りもイマイチ、腑に落ちない。
「レプリカント」とは「アンドロイド」のような機械じかけではなく、
「人間を科学的に作ったもの」という事なので、実際は“生身”なのだ。
それをバンバン撃って殺すってのは、どうも気持がよくない。
実際デッカードが撃ち殺すのは二人。しかも女ばかりw。
嫌な奴だ。(男一人はレイチェルが撃った)
で、最後の一人を助け、連れて逃げたのだ。微妙なヒーローだね。
確かに“脱走レプリカント”は平気で人殺しをする悪いやつだ。
自分の親に当たるタイレル博士を、酷い方法で殺している。
また、宇宙空間での利用を考慮して製作された、というが、
宇宙空間で使うなら、機械じかけのロボットの方が簡単じゃない?
更に言えば、それに「感情」まで発生してしまうというのは、
相当に厄介な代物だw。
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まるで“感情があるかのような”仕草で動く場面があり、論議を醸したが、
あれとて続編の「2010年」では「最初からプログラムされていたこと」という
言い訳というか、エクスキューズがついていた。
(つまりコンピュータには意志はない、との事)
ともかく、今回のは「Final Cut」と言うくらいだから、
監督自身の“今”が反映した最後のバージョンと言うことで、
本編中にも多くの修正が入っているのだが、
一番大きいのは、やはりラストシーン。
無いのだ。
最後にあった、あの幻想的なサックスと、空撮の、
“あの”シーンが。
全体的にカルトムービーらしい、あの暗くて湿った重たい空気を、
最後の最後で、一瞬明るい日差しが差し込むような、ホッとする瞬間。
公開時もやはり、僕と同じような感情を持ったプロジューサーにより、
無理やり追加された、という、あのシーンが。
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今は手元にないので、わからない。
とにかく、今回このバージョンを観てハッキリわかったのは、
監督は「デッカード=レプリカント」を成り立たせたいんだ、と言うこと。
今まで何回もこの映画を見てきたが、
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これには、全く記憶がない。
見ている最中に「おや?」と思っていたのだが、
(今回の)最後のシーンで、デッカードが拾うユニコーンの折り紙と繋がる。
で、すぐに“エンドロール”となるのだ。
あまりに腑に落ちないので、特典映像の「監督の解説」を聞いてみると、
「あの折り紙を折ったのは、間違いなくガフで、
本来は誰もしらないはずの“デッカードの夢”であるユニコーンを、
これ見よがしに折って家の前においたのは、
お前の考えてることくらい先刻承知。
なぜなら、お前の記憶はこちらが用意したもので、
つまりお前は、レプリカントなのだ」
というメッセージ、なのか?みたいな事を言っている。
う~ん、そうか…。
確かに監督には「デッカードとレイチェル」のハッピーエンドよりも、
「彼は何者で、この後どうなっていくのか?」の方が興味深いのだろう。
この映画は“カルトムービー”であり、一般受けしなかった事を考え合わせると、
なるほど、この終わり方でいいのかな?という気も、
今ようやくしてきたw。
“腑に落ちない”けど、ある意味「正しいカルトムービーの終わり方」なのだ。
何回見ても、こういう映画は味わい深い。
しかし、バージョンが数多く存在するというのも、如何にもカルトっぽくて、
“ヲタク”達を熱狂させるのだろう。
スター・ウォーズの様に何作も作られてはいないが、
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今後また何回も、観るんじゃないかなw。
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