サービスは、付加価値と思われがちですが、
そのような側面もありますが、本当はそうではなく、
サービスそのものが価値となります。
それは、サービスがエネルギーだからです。
物は、形に過ぎません。
サービスに目を向けていくと、
物の見方が変わってくるでしょう。
物は、エネルギーを乗せる器、とも言えます。
サービスは、エネルギーそのものです。
お金と同じように。
サービスは、人が動くものだと考えると
分かりやすいでしょう。
全てにおいて、サービスが関わっています。
なぜなら、社会は人間が作っているからです。
無料のサービス、エネルギーの関わらないサービス
というのはあり得ません。
以上。」
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2016年9月27日 23:05頃(フランス時間)に書き出したものです。
今回、これを書き出しながら、面白いなぁ~と思っていました。
全てはエネルギーだとか、お金はエネルギーだとかよく聞きますが、なかなかうまく自分の体験的理解に結びついていませんでしたが、今回少し分かった気がします。
この通信を書き出しながら、いろんな景色が頭に見えては消えしていて。。。
例えば、マクドナルドの「スマイル0円」は、やっぱり違うな、と思ったり。
あと、製造加工された物質は、原料が作られる過程や、加工される過程に関わった全てのエネルギーそのものであるとも言えるし、また、そのエネルギーを可視化したものがその製品であるとも言えるな、などと考えていました。
サービスも労働もお金もエネルギーであるならば、例えば無料で強いられるサービス残業なんて、あり得ない。
スマイルにも、気持ちを込めてする挨拶や電話にも、価値がある。
日常の何気ないこと一つ一つに、価値がある。
そこに目を向けたら、私たちはなんとも多くの価値あるものを、日々互いに無償で交換またはシェアし合っているのか、と思いました。
そしてそれが、人類だけでなく、動物界や自然界とも行われている。。。
(私が今吸っている酸素は、私が作り出したものでは無い。)
生かされてるとか、全ての存在に価値があるとか、そういうことは綺麗ごとでもスピリチュアルでも何でもなくて、ただひたすらに「現実」なのだと、思いました。
手で掴めるくらいの確かな現実。
私には価値の分からない物でさえも、必要だから今そこにあり、それが形を成しているのだと思います。
「サービス」なんて言葉を使うから、惑わされてしまうんですね。
その言葉に、「無償の」という意味合いを無意識に乗せている自分がいました。
今の三次元世界での、貨幣経済社会での行為・サービスを全て「現金換算して見える化」してみたら、いかに多くのエネルギーの動きがあるかが分かるのだと思います。
その全てを実際に現金に換算してやり取りするという話ではなくて、全ての行為(奉仕)には価値があるのだと言うことだと、私は受け止めました。
「無料」にしてしまうと、聞こえは良いですが、実際にはエネルギーのバランスがアンバランスになるのだということですね。
いつしか、私たちの社会が貨幣経済ではなくなった時に、もっと確かにこの見えないエネルギーのやり取りを感じることができるようになるのでは…と思いました。