今週の月曜日、出勤直後に主人のお父さんの訃報の知らせがありました。
熊本の玉名で両親が二人で暮らしていましたが、母が脳梗塞で倒れ、同時に父の食道癌が見つかり、小倉の兄の家に引き取られていました。
6月に、自立型賃貸マンションで暮らすようになったばかり。
父は、定年後熊本に家を建て、車の免許を取りました。
それもミッション。
9時に就寝、朝は早起きをして毎日10キロを歩き、テニス、書道、ダンス、コーラス、整体そして、畑仕事と、周りからは「スーパーじぃちゃん」と呼ばれていました。
癌を宣告されてからも、生きることだけを考えて、前向きに治療をされていました。
5月にお見舞いに行った時も元気で(な振りをされていたようですが)
私達を迎えて下さいました。
(この時の日記には、最後と思って見送ったと書かれていました)
お葬式は家族が集まり、しめやかに営まれました。
このスーパーじぃちゃん、いつまでも生き様を語り継がれることと思います。
お坊さんの説法で、
毎月1度でいいので、おじぃちゃんのお話をしてあげて下さい。
それだけで供養になると・・・
おじぃちゃんは、あなた達を悲しめようとしているのではない。
生き様を知って欲しいのです。
どんな生き方をされたかを思い浮かべると、語り尽くせないでしょう?
大正、昭和、平成を生きて来られ、古い写真やトロフィー、墨絵、掛け軸、もうすぐ遺品整理でなくなってしまいます。
小倉記念病院の12階を階段で上り下りをしていました。
入院中も屈伸運動
病院での薬の管理もしていました。
毎日「天声人語」を書き写し、一日の日記が簡単に記されていました。
びっしりと書き写されたノートは3段ボックスの一列を埋めていました。
あらゆる健康法を試されており
今も玉名の実家は、そのままの状態
手作りの切干大根、ゴマ、米、梅・・・・・・etc
墓はいらんたい。
その辺に骨は撒いておけ。
静かに息を引き取られ、お顔は仏様のようでした。
85歳の人生を精一杯に生き貫かれた方です。
誰もが泣くこともなく、始終スーパーじぃちゃんの思い出に浸っていました。
お休みを頂いて、実家の両親のもとでブログを書いています。
認知症の母は相変わらず寝てばかりですが、頭の中は家事で忙しい様子。
父は来月白内障の手術が決まりました。
原因のわからない味覚障害でやせ細っています。
ということで
来月の橋本も行けそうにありません。
友人の全国大会の応援も行けないですね。
主人と私は、しばらくは九州と広島の往復になりそうです。
しかし、気持ちはのんびりと静かです。
いろいろな面で家族に守られているんですね。
お父さん、何も親孝行が出来なくてごめんなさい。
本当にありがとうございました。