摩周屈斜路トレイルを歩く その2

 

 

2日目

 朝、雲海から始まる。美幌峠など高いところから見下ろすと、眼下に雲が広がる幻想的な風景を見ることができます。ここ屈斜路カルデラは、日本で一番大きなカルデラ地形なのです(カルデラとは、火山で形成された盆地。日本では阿蘇カルデラが有名です)。とはいえ、今は雲海の底にいるので、霧の中です。屈斜路湖周辺、霧が立ち込める中、川湯温泉を出発。

 

 温泉街は、ただいま絶賛、再開発中。古い廃業したホテルが立ち並んでいたのですが、次々と取り壊されて、とてもすっきりとしました。背の高いホテルがなくなったおかげで、周辺の森がよく見えるようになりました。温泉街をぐるりと取り囲むアカエゾマツの森がとてもいい雰囲気です。できたらこのままの風景がいいな~と思います。が、再来年には星野リゾートが開業予定とのこと。この後、きっときれいなホテルができるのでしょう。ぜひ景観を大切にした建物にしてほしいなと思います。

 

 そんな温泉街の一角にぽつんと畑があります。川湯温泉街は、周りが森に囲まれているので、鹿がたくさんいます。特に冬から春にかけては、鹿の群れがたむろっていて、じーっとこちらを見てくる鹿はかわいくもあり、たくさんの鹿に囲まれるとちょっと異次元の世界に迷い込んだ感じもしたり、でも人間以外の動物がたくさんいるって、とても豊かなことです。それが、この日の朝は、その畑を囲っている網に、鹿が絡まってしまっていました。鹿が畑に入ってこないように張られている防鹿ネットなのですが、鹿の首に巻きついて逃げられなくなっていました。まだ1歳にならない仔鹿です。

町の農林課に電話しますが、まだ朝早いので担当の人につながらず連絡待ち。J君はなんとか網を鹿の首から外そうと試みます。もう一人が鹿の体を押さえます。仔鹿であり、また少し弱っていたのか、おとなしくじっと耐えて暴れたりはしません。網は鹿用の目の粗いものと小鳥用の細かいものが2重に張ってあり、首に巻きついていて外すのは容易ではありません。そうこうしていると畑のおじさんがやってきたので、網を切ってもいいか相談しましたが、おじさんは切ってはだめと言います。でも最終的には切らないと外せないよねと、なんとかおじさんの説得を試みます。しばらくして農林課の担当の人から電話がつながり、これから来てくれるけど、町からなので20分ほどかかるとのこと。そんなこんなしている間もJ君は一人一生懸命鹿の首に絡まった網を解こうとがんばっています。ついに、網が外れ、鹿は起き上がり、そして森へと走り去って行きました。網も切らず、無事鹿も森に帰れて、めでたしめでたし。J君お疲れ様でした。でも、鹿の生息地の中にある畑、おそらく今後も鹿は訪れ、また網に絡まってしまうかもしれません。周りに電気柵を張ったり、フェンスで囲ったりして、鹿がダメージを受けないような防除対策ができるといいです。

 私は、鹿が網が絡まってるのを見た瞬間、網を切らなきゃと思い、ザックに入っているナイフを取り出しました。まさか、素手で外せると思ってなかったのです。J君は素手で外してあげられると最初から信念を持って揺らぐことなく最後までやり遂げました。私は、J君の先入観のなさに心打たれました。

 その話を後で夫のハッシーに話したところ、ハッシーは「J君はそういうところがある。」と、かつて一緒にカヌーの仕事をしていた頃の話をしてくれました。湖で水難レスキューの訓練をみんなでしていて、ハッシーは結婚指輪を落としたことに終わってから気づきました。結婚間もない頃だったので、みんな一生懸命、湖の中を潜って探してくれた。けれど、見つかりません。沖には出てないにしろそこそこの広い範囲で、深いところは足がつかない湖の底です。ハッシーももう諦めたのですが、J君はそれでも探し続け、なんと指輪を見つけてくれたのです。小さな白金の指輪を!すごすぎる!!ありがとうJ君。忘れてたけど、私の指にもハッシーとペアの指輪がはまっています。これからはこの指輪を見て、「先入観を持たず、信じて、諦めないでやり続ける」というJ君の信念を思い出します。

 

 と、そんな珍事からスタートした2日目。川湯から屈斜路湖沿いを歩いて行きます。湖沿いは森が広がっています。花穂をつけているのは、ハンノキ。早くも花粉を飛ばしているそうです。北海道は杉はありませんが、白樺や牧草などの花粉アレルギーはやっぱりあるので、花粉症は北海道でもあります。あの木はハリギリ、この木はヤチダモ、あれはオニグルミなどなど、木育マイスターH君の解説を聞きながら歩きます。

 

 仁伏半島に到着。仁伏半島は、カツラやニレ、トド松やハリギリなど巨木も多い豊かな針広混交林の森で、トレイルは半島をぐるっと回ります。雪はもうほぼ融けていました。林床には福寿草が満開です。こんなにたくさんの福寿草が広がっている景色は、初めて見ました。北海道では、春一番に雪の中から顔を出してくれる福寿草。黄色に輝く花は春の到来を告げ、うきうきします。クマゲラのドラミングも森に響いています。オヒョウニレという鹿が冬に好んで樹皮を食べる木も多く、樹皮を剥がされてしまった木も目につきます。トド松の灰色のつるりとした樹皮には、ヒグマの爪跡が残る木もありました。巻きついているコクワの実を食べに木に登ったのでしょう。森が豊かだと、そこに暮らす動物も多様です。ライチョウも姿を見せたそうです。北海道のエゾライチョウは冬、白くはなりません。「やまどり」と呼ばれ、おいしいので有名ですが今は数が減っています。仁伏半島の山頂では、最近、結婚したメンバー二人を囲んでみんなで記念撮影。これ新婚旅行でしょ、取り巻きが多すぎるしって冗談に笑いました。幸せそうな二人に、周りもほのぼのとしていました。

 

 仁伏トレイルは、最後、屈斜路湖の湖岸へと下りて行きます。この日の屈斜路湖は、一面結氷していた氷が融け始め、蓮氷になって浮かんでいました。また朝の霧が晴れてきて、対岸の岸の上にうっすら霧が漂っています。上空には青空が広がり、藻琴山が湖に面して美しい裾野を広げています。今日、この日だけ、この瞬間だけの美しい景色です。一面凍っている白い大地と化した湖は、ある日、一斉にシャラシャラと音を立てて融けて、流れてゆきます。それはたった1日、数時間の出来事だったりします。その瞬間に出会えるのは貴重な体験。ここで暮らしていると、偶然そんな瞬間に出会えることがあります。実際、翌日には仁伏一帯の氷も融け、川へと流れ出し、すっかり消えてしまいました。自然は日々姿を変え、今目の前に広がるのは一期一会の絶景です。湖岸に打ち上がっている氷板の端っこは融ける寸前で、指で触るとほろほろと柱状に崩れてゆきました。その氷の柱は細く透明で水晶のようにキラキラ光っていました。

 

 今日は、メンバーの子である小学6年生の男の子が一緒に歩きました。木に登ったり、湖の氷に飛び乗ったり、自由気ままに自然と触れ合っている姿は印象的でした。かつては、私の子ども達もこんな風に森の中で遊んでたなあと懐かしく思いました。この子の通う川湯小学校は、去年5、6年生の十数人が、摩周屈斜路トレイルを5回に分けて完歩しています。月に1~2回、トレイルクラブのメンバーが講師として同行し、みんなで歩きました。その成果はまとめて冊子になって、図書館やビジターセンターに置いてあります。子ども達が自分のふるさとを体感し、発信することは、とても素晴らしい体験だなと思います。そんな機会を力を合わせて作る先生を始め多くの大人達も素敵です。

 

 湖岸に出ると、ゴミが打ち上げられていたので、拾いながら歩きました。ゴミを拾い始めるとついついゴミばかりに目がいってしまいます。この時も、すぐそばに大きな鳥の死体があったのですが、気づかずにそばのゴミの方を拾っていました。「あ、踏んじゃう!」と言われて気づきました。おそらくトビと思われる死体は、まだ新しく茶色い色は周りの葉っぱや土と同系の色で保護色になっていました。小学生の男の子が、その鳥のそばに貝殻をお供えして、手を合わせていました〜合掌。外来種のオニアザミを見つけると、引っこ抜いている人もいます。気になるもの、目に留まるものは、人それぞれです。

 

 湖沿いに、屈斜路湖と藻琴山を見ながら進みます。砂湯に近づくにつれ、湖の氷は解けて、水面の見える部分が増えてきました。霧も晴れて、水面に藻琴山が映り込んでとてもきれいです。観光スポット、砂湯に到着。越冬中のハクチョウもまだいます。観光客で賑わっていました。ここでお昼ご飯休憩。お弁当の他に、売店で揚げいも、いも団子、フレンチドックを買って食べたりしました。フレンチドックとは、アメリカンドックのように中に魚肉ソーセージが入っていて、周りに衣がついて揚げてあります。アメリカンドックはケチャップをつけて食べると思いますが、フレンチドックはお砂糖がまぶしてあるのです。北海道でも道東方面限定だとか。確かにこの辺りではお祭りの屋台でも見かけます。でも私は食べたことがなくて、一度食べてみようと思うけれど、いつも躊躇して未だに食べていません。多分、魚肉ソーセージをクマ研の大雪山調査の時食べ過ぎて、食べる気が湧いてこないためと思われます。という訳で、私はソフトクリームをいただきました。おいしかったです。

 

 昼食が終わって、次は池の湯を目指して歩きます。池の湯もここ最近、コテージやカフェができたりして、裏寂しい感じから開けた感じへと変わりました。古くからアイヌの人達にも愛用されてきた露天風呂、池の湯は健在です。湖を望む広い湯船、岩の割れ目から湧き出す源泉、ぬるめの優しいお湯、岩に付着したぬるぬるの苔も愛おしい。足湯しながらしばしの休息。温泉の恵みをトレイルの各所で感じられます。

 

 この先は、コタン旧道を進みます。今は木々が生い茂る湖畔沿いに続く砂利道。先行く仲間を見送って、私はここで終了。今日は12キロ歩きました。ちょうど全トレイルの中間地点に当たります。みんなは和琴半島まであと10キロ歩きます。コタンには素敵な芝生と露天風呂があります。北海道の名付け親松浦武四郎の歌碑、アイヌ民族資料館もあり、トレイルエンジェル(ハイカーを応援してくれる地域住民)がたまに現れることも。その先、じゃがいもやビート、小麦などの畑の広がる屈斜路の畑作地帯を歩いて、和琴半島へ。和琴半島は巨木もある豊かな森で、一周ぐるりと回れる遊歩道があります。四季折々、花や鳥が楽しめるポイントです。いも団子やさんもあります。

 

 3日目 和琴半島から屈斜路プリンスホテルまでが現在整備されているトレイル。その先は、屈斜路湖の北岸~美幌峠まで。北岸は立派な木が多く生え、またかわいらしい草花や秋には珍しいキノコに出会えるヒグマの気配も濃厚な森の道です。現在、林道を歩く許可の関係で、林内の道を開拓中。来シーズン(2025年)の開通を目指して整備中です。

 

 開通した暁には、美幌峠でゴール。屈斜路カルデラの尾根である摩周湖第一展望台からスタートし、カルデラの底を巡り、またカルデラの尾根、美幌峠までの62キロの道のり。歩いてきたルートが眼下に望めます。屈斜路湖、そして左手には知床連山、右手に阿寒の山、北側にオホーツク海の360°のパノラマ。感動も一入(ひとしお)。車でも登れますが、ぜひ歩いて登ってみてください(来年以降!)。

 

摩周屈斜路トレイル、略してMKTは、会長のMさん、事務局のKさんにちなんでMKTと付けたと言っても過言ではないくらい、お二人の尽力の賜物です。コースの選定、土地の管理者との協議、環境省や町との交渉ごとなど、膨大な仕事をこなしています。そして、それを支える仲間や、日頃草刈りなどの整備を熱心に行なっている会員達。てしかがトレイルクラブは2019年に発足したNPOですが、発足までにも数年の準備期間がありました。遊び心を忘れずに、力を合わせて活動している会員の皆さんに感心します。私もほんの少しですがお手伝いさせてもらっていて、長く活動が続くといいなと思っています。そして、多くの人が摩周屈斜路トレイルを楽しんで歩いてくれることを願っています。

 

 このスルーハイクの数日後、私は仁伏トレイルを一人で歩きました。みんなと歩くのと違って、クマが気になります。大勢だとクマもさすがに寄って来ないだろうと安心感がありますが、一人だと用心深く「おじゃまします」と挨拶して、遭わないように心がけ。鈴は時々何回か鳴らして、その後は静かに歩きます。周りの音に気を配り、遠くも見通しながら。たまに木の切り株がクマに見えて、双眼鏡で確認したり。クマの気配を感じながら歩くのは、恐怖心もあるけれど、適度な緊張感があって、むしろ好きです。この畏怖の気持ちは、きっと人類が誕生してからずっと先住者であるクマに抱いてきた感情だから、人類に備わった大切な感情だと思います。クマがいるのが北の森。クマがいるからこそ、魅力があります。歩く速さもみんなと歩く時よりゆっくりです。自然との距離がぐんと近くなります。鳥のさえずり、風の匂い、花の彩り、湖の煌めき。五感を全開にして、自然と一体になる感じ。森の気配に耳を澄ませながら歩く大好きな時間です。森はいつも無言でやさしく私を受け入れてくれます。周りに人がいると、自然よりも人の方が気になってしまいます。本当は同じように自然と交流できたらいいのだけれど、私は「自分は役に立っているだろうか。」「自分が存在する価値はあるだろうか。」など余計なことばかり考えてしまうのです。そして、大抵は自分の存在価値を感じられずに気落ちしてしまいます。私が出会った人に伝えたいことの一つに「あなたはいるだけで価値がある。」「何もしなくてもそのままで大丈夫だよ。」というメッセージがあります。それこそ、自分に言ってあげたい。今度みんなで歩く時は思い出して、穏やかな安心した気持ちで歩けたらいいです。一人で歩くのも好きだけれど、みんなと一緒に歩くことで、見つけたもの、気づいたこと、感動を分かち合えるのも好き。

 

 太古からの美しい大地、豊かな森、たくさんの生き物、人々の暮らし。車で通り過ぎるのとは違った歩くから見えてくる景色。

 魅力あふれる摩周屈斜路トレイル。ぜひ、みなさんも歩いてみてください♪