勝っても負けても。

 

 

先日、高校サッカー選手権の北海道大会を観に苫小牧まで出かけた。次男の所属するサッカー部が出場していたからだ。

サッカーの試合を観たことがある方はお分かりだと思うが、自分が応援するチームが勝てばうれしいし、負けると悔しい。

また、自分の子(あるいはお気に入りの選手)が選手に選ばれるとうれしいし、選ばれないとがっかりする。

試合を観ている時も、ゴールが決まれば大喜び、決まらなければ惜しい!入っていれば!とつい悔やんでしまう。

悔しさの程度はその大会への思い入れにより、大きかったり小さかったりするが、どうしようもなく湧き起こってしまう感情である。

勝ち負けにこだわらないと思ってみても、しばらくは思い返して意気消沈したり。

次男がサッカーを始めた小学3年生から、かれこれ8年間、一喜一憂、揺れ動いてきた。

 

それが近頃、私にちょっと気持ちの変化が起こっている。

「今というのは、もう既に決まっている未来が実現している瞬間である。」

という仮説を最近採用し始めているせいだ。

人生のシナリオは生まれる前に自分で書いて、生まれてくる時は忘れてしまっているけれど、その通りの人生を送るんだよ、というお話は一度くらい耳にしたことがあるだろう。

私も今まで何度か小耳に挟んではきたが、素通りして受け止めたことがなかった。

それが、最近は、なんとなくそうかもと思うようになったのだ。

 

そう思うと、たとえゴールが惜しくも外れても、接線の末負けてしまったとしても、「そうなるようになっていた」と思うと、焦らずに受け入れられる。

なぜなら、人生のシナリオはちゃんと幸せになるようにできているから。

今日の試合に負けても、ちゃんとその後もっと大事な試合で勝てる結果が用意されているかも。

サッカー選手になれなかったとしても、ちゃんとその後別のもっとやりたいことが見つかってそっちが実現するかも。

そう、ちゃんと自分が体験したいことを実現できるような、自分が主人公の自分に最もふさわしいストーリーを一人一人が自分に用意しているのだ。

初めから終わりまで順風満帆で失敗のない人生はあり得ないし、感動が少ないかもしれない。(めっちゃいいかもだけど。)

つまずいたり転んだり挫折したりしながら、でもまた立ち上がって、色を塗り重ね、少しづつより深く自分を愛していける、そんな手の込んだ物語だ。

最後はいい人生だったな、自分に生まれてこの物語を辿れて最高だったなと思えるような。

だから、そのゴールが入らなくても大丈夫、これは予定通り。

だから、今日の試合は負けても大丈夫、これが最善の出来事。

次の展開へとつながる布石になっていて、ちゃんと幸せに導かれているから。

今はその体験をその湧き起こる感情を味わおう。

 

ふりかえれば、大学受験に落ちて浪人したね。

けど、1年間がんばって勉強したことは自信になったし、一度挫折したことで逞しくなれた。甘ちゃんの私には必要な試練だった。

学生時代たくさんの素敵な出会いに恵まれたのも、一浪がベストのタイミングだったのだ。

 

ふりかえれば、若い頃、大好きだった人に振られてかなり凹んだ。

けど、その後ハッシーと出会って3人の子どもに恵まれた。

そう、今が一番幸せ。

 

ふりかえれば、長男は小さい頃喘息で、夜間救急に走ったり、何度か入院もして大変だったね。

喘息症状は、「お母さん、僕のことちゃんと見て」っていう長男からのメッセージだったのかもしれない。目の前の子どもにちゃんと向き合い切れていない自分だったから。

子どもと過ごす時間とともに母性も育った。夫婦で協力して乗り越えた体験は、絆を深めたとも言える。小学校に入学する頃には喘息も完治して、よかったね。

表面的にはマイナスに見える出来事も、別の方向から見たらプラスの側面を持っているのだ。

 

高校時代、「報われない努力もある」という言葉に、ものすごくショックを受けた覚えがある。若かったな。

報われたり、勝ったり、合格したり、結ばれたり、それだけが幸せだと思うと、その反対のことが苦しい失敗に見えてしまう。

報われないこともそれはそれで大事な出来事であり、起こるべく起こっていて、次の物語への大切なステップだと、今なら思える。

 

とはいえ、これからも揺れるだろう。

一喜一憂してしまうと思う。

そんな時は、この仮説「最善の物語を生きている」を思い出して、またすっと凪の心に戻ってこよう。

全ては最善のタイミングで起こっている筋書き通りの出来事だと。

 

先日の高校サッカー選手権北海道大会は、残念ながら1回戦で負けてしまった。

去年は決勝まで進んだというのに。

3年生はこれで引退だというのに。

無念さを再生することも選べるけれど、選手達はもう未来に向かって歩き始めている。だから、再生しないことを選ぼう。過去は記憶の中にしか存在しないのだ。

大人になって振り返った時、あの負けがあったからこそ今の幸せを掴めたと思える出来事になっているはずだ。

いや、勝ち負けに意味はなく、自分を信じて仲間を信じて全力でボールを追いかけていた時間そのものに大きな意味があったと振り返るのかもしれない。

 

さて、来月もプリンスリーグに参入できるかどうかが決まる大事な試合がある。

どうか勝ちますように。

プリンスリーグに上がれますように。

ってついつい思ってしまうけれど、大丈夫、一番の最善へ続いているのだから。

勝っても負けても、それでいい。

どんな道を歩いても、行き着くのはいつも幸せ。