道
先日、高校3年生の長男の空手の大会を観に行った。
高校に入学し、空手部に入った明。
コロナ禍下のため、応援に制限があることが多く、やっと観戦できたのがこの5月だった。
明は、小学1年生から摩周空手道少年団で空手をしていたので、小・中学生の時の進級試験などで型や組手をしている姿は観ているのだが、高校になってからは今回が初めてだった。
少年団の頃と高校の部活でとは、明の空手への熱意がまるで違った。
正直、ずっと少年団は続けていたけれど、特段熱心だったり、好きそうだったりする素振りはなく、父親と一緒に通っていたので、父親に連れられてやっているという感じだった。
なので、高校で空手部を選んだのは意外だった。
明の高校 湖陵高校の空手部は上手な子が多く、全道大会の常連校、全国大会へ出場する先輩、同級生も数名いる。
普段の練習もとても熱心だ。
顧問の先生はいるが、合唱部と兼任の音楽の先生で、空手部を指導する先生はいない。
仲間内で教えあって切磋琢磨しながら技を磨いている。
経験者や道場に通っている子が多いものの、高校から始めた子もすぐに上達し、大会でも勇姿を見せていた。
明より上手な子がほとんどで、明は教えてもらう立場だった。
でも、誰よりも一生懸命練習に取り組んでいるせいか、2年生からは部長をつとめている。
休みの日はたまに家に来てみんなで一緒に大量のご飯、豚肉のしょうが焼きとかロールキャベツとか作って食べたり、夏休みには自転車でキャンプに出かけたりと、とても仲がいい。
みんな礼儀正しくて、大会を観に行った時も観覧席に座っていたら、わざわざ私のところまで来て、挨拶をしてくれるような律儀な高校生達だ。
さて、その大会が凄かった。
個人 型 女子。
入場するところからもう場の空気がすっと引き締まっている。
礼をして、息を吐いて自然体。
息を吸って、型の名前。
「かんくうだあいっ!」
気合の入った声で会場が静まり返る。
そこからの演技は、一挙手一投足、息を呑む、真剣な、洗練された動き。
その力と素早さ、切れは、日々の努力の賜物だ。
何よりその気迫、集中力、無心。
それに惹きこまれて、自分の体の気も知らず知らず丹田に集まる。
邪気が払われ、場が清められる感じ。
この静寂を生み出す16歳の彼女の気力に感動する。
これは一人の人から生み出されている気のみならず、空の世界に満ちている気が一人を通じて放射されている。
この感じ、似ている。
知床の原生林の中悠々と歩くヒグマ、サッカーの試合チーム全体が一つにまとまってゴールを目指す瞬間、クマ研メンバーが雪の中一心にラグビーボールを追いかける姿*、美しく遥かに続く大雪山の稜線に身を置いた時、陸上競技場200mを全力疾走している自分、小学校の学芸会劇を熱演する子ども達の健気な姿、、、
揺るぎなく全身全霊を込めて今ここにいる時。
今ここに集中し、ゾーンに入り込んでいる姿。
感謝の気持ちでいっぱいで、ただ生きている喜びに浸っている瞬間。
正に色即是空空即是色 色と空の中心点、ど真ん中にいる感覚だ。
(*雪中ラグビー大会という大学のイベントがあり、クマ研の人達は毎年やたら張り切って朝練をして挑んでいた。)
続いて、団体 型。
3人が一緒に一つの型を演じる。
3人の息と動きが揃う美しさ。
こちらもまたかっこよさの極み。
空手道。
流派が様々にあり、日本では松濤館流、剛柔流、糸東流、和道流の4つが、伝統空手と呼ばれる主な流派だそうだ。
松濤館流の型でいうと、初心者の平安初段から始まり、平安五段まで。更に、鉄騎初段、慈恩、 抜塞大など、難易度が高くなってゆく。
例えば、
「慈恩 じおん」 仏のような穏やかな動きと、一転して激しい攻撃の動作が特徴の型。
スピードの緩急を使い分けることが大切で、めまぐるしく変化する動きを、時にはゆったりと、時には迅速に行う。また、この慈恩も、両手同時、手足同時の動きが頻繁に登場する。
「燕飛 えんぴ」 ツバメのような素早い切り返しが特徴の型。特徴的な挙動(攻撃と反撃、そしてまた攻撃と攻守がめまぐるしく変わる)が、何度も繰り返される。軽やかな身のこなしと、スピード感あふれる型を展開している。
「抜塞大 ばっさいだい」 敵の城塞を打ち破るような気魂を込めた型。すさまじい迫力がみなぎる。相手の突きを左右の手で二度受けると言う難しい動作や、山突など新しい技が登場する。
「観空大 かんくうだい」 日本空手協会を代表する型。65の挙動で構成された内容は、とても変化に富んでいる。“観空”とは、空を仰ぎ見ると言う意味で、一番初めの挙動が型の由来になっている。
1 丹田のあたりで、左手の上に右手を軽く重ねる。
2 肘を伸ばしたまままっすぐに頭の上に腕を上げる。
3 両手の指の間から空を仰ぎ見る。
4 両手で円を描くようにゆったりと左右に開く。
5 そのまま両手を動かし、左手のひらに右手刀を重ねる。
以上、空手道の教本より抜粋。
流派によっても型が異なる。
今回個人型男子で優勝したゆうと君はチャタンヤラクーシャンクー(糸東流)、準優勝のひびき君は岩鶴がんかく(松濤館流)を演じた。
実は、私も摩周空手道少年団で空手をしていた。
弟子屈で働き始めた2年目くらい、27歳〜29歳までの3年間くらい。
自分の中に筋を一本通したくて、武道をやってみようと思った。
それまで武道には縁がなかったが、弟子屈町に摩周空手道少年団があると知って、始めた。
当時、町内の小中学生の子も多く通っていて、道場では正面から上級者から順に正座してゆくが、一番初心者の子は畳からはみ出しそうになるくらい並んでいた。25人くらいいたのかな。
その後だんだん子どもが減って、うちの子が通っていた時は子どもが5人しかいない時もあった。
指導者は南先生。
大人も子ども達の後ろに並んで一緒に座す。
黒帯の指導者も兼ねた成人の方が4名ほど。初心者が2名、中級者2名ほど。
私も白帯から初め進級試験を何度か受けて6級緑帯まで進んだのだが、その後結婚し、妊娠したため、途中でやめてしまった。
練習で一番好きな時間は、最後正面の神棚に向かって全員が正座で向き合い、先生が「一同 礼 黙祷」と言うと目を閉じて1分ほど静かに黙祷する。
ほんの短い時間だが、心が落ち着くその時間が好きだった。
瞑想も一人でするよりみんなでした方が深まると聞いたが、黙祷も一人ではなく皆で共有している場の空気にほんの短い時間だけれど心洗われた。
ちゃんとやめますと伝えないまま、なんとなく自然消滅になってしまい申し訳なく思っていたのだが、その6年後、明が小学校に入学してから、長男と夫が空手を始め、また南先生にお世話になることとなった。
明が空手を始めたきっかけは、入学して学校まで上級生と一緒に歩いて通っていたのだが、道中上級生がランドセルをひっぱたり、荷物を持たせてきたりとちょっと困ることがあった。学校では先生がいることもあって、大丈夫なのだが、行き帰りがちょっと辛い様子だった。
それを聞いて、夫が何か精神的にも肉体的にも強さを持つことが大切だと思ったようで、空手を習わせようと言い出したのだ。
美留和の自宅から道場のある弟子屈市街まで片道10キロほど離れているので、車で送迎するのに送り迎えと往復するのも大変なので、夫が一緒に習うこととなった。
その後、次男も長女も習い始めたが、次男は小学3年生からはサッカーへ鞍替え、長女もソフトテニスを一時しに中断したが、明だけが中学3年生まで空手をずっと続け、夫共々初段黒帯をとった。
空手のおかげか、小学校生活もその後問題なく明るく穏やかに過ごせた。
空手はきっと明の精神的な支柱となって、一生役立ってくれると思う。
辛い時には高校時代の仲間と切磋琢磨した思い出が励ましてくれるだろう。
落ち込んだ時には、自然体で息を吐き出せば、また気力が湧き上がってくるだろう。
空手をこの先続けるかどうかはわからないけれど、空手で養われた精神力と体力、そして友達は、明の資産だ。
免状も賞状もないけれど、心と体にしっかり刻まれている。
家族で大変お世話になった摩周空手道少年団だが、一昨年南先生がお亡くなりになり、少年団も閉団となった。
南先生、誠にありがとうございました。
明は今回は個人組手と団体組手で出場。
組手は、相手の駆け引きの中で技を繰り出す実践だ。
間合いとタイミングが重要。そして、思い切って飛び込む勇気。
私は約束組手というあらかじめ仕掛ける技を言って相手に受けてもらう、相手が言った技を準備して受けるという組手しかしたことがない。
お互いに礼 「上段参ります」「押忍」「えいっ(攻撃)」 受け 「えいっ(反撃)」
そんな約束組手で技をあらかじめ確認し合ってても、未熟なため拳や蹴りが当たってしまうこともあり、やっぱり痛い。
高度な技術と洞察力が求められる自由組手は、初段黒帯になってから取り組む。
約束組手でも、相手と素で向かいあうのは気持ちが清々する。
なぜなら、普段そんな風に人と人が向き合う機会ってないから。
割と近い間合いで、目を見つめあって、でもそこには気恥ずかしさとか衒い(てらい)とかよそよそしさとかなくて、真剣さや中庸な気持ちが流れている。
普段なら密に感じる距離感も、道場ではまっすぐ面と向かい合えるのが好ましい。
例えば、お仏壇とかお墓とか神社なんかで神様仏様故人と相対するのに似てる。
私のお気に入りは、木と向き合うこと。
お庭の木でも公園の木でも森の中の木でも、好感をもつ木と向き合ってその木の全体から醸し出される気を感じてみる。
そっと樹皮に触れたり、ぎゅっと抱きしめてみたり、背中を幹に預けてみたり。
そうすると、お互いに気を交換しあって、なんかほっこり幸せな気持ちになる。
組手は、対戦なので、そんな穏やかな感じではないかもしれないけれど、人と向き合うのは、バーチャルでは感じ得ない何かをお互い与え合える豊かさがある。
伝統空手では、攻撃を当てない寸止め空手。
一本・技あり・有効で得点され、忠告・警告・反則などで減点される。
当ててしまうと減点対象だが、熟練者ほど当てずに寸止めができる。
試合組手を観ていても、素人の私には何が技ありで何が忠告なのかさっぱりわからないが、そこは審判が判断している。
主審は一人。副審4人が赤と青の旗を持って、技が決まるとばっと旗を上げる。
審判の人たちも空手家なので旗の上げ下げにも力と切れがあり、また主審の「やめ!赤 有効!!」の声にも気合がこもっている。
以下、審判が観ている点を空手サイト「オレ流空手」より引用。
姿勢:相手に対してまっすぐに体を向けていること
態度:悪意のない態度でスキがなく集中していること
気力:技と力とスピードが一定水準以上あること
残心:技の後、引手を十分にとって、相手の反撃に備えていること
タイミング:最も有効的な瞬間で技をかけていること
距離:有効な距離で技をかけていること。肌が触れるか2〜5㎝離れているところへ突 き・蹴りがなされていること
明の試合の1回戦は、ハラハラしながらなんとなく優勢、なんとなく押されてる、あ、勝った。という感じで見ていた。
自分から素早く攻撃を仕掛けることもあるし、相手が攻撃してくる隙ついて逆に攻撃する手、相手の攻撃を受けてから反撃するという作もある。
なので、攻撃した方か受けた方かどっちが有効な技をとったか、速すぎてわからないのだ。
準決勝では、いつも共に練習しているナル君と対戦だ。
ナル君の勝ちだけど、明もきっとすごく上手になってる。がんばったね。
別の準決勝も、湖陵高校同士の対戦。
明の同級生カイト君と期待の新人オサナイ君。
カイト君は全国レベルの強さだが、オサナイ君もすごい。
拮抗する試合が続く。どちらも譲らず。
2分という短い時間が、とても長く感じた。
結果、カイト君勝利。
いや、でも両者すばらしい。
素人目にもその技術の高さがわかる。
武士が日本刀で向き合ってるような隙のない洗練された動きだった。
5人が1対1で闘い勝ち点を競う団体組手は、今回は対戦チームがいなくて不戦勝。
個人組手は上位4名は全員湖陵高校、全員来月の全道大会へ進む。
全道大会もがんばって、次の全国大会を目指してほしい。
これが3年生にとって最後の大会だから。
この大会が終われば引退だ。
少しでも長く、一緒に空手ができるといい。
高校時代の今この瞬間は、もう二度とないから。
この友と本気で空手ができるのは、今しかないから。
今ここに全身全霊を込めて、命を輝かせてほしい。
高校空手部での活動はもう少しで終わってしまうけれど、君達の道は続く。
心・技・体。
空手道を通じて自己鍛錬の術を磨いてきた君達。
生涯に渡って道を極めていってね。
いつも感動をありがとう。