美留和小学校の思い出
北海道の東、弟子屈町の美留和小学校に通っていたうちの3人の子ども達。
全校生徒が7人ほどの小さな小さな学校です。
私は名古屋市のとなり町で生まれ育ったので、小学校は1クラス40人の4クラスという大所帯。中学校はもっと多かったのです。
ですから、小さな学校と言って思い浮かぶのは、「北の国から」に出てくる涼子先生が一人で10人ほどの子どもを教えている富良野の麓郷にある分校くらいでした。
美留和小学校は、小さいながらも分校ではないので、校長先生と教頭先生もいます。
クラスは複式といって、1、2年生で1クラス、3、4年生で1クラス、5、6年生で1クラスの計3クラス。それぞれに担任の先生が1人います。
教頭先生も担任を兼任することが多かったです。
支援学級の子がいると「ひまわり学級」がもう1クラス増え、更に保健の先生も。
事務員さんがいて、用務員さんもいるので、先生方が子ども達と同じくらいいます。
子どもが少なくて寂しそう〜って思うかもしれませんが、実際は、子ども達は元気いっぱい、毎日楽しく学校に通っていました。
私は学校があまり好きではなかったのですが、こんな学校だったら私も通いたいな〜って思います。
何が楽しいかというと、まずは先生達も楽しんでいるから学校が明るいのです。
校長先生や教頭先生も楽しそうで、いつも親しく話しかけてくれます。
担任する子どもが2〜3人ほどなので、先生方も無理なく一人一人に寄り添って指導してくれます。
教室の前と後ろに黒板があって、6年生は前の黒板、5年生は後ろの黒板、それぞれ椅子を黒板の方へ向けて、先生は交互に5年生と6年生の授業をします。
それはそれで慣れるまで苦労があると思いますが、子ども達も時には待ったり、先生に合図を送ったり、協力しながら授業を進めている様子です。
全校の児童数が少ないので、休み時間には1年生から6年生まで仲良くみんなで遊びます。
時にもめ事があったりしますが、兄弟喧嘩のように仲直りしたらまた元のように一緒に遊んでいます。
また、学校行事が季節毎にいろいろ盛り沢山です。
宿泊研修や社会見学など、普通は5年生だけ、とか4年生だけで行う行事も、人数が少ないので、全校児童が参加します。
なので、宿泊研修に1年生から毎年行っていました。
近場のキャンプ場、とはいえ阿寒摩周国立公園に位置し、屈斜路に面する風光明媚な和琴半島湖畔キャンプ場です。
コロナ禍の時は、密を避けるために一人1テントを張っていました!
スキー授業は年4回ほどありますが、お弁当を持って行って終日スキーです。
シングルリフトが1機だけあるような小さな隣町のスキー場はほぼ貸切状態で、滑ってはリフトで上がり(待たなくても速攻乗れる)、また滑るの繰り返し。
しかも教えてくれるのは、スキー指導者の資格を持っている地元のベテランのおじさん二人(ふだんは酪農業)。
子ども達はめきめき上達して、板を揃えて華麗に滑れるようになります。
冬にはスケート授業、夏にはプール教室、それ以外にも授業時間にたくさんのクラブ活動をみんなでします。サイクリングクラブ、釣りクラブ、カヌークラブ、料理クラブ。
釣りクラブではフライフィッシングのお店をしているおじさん(卒業生のお父さん)が、カヌークラブではプロのカヌーガイド さん(在校生のお父さん)が指導に来てくれます。
夏の農園作業では苺、きゅうり、さやえんどう、ピーマン、大根、人参、じゃがいも、かぼちゃなどたくさんのお野菜を作っては持って帰ってきて、食卓を潤してくれました。
ここでも地元のおじさんおばさんがお手伝いしてくれます。トラクターで堆肥を運んでくれたり、おばちゃんが草むしりを手伝ってくれたり、収穫したじゃがいもを一緒に芋団子にして食べたり。
時には札幌の有名ホテルのシェフがお料理クラブの講師に来てくれることもあります。
1年の中でもっとも盛り上がるのが運動会です。
小学生7人の小さな運動会かと思いきや、自治会との合同運動会で大人も合わせて100人ほどが参加する盛大な運動会なのです。
子ども達は赤組と白組に分かれ(学年がいろいろなので)ハンデを設けた徒競走をしたり、児童全員で長縄跳びに挑戦したり、一輪車の素晴らしい演技を披露したり、人数が少ないながら目が離せません。
自治会は地区毎に4つの組に分かれて競い合います。
優勝カップを獲得するために、老若男女、全力で大玉を転がし、お手玉をカゴに投げ入れ、綱を引き合います。
子どもよりも大人が一生懸命で、腰を痛めたり、肋骨にヒビが入ったり、負傷者も少なからず出ますが、みんな笑顔です。
運動会の後は、グランドにブルーシートを広げての直会(なおらい)で、お菓子や飲み物(ビールもあり)を囲み健闘を讃え合います。
そんな地域と合同の運動会もコロナ禍でこの3年は休止しており、今年こそはまた再開できたらいいです!
学芸会にもたくさんの地域の方々、卒業生のみんなが観に来てくれます。
子ども達は器楽、歌、踊り、劇とフル出場。
練習を積んだ全力で取り組む舞台は、観客を魅了します。
地域の方々もむかし美留和小学校に通っていたり、子どもが卒業生だったりして、みんな美留和小学校の子ども達をいつもあたたかく見守ってくれています。
最近では移住してきた方も多いですが、小学校は地域の要としてみんなを繋いでくれている貴重な存在です。
1月のこの時期は、毎年釧路管内の多くの小学校が参加する版画コンクールがあります。
美留和小学校はこの版画コンクールで優秀賞を取る常連さん。
うちの子達もいい賞を毎年のようにもらっていましたが、特段絵が上手という訳ではないのです。
なぜいい作品ができるのか?
ひとつは制作に時間がかけれるという点があります。
人数が少ない分授業が比較的スムーズに進行するので、時間を融通して図工に多めに時間を割くことができます。
また、今年もいい賞取るぞ!という子ども達の意気込み。
どんな構図にしようかな〜、彫りの白と黒の対比はどうしよう〜、刷りがきれいに出るまで何度も刷り直したり、、、と子ども達は非常に熱心です。
先生方はあまり手は出さず、子ども達を見守り、やる気を引き出し、必要な時には手を貸し、失敗からも学ばせ、締めるところは厳しく〜という日頃の学習態度が、版画の作品にも反映されているのではないでしょうか?
そんな6年間を過ごした子ども達は、美留和小学校を巣立ち、大きな中学校へと進学して行きます。でも、この6年間は子ども達の土壌となり、糧となり、中学校、高校へ進んでも確実に生き続けています。
一生の宝物です。
昨年、美留和小学校で長年教鞭をとってくれた先生が一人離任することとなりました。
コロナ以前にやっていたPTAと自治会で開く盛大な送別会は残念ながらできませんでしたが、教え子達が集って小さな感謝を伝える場を持ちました。
子ども達が寄せ書きに書いていた言葉。
「先生と美留和小で勉強ができてすごく楽しかったです。
今までありがとうございました。」
「一緒に勉強できたことを誇りに思います。」
「今の僕があるのは先生のおかげです。」
社交辞令でなくて、心底そう思っていることがわかります。
このような恩師と出会え、信頼関係が築けたことは、本当に有り難いです。
ありがとうございました。
美留和小学校のいいところは上げたらキリがありません。
給食がおいしい、ドアtoドアでスクールバスで送り迎えしてくれる、扇風機が一人1台あるなどなど。
美留和小学校は本当に素晴らしい学校です。
うちの子達はもう卒業してしまいましたが、これからもすばらしい美留和小学校が続いていくよう、地域住民としてお手伝いしていけたらいいなと思っています。
数年前に有志と「美留和ラブの会」を発足させ、美留和小学校を応援する活動をしています。
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*小学校の様子は当時(2012年4月〜2022年3月)のものです。
現在の学校の様子は、ほぼ毎日更新されているホームページでご覧頂けます。
http//bishou-4.hs.plala.or.jp
*現在、美留和小学校は特認校として、通学区域が弟子屈町内どこからも通える学校となっています。