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鈴木正人の自伝「まぁいいっか!」

重度の身体障害がある鈴木正人(すすきまさひと)のブログ
1972年生まれ、三重県松阪市に暮らしています。
普段僕は車イスで生活をしています。
自分のこれまでの人生をまとめてみました。

小学部6年の頃、送迎バスの中で先輩のマーシー(田中雅士)が「中学部は明日からテストなんさ」と話しかけられた。僕は「何のテスト?」と聞くと「保健体育」とマーシーは答えた。僕は保健体育という言葉を初めて聞いたので「それってどんな授業?」と質問した。するとマーシーは保健体育の教科書を見せてくれた。パラパラとめくっていると、僕はあるページにギョッとした。そこには人体の骨や筋肉の写真があった。実は僕はそういったものがとても苦手だった。

 

それには理由がある。僕は4~5歳の頃、車イスを作ってもらうために松阪市民病院に通っていた。そこの診察室に人体骨格の模型があったのだ。大人サイズの模型で、当時の僕にはとても大きく見えて目茶苦茶怖かった。その部屋から逃げ出したいくらいだった。なのでそこに行く日は「え~、また行くの。」と母に漏らしていた。とても憂鬱でトラウマになっていた。

 

あまりに僕が怖がっていたのを先輩のマーシーと達也は面白がって、バスに乗る度に保健体育の教科書を見せてきてはニヤニヤ笑っていた。ひどいヤツらだ(笑)。それからというのも、僕が人体や骨を異常に怖がることが全校に広まってしまった。写真を見せられてはからかわれることが続いた。今思うとちょっとした子どものイタズラだと思うのだが、当時の僕はとても嫌だった。それを見かねた担任の橋本先生が「マーちゃん、怖いのはわかるよ。でも自分から慣れて行く事も大事やで。」と言うのだった。それからよく僕を図書室に連れて行き人体に関する図鑑などを見せてくれた。はじめは嫌で仕方なかったけど、徐々に慣れていき、写真は見れるようになっていった。

 

しかし、中学部になると保健体育の授業はちゃんとある。不安な気持ちがあったが、「嫌な事ばっかじゃないよ」と達也は教えてくれた。「どういう事?」と聞くと「ちょっとHなことも習うんやで」とこれまたニヤニヤしながら言うのだった。多感な時期なので、それはそれで興味は沸いた。

 

思春期の初めを向かえた僕は中学部に進んだ。中学部には憧れの沖中先生がいた。みんなからはオニババと呼ばれていた怖い先生だったけれど、顔とサッパリとした性格が好きだった。その沖中先生は保健体育の先生だったのだ。先生のことは好きだけど、受け持つ授業は僕の苦手な保健体育だ。とても複雑な気持ちだった。

 

しばらく時が経ち、いよいよ保健体育で人体模型を使った授業をする日が来た。沖中先生は人体模型を持って教室に現れた。体の半分は普通で、半分は内臓がむき出しになっている例のやつだ。僕は「嫌だ!怖い!!」としばらく声を上げて騒いでいた。しかし、「あれ?」と僕は思った。「よく見てみたら全然怖くない。。」橋本先生が免疫をつけてくれたおかげで、僕はトラウマを克服していたのだ。父も僕によく「正人が怖がってるモノは、お前の身体の中に同じモノが入ってるんやぞ」と言い聞かせてくれた。当時NHKテレビでタモリさんが司会をしていた番組「驚異の小宇宙~人体~」もよく見せてくれた。小さい頃怖くて仕方なかったものが、今では逆にとても興味深く大好きなものに変わった。人体は解かるほどに面白い。嫌な事でもやってみたら大好きになることもある。なんでもやってみるべきだと思う出来事だ。

 

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