希望の園が殿町にあった頃の話、当時園では松阪森林組合さんから下請けの仕事を頂いていた。内容は鉄釘を8本づつ数えて袋に詰める仕事だ。僕は数を数えてアンコウで分ける役だった。しかしこの作業は僕にとってとても辛い仕事だった。まず数を数えることが苦手な上に、頭に着けた棒を使って安定の悪い釘を8本づつ分けるなんてとてもしんどかった。お金は頂けるけれど、あまりやりたくない仕事だった。
だんだん作業をやらなくなっていった僕に、スタッフの林さんが「まーさんにも出来そうな、毛糸編みをやってみない?」と声をかけてくれた。「毛糸編み?」と思っていると、「こんな風に毛糸を編んでいくのよ」と道具を取り出し編み物やってを見せてくれた。30センチぐらいの幅の板に10本の棒が並んだ編み機へ毛糸を交互に編み込んでいくと布のようになっていった。見ているととても面白そうだった。そして自分でも出来そうな気がしたので僕はやってみることにした。しかしアンコウに毛糸を引っかけることが出来ずに滑ってしまう。この日はあまり上手くできなかった。
家に帰った僕は、父に今日の出来事を話してみた。すると父はすぐにアイデアが浮かんだようだった。「どうするのだろう?」と思っていると父は「まあ、見とき」と得意そうに言った。手先が器用な父は、すぐに作業に取り掛かった。まずはアンコウに毛糸が引っ掛かりやすいように、クリップを加工したフックをつけてくれた。フックの大きさもちゃんと計算済だ。編み機も僕用に木を加工して作ってくれた。10本の棒の間隔も僕の使い易いように測って取り付け、ササクレが出ないようにヤスリを掛けてくれた。
父が改良してくれた編み機を園へ持っていき、早速作業をしてみた。するとフックのおかげで毛糸を引っかけることができるし、棒の処理もしているからスムーズにとても上手く編む事ができた。それからすっかり編み物にハマり、1年間でA4サイズぐらいのタペストリー作品を9枚ほど作ることができた。毛糸の色を自分で決めて、自分の力で編んでいく。目に見えて形になっていくことがとても嬉しかった。ものを作る嬉しさや楽しさを覚えたのはこの頃だ。
僕が毛糸編みにハマっていた頃、森林組合さんからの仕事がなくなってしまった。また希望の園も移転することになるなど時期的に変化が多かった。
職員さんもメンバーの事を色々と考えてくれた。そんな中で、職員さんだけで伊賀の伝統工芸「組みひも」の見学へ行き、指導を受けてきた。僕たちメンバーは職員さんに習い、組みひもに挑戦することになった。
組みひもは、4~16本の色んな色の糸の束を組んでいき、一本のひもに仕上げていく。組み方や色の違いで様々なパターンのひもが出来上がっていく。
初めは自分ひとりでやってみたが上手くいかない。毛糸編みで使ったアンコウで糸を組もうとしても動作に限界がある。そこで職員さんに手伝ってもらい台を回転してもらうと徐々に組めるようになってきた。
なんとか自分の力で出来ないかと考え、陶芸のろくろを使うことを思いついた。
ろくろの上に組みひも台を置き、台に段ボールの羽根をつけてハンドルに、ろくろの側面にはタオルをつけてブレーキ代わりにした。これで台の回転と停止を自分で出来るようになった。
しかし問題がある。組みひもは糸を束ねているコマを規則的に組んでいかないと思うように仕上がらない。普通は台を上から眺めて作業するが、車椅子に乗っている僕は台を横から操作するしかできない。なので職員さんにあらかじめ組み方のパターンを教えてもらい、それを覚えてから作業することにした。
作業は途中でやめると続きが分からなくなるので、区切りのいいとこまでやり切ってからトイレなどへ行くようにした。だんだんとコツが掴めてきて、複雑な16コマのパターンにも挑戦した。慣れてくると16コマの方がやり易くなっていった。
道具に関しては父にたくさん協力してもらった。毛糸編み用のアンコウではやりづらかったので、先を二股にし、ひもを引っかけやすくしてもらった。組みひも台についていた羽根も段ボールから木製に替え、釘で固定してもらい安定感が出た。環境が整い、職員が忙しいときはセットさえしてもらえば一人で作業を出来るようになった。
組みひもは、配色を模様も自由に決めることができるので、僕のイメージを形にすることができる。当時の僕は、「これが僕の本当の仕事だ」と思うまでになっていた。森林組合さんの釘分けの仕事で挫折した僕に、仕事が出来るなんて思わなかった。この時代に生まれて、本当に良かったと僕は思った。
作る嬉しさや楽しさを知った僕は、絵画や音楽の制作にどんどんハマっていき、現在でも続けている。
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