【父が作ってくれた玩具の話し 幼稚園時代 4~5才】 | 鈴木正人の自伝「まぁいいっか!」

鈴木正人の自伝「まぁいいっか!」

重度の身体障害がある鈴木正人(すすきまさひと)のブログ
1972年生まれ、三重県松阪市に暮らしています。
普段僕は車イスで生活をしています。
自分のこれまでの人生をまとめてみました。

僕の父は手先が器用で、モノ作りが得意な人だった。家の壊れた箇所や、道具などなんでも自分で直してしまう。僕はそんな父のことを「すごいなぁ」と思っていた。

僕が4才ぐらいの頃、父が車のハンドル部品を貰ってきた。友達が経営されている松本モータースさんから頂いたらしい。ウィンカーレバーとワイパースイッチまでついているホンダ車の部品だ。父は根っからのホンダ好きな人だった。その影響で僕もホンダ好きだ。

「正人、これでなんか作ろか?」父が言う。僕は何が出来上がるのだろうとワクワクして待っていた。父はそのハンドルを使って、ササっと自動車の運転席を作ってくれた。車の運転に憧れていた僕はとても嬉しかった。

まず父がハンドルを手に取り「手は10時50分の位置で握る。目線はまっすぐに!」と見本を見せた。父は運転がとても上手な人だった。次は僕が運転席に座った。今では出来ないが当時の僕はトンビ座りをして壁にもたれ掛かれば、安定して1時間ぐらいは座ることができた。

しかし、僕は不随意運動があるため自由に体を動かせない。両手でハンドルを掴むことさえ一苦労だ。父が教えてくれた通り10時50分の位置で掴もうとするが、そう簡単には出来ない。しばらくもがき、何とか片手でハンドルを掴んだ。掴んだ手は意地でも離さない。何とかもう一方の手もハンドルを掴み、ようやく両手でハンドルを持つ事が出来た。その時は「お父さんみたい!」ととても嬉しかった。

父は普段運転するとき、いつも僕を助手席に乗せ楽しませてくれた。わざと遠回りして僕の知らない道を走ってくれたり、わざわざ細い道に入って近道を教えてくれたり。道に迷っても「いつか知ってる道につながるぞ」と言って笑ったり。ある日には、ギアをニュートラルに入れ惰力でどこまで行けるかなど、父とのドライブはとても楽しかった。

なので、父の作ってくれた玩具は僕を本物のドライバー気分にしてくれた。「高速道路に入るぞ!」とか「細い道を使って近道だ!」とかいつも空想しながら遊んだ。偶然逆手ハンドルで掴めたときは「お父さんのバックの時の握り方だ!」と嬉しかった。

今思うと父は、訓練の一つとしてこの玩具を作ってくれたのではないかと思う。この玩具で遊ぶ時、父は決して僕の手を取ってハンドルを握らせたりしなかった。僕も手伝って欲しいとは言わなかったし、自分の力でハンドルを握ることが嬉しかった。中々握れなくても「絶対に自分の力で」と思っていた。父のことをだから、きっとそうだ。

父は2013年に亡くなった。しかし、今でも松本モータースさんとは付き合いがあり、僕がお店に行くと「お!鈴木んとこの坊やないか!」と迎えてくれる。こんな繋がりがあるのも父のおかげだ。

僕はそんな父のことを今でも尊敬している。

 

 

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