連続で伊織さんが読んで来た連続講談、松林伯圓作
『修善寺奇談』の大団円、連続七回目がこの日のメイン企画で御座いました。その『修善寺奇談』大団円の前に、端物の"明治に関する作品"を二席聴きました。
◇三題噺『相澤忠洋〜岩宿発見〜』
お題は、"仁王立ち"、"発掘"、"エンドロール"。この三題で作る講談の三題噺。私は講談の三題噺は、三代目山陽先生のSWA時代に聴いた以外は、一度もなく、基本、落語しかしりません。
決定的に落語の三題噺と講談のそれの違いは、落語は基本即興で噺を作る醍醐味がありますが、講談の三題噺は半月〜1ヶ月くらいの猶予期間に拵えた噺になります。
まぁ、中々、道中付けとか芝居口調の長い啖呵を拵えて、即興で4〜5時間でちゃんとした講談に嵌め込むのは、かなり至難の技なので仕方ないのかも知れません。
岩宿遺跡の発見者、相澤忠洋さんの物語を三題噺のお題を入れて、伊織さんが拵えた講談で、岩宿遺跡は小学校の社会科の授業で私も習った記憶があります。
関東ローム層からは旧石器時代の遺跡が出ていないから、太平洋戦争以前は関東に縄文人は住んでいなかったと言うのが定説だった。
それを相澤忠洋氏が岩宿遺跡を発見し、関東にも旧石器時代から文明が有った事を証明しました。因みに、群馬県桐生市には『相澤忠洋記念館』が有ります。
◆杉原千畝
「東洋のシンドラー」と呼ばれ、第二次世界大戦である1939年からリトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、
ナチス・ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情し、1940年7月から8月にかけて、大量のビザを発給し、
彼らドイツ難民を日本経由で避難民を救ったことで知られる人物で、その避難民の多くがユダヤ系であった。
その杉原千畝が85歳の時に、イスラエルからこの難民救出の功績で表彰を受けている。その表彰が日本イスラエル友好式典で行われたが、
当日式典に呼ばれていた、当時の総理大臣中曽根康弘も、外務大臣安倍晋太郎も、この杉原千畝の存在を知らなかったのである。
ただし、「東洋のシンドラー」と呼ばれている杉原千畝は、ナチスに迫害されたユダヤ系難民を救出する為にビザを発行したと言われていたが、
実は、最近の研究でこのナチス・ドイツ難民説が誤りで、ナチスはまだ1940年7月の段階では、ユダヤ人を迫害したり、拉致したりはしていません。
ただし、リトアニアなど北欧バルト三国からポーランドに逃げ込んだユダヤ系の難民は、ポーランドに逃げて潜入していたが、なぜ?ポーランドを占領したナチスから逃げる必要が有ったのか?
それは、元々、北欧バルト三国に居たユダヤ人は、帝政ロシア時代には全く迫害されなかったが、バルト三国がソビエトになると、非スラブ人を理由に迫害を受け、仕方なくポーランドに難民として逃げ込みました。
しかし、ドイツがポーランドを占領し、独ソの不可侵条約等により、ドイツはソビエト支配から逃げた旧バルト三国の難民は、ポーランドで捕まるとソビエトに強制送還されるのです。
そうなると、ソビエトのユダヤ人に対する迫害政策が発動されて、シベリア送りにされて森林伐採の重労働の奴隷にされてしまうから、杉原千畝は彼等に同情しビザを発行しています。
でね最近、このナチスのユダヤ人迫害の話が、実はソビエト・スターリンの悪事だった真実が歴史研究者により暴かれています。勿論、ナチスもアウシュビッツなど迫害はしているが、
戦勝国ソビエトが、実は自分の都合の悪いユダヤ人虐殺の事実をナチスの仕業に捏造していたのです。だからナチスが殺したユダヤ人の数が、実はスターリンだったと後から知れています。
◇修善寺奇談 大団円
私は2月、4月、そして今回6月27日の大団円の後半三話を聞いていますが、物語は講談の『万両婿』、落語なら『小間物屋政談』と、そっくりな噺です。
主人公は、麹町の乾物屋渡世、伊豆屋清蔵。女房はおトキと申しまして店は三人の奉公人を抱えて切盛りしております。
そんな清蔵が、乾物の仕入れと新たな卸し先を開拓しに、半年から一年の長旅に出る事になります。そしてその道中、箱根山中で追剝ぎにあった男と出会います。
その男、盗賊に身包み剥がされて下帯一丁。可哀想に思った清蔵は自分の着物を男に着せてやると、男は江戸は芝伊皿子台町の鼈甲飾職人亀蔵と名乗ります。
袖触り合うも多少の縁。清蔵は亀蔵を連れて修善寺へと向かい、ここで菊屋と言う旅籠に3日ほど泊まりまして、清蔵、亀蔵に十両の金を恵んで商売旅を続けます。
すると亀蔵、必ず金子は利子を付けて返しに行くからと、住いと名前を認めて欲しいと請われて、『江戸麹町一丁目 伊豆屋清蔵』という書き付けを亀蔵に渡します。
そんな事があり、清蔵は菊屋を朝早立ち。すると、もう1人の亀蔵は急に体調を崩して寝込み、ぽっくり息を引き取ります。
さぁ〜、慌てたのは菊屋です。上を下へのてんやわんや!
台帳には、『江戸麹町一丁目 伊豆屋清蔵 他一名』とあるが…、荷物を見ると同じ筆跡で、書付が残されているので"伊豆屋清蔵"に間違いない。
即刻、修善寺の菊屋が飛脚を飛ばして清蔵の死を、麹町の伊豆屋に知らせます。びっくり仰天の女房おトキ。まずは麹町の差配人彦兵衛に相談をして、
清蔵の実弟、横浜で貿易商を営む亀吉に知らせます。漸く菊屋の報を受けて十日後に、おトキ、亀吉、そして彦兵衛の都合を合わせて修善寺菊屋へ向かいます。
修善寺に着くと、既に20日あまりが過ぎて清蔵は土葬に伏されて御座います。確認の為、棺桶を掘り起こしますが、死骸の顔は腐って見分けは付きません。
しかし、着物は間違いなく清蔵のものだとおトキが確認しましたし、背格好も清蔵と同じなので間違いなかろうと、改めて土葬に伏し、この修善寺を菩提寺にします。
後家となったおトキ。四十九日が過ぎると、伊豆屋の行末やおトキの身の振り方に付いて、おトキ、亀吉、彦兵衛と、親戚何人かで協議して、
麹町の伊豆屋の店は売却し、幸いにも亀吉は独身、おトキにも子はないので、改めて亀吉とおトキは夫婦になり、横浜で暮らす事となります。
一方、そんな事とは露知らず。清蔵は仕事を終えて旅先から、江戸麹町に帰ってみると、"伊豆屋"は無く見知らぬ小僧が店の前を掃き掃除しています。
仕方なく旧伊豆屋で商売をしていた店の主人に尋ねて見ると、伊豆屋は商売を畳んで、今は何処かへ引っ越したが、詳しい消息は不明だとも言う。
途方に暮れる清蔵!
仕方ない取り敢えず、舎弟亀吉を横浜に訪ねよう!と、気を取り直した清蔵は、横浜に行く前に品川に近い、芝伊皿子台町へ行き、あの亀蔵に会ってから行こうと思い立つ。
そして伊皿子台町に着いた清蔵は、鼈甲飾職人の亀蔵の家を探すと、簡単に見付かるが、亀蔵は鼈甲を仕入れに出たきり行方不明で、女房が亀蔵の行方を一人で探していると知る。
その女房は、芸者務めをし品川の『長門屋』と言う出会い茶屋に居ると聞いた清蔵は、品川の長門屋へと出向き、亀蔵の女房、芸者の小雅と逢います。
小雅は清蔵と逢って、1年前箱根で亀蔵は追剝ぎにあったが命は助かり、その後、二人で修善寺の菊屋という旅籠に逗留していたと聞かされます。
亀蔵は生きている!と、聞いた小雅は居ても立ってもいられず菊屋に事情を聞きに行こうと言い出すと、
当然、清蔵も菊屋で何が有ったか?と気になり、小雅に付いて自分も修善寺へ行くと言い出します。
さぁ、すると、これを側で聞いていた、長門屋の主人が眉をひそめます。この清蔵が強盗か?!
長門屋の主人は、清蔵が追剝ぎを働いた強盗で、亀蔵は既に殺されている。
そして、この悪党の清蔵が小雅を騙し、修善寺に連れて行き、宿場女郎にでも売り飛ばす算段か?!
そんな事を考えた、長門屋は小雅と清蔵の後を、品川の元十手持ちと一緒に尾行して、悪事を暴く積もりです。
一方、亀蔵の死骸を清蔵だと信じたおトキと亀吉は、清蔵の一周忌の法要を修善寺の菩提寺で行う為に、菊屋に逗留していました。
そこに清蔵が現れて、偶然、三人は鉢合わせになりますが、おトキと亀吉は、幽霊が出たと思い、右往左往しますが、清蔵はさっぱり訳が分かりません。
そこに菊屋の主人と亀蔵の女房小雅が現れて、五人は漸く、事件の全てを呑み込みましたが、麹町の店を取られ、女房までも舎弟に奪われた清蔵は怒り心頭!です。
ここまでが、前に語られた六話までのあらすじです。
激昂した清蔵は、おトキと亀吉が死んでお詫びしますと言うと、止める事なく"俺の目の前で、死ね!"と、言います。
これを脇で見ていた菊屋の主人が、発端は私の間違いが起こりだから…、二人が自害するから私も死にます!と、言い出す。
流石に、こう言われて、自分の書いた書付も、間違いの一因と考えた清蔵。菊屋を巻き込むのは料簡が違うと悟り、二人を許す!と自分に言い聞かせる様に言う。
すると、この場に、元岡っ引を連れて尾行し来た長門屋の主人が現れて、清蔵を強盗に違いないと睨んで着いて来た自分自身の浅はかさを恥て、清蔵に詫びを入れ、一つの提案をします。
それは、小雅と夫婦になる事。実は、菊屋に来て清蔵が追剝ぎじゃないと知れた後、小雅から長門屋は清蔵と夫婦になりたいと告白されたと言うのだ。
これを聞いたおトキ、亀吉も大賛成!菊屋の主人も、是非、ここ菊屋で祝言を上げてくれと言い出すもんだから、美しい小雅を清蔵は女房に致します。
これにて一件落着だが、役所への手続きが残っている。江戸で本当に亡くなったのは、清蔵ではなく亀蔵だった手続き。そして、後家になった小雅改めお雅と清蔵の婚姻届である。
そして全ての後始末が済んだ後、長門屋の仲人で、清蔵とお雅の祝言が菊屋にて執り行われ、清蔵はまた、一から乾物屋、伊豆屋を始める。
そんな四人は、修善寺で亀蔵の3回忌の法事を菊屋で迎えるが、清蔵は改めて、おトキに言う。「もう、いい加減に俺を"旦さん"とは呼ばないで、兄さんにしてくれ!」と。
完
この次は、『薮原検校』をやるそうです。墨亭さんでは宝井琴凌先生が、梅湯時代にやられています。
なんせ、『薮原検校』と言うと二代目古今亭志ん生の落語が素。確かに明治の作品です。
そこから舞台演劇に井上ひさしが脚本化しています。蜷川さんもやっていますよね。
歌舞伎では『成田道初音薮原』、宇野作品は『不知火検校』。私は『薮原検校』を講談では、六代目伯龍のを全五話通しで聞いています。たしか、CD化されていますよね。
『薮原検校』は、梅湯さんで聞き逃したから、本当に楽しみです。