さて、ここからは第十五話の続きからと成る訳で御座いまして、累天和尚の推挙に依って伊東荘太郎が出世のきっかけを掴む物語と相成るのですが、

余りに長い伊東荘太郎の生立ちを挟んだ関係で、此の太守、鍋島信濃守綱茂公の奇病の噺を完全に忘れている方は、


◇御君主の奇病 https://ameblo.jp/mars9241/entry-12760195303.html


上記を一読願いましてから、物語の続きにお付き合いをお願い致します。さて、翌朝を迎えた累天和尚は役人に向かって仰ります。

累天「拙僧も精神を籠めて祈祷させて頂きましたが、残念ながら殿様のご病気は未だ平癒とは相成りませんぬ。殊にお家に仇を成す狐狸妖怪、化物の退散致した兆しは無し。

素より目に見えぬ敵にて、世の中では妖怪と称す之等は鬼神に他なりません。即ち、其の妖怪を当家より退散させたと謂う証を見ぬうちは、

拙僧独りの法力で誠に太刀打出来る物か?判りません。然るに此処に一人の麒麟児ありて、真に、不動明王の化身にして当家の救世主となる可能性を大いに秘めた此の若武者で御座る。

お夜詰めの『不寝番』に於いて、数多の家来、近習が太守様の傍で任に着いたが、悉く役目を果たせず寝落ちする中、足軽では在りながら一睡も致さず唯一勤め上げた、

其れは三月ばかり前に江戸表に於いて、御用人で須藤官太夫様に見出された足軽者で御座います。拙僧、必ずや充分お役に立つ逸材と確信します。

何んせ不動明王の化身にして、不動明王の御告げに御座れば拙僧が単に見出したに在らず。夢々御疑い無く今宵より不寝番にお加えになって然るべきと存じ奉りまする。」

此の様に明王院の累天和尚が御側用人、大澤倉之丞始め老臣・重臣を前に進言致しますから、主だった役人達は口を揃えて賛同し、大澤倉之丞は彼等を代表し累天和尚に問います。

大澤「時に和尚、その不動明王の化身と申す足軽とは何の某と申す足軽に御座いますや?」

累天「先に申した通り、江戸勤番の御用人、須藤官太夫様よりのお口添えで、江戸表にて足軽に取立てられ、本年初めて國詰めと相成った伊東荘太郎と申す者です。

昨夜は大手お見附番を仰せ遣って御座いましたが、又深夜は転じてお廣式中番をも相勤めまするは勿怪の幸い、お廣式より拙僧が祈祷処へ密かに駆け付け、

此の伊東荘太郎は自らも読経を上げて礼拝を遂げて、即ち拙僧の周囲に妖怪変化が寄り付かぬ様に一晩不寝番をやり遂げて居ったので御座います。」

大澤「ウーン成る程、係る者なら太守様の不寝番も必ずや務まるに違いない。其の様な足軽が江戸表より此処・佐賀に移って居たとは真さに勿怪の幸い。

ただ、太守の宿直に近習以外の足軽などゝ低い身分の輩を置いた前例が当藩では御座らん。併し、各々方、之は殊に明王院の累天和尚よりの強い推挙が御座るが、

此の足軽、伊東荘太郎を殿の宿直役として、殿の寝所近くの次の間に置き、所謂、不寝番を仰せ付ける事に、異論、反論のお有りになる御仁は遠慮なくご意見下され!」

と、大澤倉之丞は明王院の累天和尚からの推挙、伊東荘太郎は不動明王の化身であると謂うのを根拠に、不寝番の宿直役を申し附けたいと提案したが重臣からは異論は出ず、

伊東荘太郎は足軽と謂う卑しい身分だが、不動明王の化身ならば仕方ないと、重臣達は自分に謂訊かせる様にして、荘太郎の不寝番を認めるのでした。

そんな空気に重臣達が包まれた所で、累天和尚と大澤倉之丞は何やら目配せをし、互いに何か更なる企みが在る様子で、再び、大澤倉之丞が重臣一同に向かって噺掛ける。

大澤「さて、特例として足軽の伊東某を殿様の寝所脇に不寝番として置く事に異論、反論、objectionは無いのは判り申したが、万一、狐狸妖怪、化猫が現れて、

御殿のお命に大事ある様な事態と成った場合、伊東某は足軽由え殿様のお身体を直接触る事は憚られ、イヤ!同じ部屋にも這入れないので、化猫を自ら退治する事は出来ませぬ。

依って足軽の伊東荘太郎に出来ます事は、次の間に寝ている近習を叩き起こして、殿様の寝所へと向かわせる事が精一杯と成りますが、各々方、其れで本当に宜しゅう御座いますや?!」

さぁ、大澤倉之丞に謂われた鍋島藩の重臣達は、こんな危機管理の基礎中の基礎にも、誰も考えすら及びませんから、『大澤の奴、余計な事に気付きやがって!』

と困り果てます。足軽が殿様の寝所に這入れるなど言語道断!併し、殿様が万一化猫に喰い殺されたりするのは本末転倒!このジレンマに阿保揃いの重臣達には解が御座ません。


其処で!!


大澤「さて其処でご提案です。伊東荘太郎に足軽のまま不寝番の任に就かせるから矛盾に悩む事態に成るのです。此処は矛盾を解く為に伊東荘太郎を殿近習役の身分に迄格上げ致します。

つまり、現在の四石二人扶持から五十石に出世させて然るべき役職を伊東荘太郎に与えます。そうすれば、荘太郎は自由に殿の警護が行えますし、万一、化猫が現れても安心です。

拙者は累天和尚から内々に御推挙頂いて、予め伊東荘太郎と面会致しましたが、実に忠義に厚く命を賭して化猫退治に取組む姿勢は、正に不動明王其の物であり、

剣術の腕前は江戸で一刀流の免許皆伝、兵法・軍学の素養も十分に有り、何んと!楠木流と北條流の両方の奥義を知り尽くしており、我が藩の現武術指南役の山田氏が舌を巻く程。

つまり、伊東荘太郎を足軽にして於くは『泥中に珠を沈めて置くが如し。』そうは思いませんか?!各々方。」

さて、そう大澤倉之丞に説明されて、其れでも『泥中に珠は沈めて置くべし!』と、反対する重臣は無く、その日の内に『太守近習、お世話係』四十六石加増の出世を致します。


さて重臣会議の後、城下の足軽長屋に居た伊東荘太郎は、御用人・大澤倉之丞に呼び出され其の屋敷へと参ります。大澤倉之丞も荘太郎に付いて詳しい経歴を知るべく呼び出します。

大澤「改めて伊東荘太郎、お主の履歴を有体に申述べなさい。」

荘太郎「拙者、仔細有って江戸表にて浪人中、御当家江戸屋敷にて奉公致しましたが、江戸駒込、染井村の稲垣百太郎道場にて修行を致し一刀流は免許皆伝、

縁有って御当家江戸屋敷用人、須藤官太夫様のお取り成しで二番組の足軽としてお召抱え頂き、昨今剣術・柔術の心得の在る者はお國元にて奉公せよと命じられ、

今月の初めに当御城下へ罷り越し、お廣式番を仰せつかりまして、昨晩より初めてその任に就きましたる所、護摩業中の累天和尚にお会いして不寝番のお誘いを頂戴致しました。」

大澤「さて、其方!決して眠らぬと和尚より聴いて居るが誠であるか?!」

荘太郎「御意に御座います。決して眠るまいと決めれば居眠りなど一切致しません。」

大澤「相分かった。其方は寝ずの番が得意と申すからは、今宵より宿直役に加えてる。併し、殿のお傍にて勤めんばならん由え足軽と謂う訳には参らん。

依って五十石取りと改め、近習の御中小姓役に加えて不寝番組と致すから左様心得よ。足軽で奉公し三月で五十石の小姓への出世は異例である!励め。」

荘太郎「之は!誠に思い掛けぬ御意を蒙りまして恐悦至極に存じ上げ奉りまする。太守様のご病気が此の身の出世の緒になろうとは、方々の謗りを受けるは残念至極、

併しながら足軽では太守様のお傍でお勤めが叶わぬと申されますれば栓無き事、決して我身は立身出世、私利私欲には有らねども、兎に角仰せに従い勤めまする。」

大澤「荘太郎、不動明王の御加護在らん。」

荘太郎「御意に!」

こうして伊東荘太郎は、五十石の御小姓へと出世しましたからは、一両日中に丸の内の長屋を賜り、足軽長屋からは転宅と相成ります。

足軽A「嗚呼、拙者などは先祖代々の足軽で、全く出世の見込みなど無いのに、あの伊東某と申すお廣式番は何んと謂う幸せ者だ?!

三月前迄はタダの素浪人が、江戸で足軽二番組に雇われたばかりか、お國送りと成ったかと思うと佐賀に着いて二日で殿の近習に出世とは如何に?」

足軽B「実に扶持が十二倍半の出世でいきなり二十歳そこそこで五十石だぞ。よっぽど何かに秀でゝ居ないと有り得ぬ出世だ羨ましい!」

そんな指を咥えて周囲はタダタダ羨むと謂う、人の世に有って小人の常で御座いまして、

足軽A「恐らくは不動明王様の生臭坊主に賄賂を二両も掴ませて、上手い事をやりやがったに違いないぜぇ!」

足軽B「馬鹿を謂うなぁ、其れにあの明王院の和尚が御祈祷するのは真夜中だぞ?寝ずに坊主に近付けるのか?」

足軽A「確かに不寝番が出来ないから、江戸から家臣が此処に呼ばれているが、兎角謂うであろう、こういう混沌とした際には必ず山師が現れると。」

足軽B「確かにそうでは在るが、殿様がご病気の折りだ。俺達みたいなモンは触らぬ神に祟り無しだ。」

小人は勝手な事を謂いながら荘太郎の出世を羨みつつ、自分達には関係の無い世界であると半分は諦めの気持ちも御座いまして噂のみを好みます。

一方、丸の内に転じて参りまして長屋の掃除など済ませますと、御用人・大澤倉之丞から近習、小姓連中が全員集められて、荘太郎が紹介され一同に挨拶など致します。

すると昼間は特に何も無く、段々と夜が更けて参りますと、日勤者と宿直・不寝番が交代する九ツ、子刻と相成ります。さぁ、不寝番組の面々今日こそはと力が這入ります。

風間「小林氏、そして中島氏、番頭として物申して於くが、今晩は絶対に寝るな!宜いなぁ、しっかり頼んだぞ。」

小林「風間のお頭、御意に御座いまする。今夜は白華(ハッカ)を口に致し、スースーさせて参りました。万一、眠気が襲ったなら目に白華を投じる所存です。」

風間「相分かった。では中島氏、其方は如何とする?」

中島「拙者は之を用います。」

風間「何んだ?其れは。」

中島「錐に御座る。唐土の故事に在る『引錐刺股』の極意です。」

風間「錐で腿を突くと謂うのか?」

中島「御意に。」

風間「先に眠って仕舞ったら如何致す?」

中島「夢の中で刺しまする。」

風間「馬鹿モン!!」

そんな事を話しまして、最初(ハナ)は不寝番を勤めていますが、八ツを城内に告げる拍子木の音が響きます、草木も眠る丑満つ刻!

病の床の御太守の寝所と宿直の間の唐紙は予め取り払い、代わりに屏風が一艘立て廻して御座います。一段下がった位置に宿直の不寝番が居て、

面々と屏風の間には、火鉢などが置かれて莨吸いの宿直役は此処で一服点けたり致して居り、行燈も四隅に煌々と灯されては居るものの、陰に籠って薄暗い。

更には、祈祷所にて累天和尚が焚く護摩業の煙が御館の内にまで充満(コモリ)まして、其れも有って灯りがやや暗くも感じられます。

景色は益々煙に霞む風情となり、総て見えるものには紗が掛かり朧に見え始めると、さぁ、宿直の面々は眠りの國へと誘われます。

風間「眠るな!中島、腿を刺せ。小林、白華は利いて居るかぁ?」

中島「ぐーぐー!スースー。」

小林「ムニャ、ムニャ、スースー。」

風間「ガー、ゴー!、スースー。」


さぁ、例に依って化物の魔力によるモノなのか?宿直役、不寝番組の面々は次々に睡魔に襲われて、一人又一人と畳に突っ伏して高鼾の白河夜船へと誘われます。

ただ一人意識の在る伊東荘太郎では御座いますが、この荘太郎とて何やら意識が遠くへと飛んで行く様な感覚に襲われて、一瞬魂が有体離脱を起こして抜け殻の我身を俯瞰に見ます。

『遺憾!妖怪に眠り落とされては大変だ。』そう思った忠義の若武者・伊東荘太郎は、咄嗟に匕首を抜いて正に『引錐刺股』、匕首を腿に突き刺しますと鋒が骨で止まります。


ウッ!痛い。


当然、紅血潮が吹き出して畳を濡らし始めますから、荘太郎は懐中より手拭いを取り出し血止を致します。もう、此の時には眠気は消えて頭はスキッと正気に御座います。

ただ、眠気に落ちぬ為の代償は大きく、ズキン!ズキン!と鼓動に同期する痛みが腿に走り始めます。荘太郎は手拭いで腿の傷を縛り上げるとその場に立ち上がり、

匕首の血を半紙で拭い去ると鞘を被せて懐中に仕舞います。そして相変わらず聴こえる累天和尚の読経とは裏腹に、殿様の寝所の奥からは並々ならぬ強い妖気が漂います。

何かゞ寝所の奥の廊下の方から、その妖気を連れて太守様、信濃守綱茂公を狙って呪い殺しに来るかのような、強迫観念に襲われる荘太郎で御座います。

もうじっと、此の次の間には控えて居られなく成った荘太郎は、脇差を持って殿様の寝所へと這入り、苦しそうな殿様の顔を見ながら耳を済ませていると、


ペタリペタリ、ペタリペタリ!


と、奥の廊下から足音が聴こえて参ります。而も足音は明らかに一つ、一人の物では無く二人、いや!三人連れが近付いて参る様子。誰だ?こんな夜更けに。

恐る恐る荘太郎は身を屈める様にして、頭を低く構えて寝所を擦り足で、そろりそろり、自らの足音は消しながら奥の障子戸の前へと向かいます。

其処には淡い蝋燭の灯がぼんやり障子越しに見え隠れ致しますから、荘太郎、度胸を据えてゆっくりと戸を開けまして、廊下を歩く人影を見てやろうと致します。

すると其処には、幼い女童・禿を二人連れた二十一、二歳の女性(にょしょう)、今、殿より一番の寵愛を集めて居る『お豊の方様』、其の人でした。

先を歩く二人の禿は金の手燭をそれぞれが持ち、前を照らしてやります中を、跡からお豊が方がしゃなり!しゃなり!と、大奥のお局様が歩くかの様にやって参ります。

窈窕たる淑女が突然出現したのを見た荘太郎は、是如何に為すか?と見定め様と両眼を見開き瞳を定めて見詰めて居ると、お豊の方は数多侍衆の寝入ったるを見て、

其の顔に笑みを浮かべて這入って参りますが、是は明らかに滑稽と感じ入り笑ったのに在らず、冷笑を含むしめしめと北叟笑む悪しき姿に映ります。

程なくお豊の方は、御前の病床に迫り来る様子なれば益々妖しく、是に荘太郎も彌々不審を起こし、ブツブツと独り言を申します。

荘太郎「彼の女性は櫻御殿に座します愛妾(側室)のお豊の方様に相違ないが、元より人間に変わりない立派な侍すら、化物の妖しい術で眠らされていると謂うのに

何故、此のご婦人は妖術に掛かる事が無いのか?ましてや連れ来たる禿すらも妖術を避けて眠らずに露払いを勤められるとは、妖しむな!と命じられても怪しむだろう。」

お豊の方は、当然殿様が病床に伏して居ると知ってはいるから、忠義から深夜に見舞う気持ちになったからと、この突然の寝所訪問を好意的に捉える事が出来なくは無い。

其れを差し引いても、お豊の方が眠りに陥らずに済み、剰え、従える幼き女児、歳はも行かぬ小児が眠るどころか手燭を持ち働いているとは怪しいにも程がある。

荘太郎はゴクリと生唾を呑んで、油断する事無く左手で脇差を持ち、何時でも抜いて斬り掛かれる様に、右手は柄前に掛けた状態でお豊の方を注目していた。

さぁ、此のお豊の方は、伊東荘太郎が睨んだ通りの狐狸妖怪の類いなのか?其れともただ、妖術が利かない特殊な女性なねか?此の続きは次回のお楽しみです。


つづく