先のお里に成り澄ました化猫と、小森半之丞とのお噺は、正保二年から三年に掛けての出来事で、化猫を再び討ち漏らした小森半之丞は、普化僧(禅僧)となり、
名を『小森典山』と改めて、己の刀・大小に髻(もとどり)を結附け、遁世の印のみを残して食録を抛ち(なげうち)、逃亡した體で鍋島藩を跡に致します。
一見愚かで武士として恥ずかしい行為にも見えますが、心に秘めし大望在りて何か大いに感ずる所が有ったに違いありません。その小森典山が遁世致してより、
時の経つのは早い物で、元号は正保、慶安、承応、明暦、万治と移り、時は立ち、特に何んの事件・事故も鍋島藩には無く、静に三十数年の歳月が流れ延宝三年を迎えます。
時は四代将軍家綱公の御世。肥前佐賀藩・鍋島のお家も國元、江戸屋敷共に上下は能く和睦いたし平穏、領民も天下泰平を謳歌し益々全盛を極めて居りました。
明けて延宝四年、此の年佐賀の太守鍋島信濃守は國詰めで本城に在らせられた。季節の替り目春先より体調を崩し風邪気味であり、風邪は万病の素と重き御身で御座いますから、
早期に治療致さんと側近重臣が、医師、薬師など種々手を尽くしますが、捗々しく御快気相見えず、次第に病症重く相成って今は寝所にドッと臥して賜う状態です。
大國の太守の病となれば医師・薬師のみならず、諸寺諸山の加持祈祷は固より、三十五万七千石のお國元に於いて、九州近隣の名医には及ぶ限り手を尽くし、
和漢両医は言うに及ばず、長崎出島より西洋蘭学の医師にも診せておりますが、太守の病はなかなか回復の兆しが御座いません。老臣重臣の面々は種々に心配致し、
特別に鍋島藩は不動明王を厚く信仰なさいますから、江戸表より成田山新勝寺への御代参を立てられて、三七・二十一日の間、太子御病気平癒の御祈願として、
護摩行を行いお國元の肥前佐賀に於いては、御城下明王院住職・累天和尚以下徒弟十二人を凝らしまして、護摩病気平癒の御祈祷に及び、護摩の煙が館に満て、
実に(げに)如何なる悪鬼悪霊も降伏なし、怨仇退散致すべき有様に御座います。然るに世に不思議と謂う事は常ですから、この御祈祷の最中にも起こるので御座います。
此の護摩行の最中、『御夜詰め』と言う役回りの者が居まして、此れを別名『不寝番(ねずのばん)』と申しまして、太守の御神殿の次の間にて十人づゝ半夜交代で、
宿直の不眠不休の番をする者共を、『御夜詰め』『不寝番』と申す役目に御座います。又大奥の方に腰元衆にも奥方様を守る同じく司る連中が御座いまして、
表の太守の方は若い御近習衆が相勤めまして、平常には十人を一組に交代勤務で御座いますが、太守御病気由えに増員となり二十四人が一組と成りまして、
暮六ツから九ツ子刻迄と、九ツから明け六ツ卯刻までの二組交代で計四十八人が毎夜城詰めと相成りますが、さて特に何も起こらない日々が続きますれば、
どうしても居眠りを致す者が現れて、其の日はどう言う訳か?皆白川夜船、居眠りを始めて仕舞います。肝心な子刻から明け方まで世間陰に満ちる頃、
二十四人の一人として頭を上げて居る者は有りません。御主君への忠義もお家の大事も其の身の栄耀も何もかも忘るゝばかり物怪の祟りが如く有様です。
最初は誰もうとうとゝ居眠りから始まり、次第に稍體を崩し最後は肘を曲げて枕に高鼾と相成り、漸く明け方に冷気を感じ目を覚まし互いに顔を見合わせて、
お勤めの怠りにハタと気付き後悔するも、時既に遅く全員甚だ恐縮致します。と申しますのも不寝番が爆睡中、当の御太守はと見てやれば其れは其れはお苦しみです。
宵の中(ウチ)はさしてお苦しみでは御座いませんが、子の下刻から丑刻を迎えますと、脂汗を掻き々き、其れはお苦しみのご様子で命も危うい状態ですから、
当然付き添いの医師が寅刻辺りまで、代わる々わるお側で脈を診たり、薬を飲ませたりして介抱に当たるのが本来の姿では御座いますが、なぜか?この連中も正気を失い、
思わず知らず茫然自失の左ながら死地に在るが如く、更に人事を弁えません程で有りまする。斯くの如き次第に精神を失って仕舞うと謂うのも実に不思議の一つで御座います。
斯く有様に太守、信濃守綱茂公は翌朝に成りますると、お側用人の大澤倉之丞を枕元にお呼びになり、苦しい床の中からご命じに成ります。
太守「倉之丞!世にも稀なる予が病床、深夜に至って一方苦しみは増し、七転八倒致して居ると謂うのに、夜詰めの輩は何故眠りに付き、医師までもが睡魔に倒れて仕舞う?!
奴等には忠義、礼節、予に対する感謝や尊敬は無いのかぁ?!今夜からは夜に強く、不寝番がちゃんと出来る者だけを、
貴様の裁量で十二分に厳選、選抜した上でこの夜詰めの任務に附かせよ。宜いなぁ?!頼んだぞ。二度と怠慢は許さん!!」
と、其れはもうご立腹で、用人・大澤倉之丞は直接の不満爆発に大変驚き、主君の怒りを必死に宥めつつ、
大澤「誠に持って恐悦至極、早速、健康第一の居眠りなど致さぬ優良且つ忠義に満ちた家臣を選抜致しまして、今宵から不寝番を必ずや実現致す所存で有ります。」
とお答え致しまして、大澤倉之丞は身分の上・下や家柄の良し悪しは二の次に、兎に角、健康且つ徹夜など平気で忠義に励む近習を募集しますとまぁ集まります。
そして、我こそはと徹夜自慢と忠義心自慢に熱弁を振るうのは良しとしても、他人の批判も合わせて行い、宛ら激しい足の引っ張り合いです。
甲「いやいや、此奴、口では不寝番が出来ると申しますが、城勤めの最中万度居眠りをする不忠者で御座る。其れに引き換え拙者は七番徹夜の経験が御座います。」
乙「何が七日不寝番だ!拙者は半月は寝ずとも平気の平座で御座る。」
丙「拙者は一月一睡も致しません。」
丁「拙者は二月だ!」
甲「拙者は三月で御座る。」
乙「何んの何んの、半年は寝なくとも平気だ!」
丙「拙者は一生寝ません。寝るのは棺桶ん中だ。」
と、もう言いたい放題。不寝番の夜詰めの仕事を貰おうと!殿様に気に入られ様と、自ら申告して来る不眠自慢はどんどんエスカレートするばかりで御座います。
そんな元気自慢、不眠自慢、健康自慢が役所へは詰め掛けて来ますから、大澤倉之丞は部下に選抜を手伝わせて、漸く第一次選抜隊三十人に不寝番をやらせるのです。
併し、
是が九ツ子刻になると半数がコックリコックリ始まりまして、八ツ丑刻には鼾が始まり七ツ寅刻前には全員が全員、深い眠りの白川夜船で御座います。
昨日の昼間に役所で申告した、舌の根も乾かぬうちに、病に苦しむ君主を尻目にグーグー高鼾で全員寝入って仕舞うのですから、返す言葉も無くただ俯く三十人。
さて、注文を付けてお側用人・大澤倉之丞が厳選した三十人が此の有様ですから、太守信濃守綱茂公の落胆ぶりは並大抵では御座いません。
太守「嗚呼、三十五万七千石の家に於いて、不寝番の出来る忠臣が一人も居らぬとは情け無い。予の武運も末じゃ、薄徳の招く恥部に他ならん。遺憾至極ならんや。」
そう謂って主君は大澤倉之丞始め、老臣を並べて愚痴を聴かせるので有りますが、是を聴かされた重臣達は返す言葉もなく、ただただ項垂れるばかりです。
更に大澤倉之丞の肝入りで、重臣一同も必死に働き掛けて元気、健康な眠らない不寝番役を募集しますが、一次選抜隊の三十人の噂が耳に入るに附け尻込みして中々第二陣が現れません。
一方、医師ご天医の面々は更に強い尻込みで、殿様の近くに寄り附きません。自ら仮病を使い恥も外聞も無く蟄居して、触らぬ神に祟り無しと言う有様で御座います。
又、医師薬師だけでなく鍋島藩は、此処に明王院の累天和尚が、不動明王を奉り左右に六人の徒弟を並べて連日祈祷による君主全快祈願を実施して御座いますが、
こちらも、宵の中から四ツ過ぎ亥刻辺りまでは威勢よく経文が上屋敷に轟いて御座いますが、同じく九ツ子刻を回り、下の刻に成りますと経文は次第に白川夜船の高鼾に変わりまする。
さて累天和尚自身は修行の徳か?辛うじて眠りには落ちず皺枯れた声を振り絞る様に、祈祷の言葉を出し続けて御座いまする。
累天「無二の信心面門現れず、智恵愚智般若に帰る。霊光分明にして大山に輝き、鬼神何れの処に手足を止めん。一切の悪魔降伏、怨敵退散。
南無大日照不動明王、制陀迦童子、金迦羅童子、及び三十六童子に祈誓し奉る、当國太守、鍋島信濃守様のご病気平癒なさしめ賜へ!帰命頂戴、帰命頂戴。」
と祈願の詔を唱え精神を励まし、水晶の念珠を爪繰り、頻りに祈祷致します。城内の八ツを告げる太鼓がドンドン!ドンドン!と聴こえて参ります。
さて草木も眠る丑満つ刻。御殿は護摩を焚く煙が満ち々ちて陰々と致しますに、累天は独り一心不乱に祈祷を続けて御座います。其の耳に遙か聴こえますのは、
「御殿様ご病気全快仕りますように!偏に願い奉る。南無不動明王!譲らせ賜え!」
驚いた累天和尚、自身以外にも殿様の病平癒の祈願する声が微かに聴こえて参ります。誰だ?!と左右十二名の弟子を見渡しますが、皆、死んだ様に眠り込んで居ります。
そんな連中の傍に、二十歳ばかりの紋服に袴姿で累天の祈祷を真似る様に、独りブツブツ低頭平身して祈祷する若武者が御座います。
若衆「御殿様ご病気全快仕りますように!偏に願い奉る。南無不動明王!譲らせ賜え!」
と、累天になぞる様に言葉を続くは、忠義の若い武士ですから、思わず累天は唱える言葉を止めて若武者に話し掛けたくなります。
累天「オヤ、実に感心致して御座いまする。汝は何んと申される忠臣に御座いますか?お名前をお聴かせ願いたい。」
若衆「御免なされ、名乗るには及びません。」
と、謂うと其のまま下り奥の襖を開けて下がると、次の間を抜けて姿は何処(いずこ)かへ消えて仕舞います。はて!?と累天は思いましたが、
翌日も更に翌日も、三日間、弟子の徒弟十二人は子刻には船を漕ぎ始め、丑刻に成ると完全に高鼾を始めるが、此の若い侍は一人末席に座して累天を真似して祈祷致します。
さて、二日目三日目と累天和尚が気付き声を掛けてやると、恥ずかしいからか?やはり名乗りは致さず消える様に、奥の襖から次の間へと妖怪か?幽霊の如く居なく成ります。
どーも薄気味悪い累天和尚。人の様であり妖怪変化の類いの様でもある。そして迎えた四日目。同様に不動明王に祈願を掛ける累天、何時もの時刻に若武者が現れますが、
今日はなぜか?手を合わせるだけで、累天の祈祷をなぞろうとは致しませんで、ただただ無言の行で御座いまする。手を合わせ目を瞑り拝んで居りまする。
累天「其れなる若侍!連夜、拙僧の祈祷を復唱されて居るが今夜は何由え、無言の行を成されまするか?拙僧が名を尋ねてもお答えにならぬご様子。
何やら羞恥なさるご様子が面地より伺えまするが、名前を公となさるを憚る理由(ワケ)がお有りのご様子だが、拙僧も当家鍋島様の菩提所、旦那寺の和尚なれば、
容易に他言致すようなぁ、生臭では御座いません。依って、是非とも貴方様のお名前と身分を承りたい。どーか、宜しく名乗られよ。」
若侍「之は誠に御無礼仕りました。拙者、お察しの通り名聞利欲を好むに有らず。己の姓名身分を明かすのは本意に御座いません。拙者は見る影も無き者、
この度縁有って江戸表でお召抱え頂いた足軽で御座いまして、参勤交代で三月に江戸表から肥前國佐賀へと初めて参りました、一番部屋の足軽に御座います。
身分軽き足軽なれど禄を賜る御殿様がご病気と有らば、ご病気全快の祈祷に微力ながら従わんと存ずる心底です。重ね々ね、名前を明かす事だけはご容赦願いまする。」
累天「先程、宿直の不寝番・夜詰めの噂を賜りますれば、連夜二十四人が先ずは此の任に当たるも皆が番勤まらず屍人の如く、丑満つ刻から明方まで寝入るとか、
更に御殿様の御下知により、側用人様の肝入りにて三十人の特別に健康なる若侍、近習による不寝番が結成され任を勤めたが、同じく寝入って役立たずと聴く。
現にお恥ずかしい噺、我が徒弟、弟子もほれご覧の通り十二人が十二人共、正に死んだ様に眠り呆けて全く役に立ち申さず、更に人事を弁えず。
かかる事態を見て分かる通り、当家鍋島藩は何か妖怪の類いに祟られていると謂うかぁ、妖怪の仇が御座るに違い無い。其の渦中に在り貴殿の姿は誠にご立派。
御身は若年なれど、精神は確かな上に修行僧ですら寝落ちする中、声を出し祈祷なさるは誠、麒麟児と呼ぶに相応しい。
之は正しく唯成らぬ行を積みし者の為せる業なれば、汝には心当たりの有ると推察致す。由えに重ねて問いままする、拙僧にだけ名前をお明かし下され!」
若侍「では、和尚にそこまで言われて、沈黙を続けるは無礼に当たる由え、名を語り申しますが、拙者は誠に一番組の足軽、伊東荘太郎と申す祥が無い者で御座います。」
さて、此の忠臣伊東荘太郎こそが、鍋島三十五万七千石の救世主となる人物なのですが、そのお噺は又次回のお楽しみで御座います。
つづく