僕は性格としてはおとなしい方なので、何か腹の立つことや不満なことがあってもそれを口に出して伝えると言うことをいままでやってこないことが多かったです。

 

なにか心の中で「どうせ自分が言ってもその人は変わらないし、面倒ごとが増えるだけ」と考えている気がします。

 

でもこれによって今まで何回も損をしてきたなーと今になって感じるんですよね。

 

例えばこの間、友人に旅行に行かないかと誘われて行くことになりました。その友人とはそんなに一緒に出かけたこともなかったので、せっかくだし行ってみることにしました。(この時点で友人かどうかには疑問が残るところですが置いときます。)

 

その友人は困ったことに少し常識に欠けているところがあり、正直一緒に街を歩きたくないと思わせるようなこともしばしば。

 

例えば服装はいわゆるチー牛というのか、全くもってダサいのですが傲慢ぶった発言が多いんですねw

 

そういうところに関して自分はどちらかというと嫌悪感を抱いているのに「どうせこういうやつ」と勝手に決めつけているわけです。

 

一歩勇気を出して、彼にアドバイスをすれば何か変わるかもしれないのに。

 

結局せっかくの旅行なのに、時々イライラの感情を感じてしまい損した気持ちになってしまいました。

 

なんかただの人の悪口じゃね?と言われると否定はできないのですが、もう少し自分の意見を口に出して言ってみようと思います。

久しぶりに投稿します。

 

最近、ひろゆきさんの切り抜き動画が流行っていますがその中で結構納得して考えさせられたものがあったので書こうと思います。

 

それは努力する才能というものです。

 

自分で言うのもなんですが、僕は昔から真面目な性格であったので基本的に何事も努力すれば結果が出ると考えていました。

 

中学生のとき、定期テストの点数が周りよりも低かったのが悔しくて、学校から帰ったあとも頑張って勉強していました。するとぐんぐん成績が伸びて、学年で1,2位くらいに入るほどの成績になったんです。

 

そのときに僕は努力した分だけ結果はついてくるという勘違いを確信してしまいました。

 

高校は進学校に入りましたが、いくら頑張って勉強しても周りについていけず勉強がいやになってしまいました。結局浪人することになってしまったのです。

 

結果が出る人は努力をしているけど、努力したからと言って必ずしも結果につながるわけではなかったと思います。

 

僕はそれに気づかず、時には努力していない人たちを卑下するようになっており、今となっては後悔しています。

 

なので努力はちゃんとするけれども、これは無理だなというものは人に頼ってみたり、潔く諦めて他の道を探すというのはすごく大事だと思った今日でした。

よくネットやSNSを見ていると「インキャ」だったり「コミュ障」といった言葉をよく目にする。

 

性格が暗く根暗な人やコミュニケーションをとるのが得意でない人を揶揄するネット言葉である。

 

このような言葉をネットで見るたびになんだかいやな気持ちになるのは私だけだろうか。なんだろう、足の引っ張り合いをしているというか、

性格が悪いというか、人の短所をつつくのが好きというか、ポジティブな要素が一切感じられないんすよね(笑)

 

最近大学の授業で他の学生とグループワークをすることがあったのだが、その中でこれらの言葉に関する話題が上がったのである。

その授業ではアメリカと日本でのリーダーシップやマネジメントについての違いを話し合っていたのだが、アメリカでは幼少期から自分の意見を曲げること無く主張することが大切だという価値観に基づいて教育が行われているようだ。

 

一方、日本ではみんなの考えを尊重しましょうだとか人の気持ちを考えましょうといったように、他人と協調することに重きが置かれた教育が多いように感じる。

だからリーダーシップをとろうとする人がいると、少なからず「出しゃばっている」とか「目立ちたがり」といったようなことを言う人が日本人には多い。そして「いかに成果を出すか」よりも「いかに失敗をしないか」ということが重視される価値観というのが日本だと感じる。

 

そのような価値観が「インキャ」だとか「コミュ障」という言葉を生み出しているのでは無いだろうか。

この2つの言葉に共通しているのは、一般的な人よりも劣っている人を見下す気持ちが含まれているという点だと思う。

 

「いかに失敗をしないか」という考えは「できるだけ集団の平均に近づく」という考えを生み出すだろう。

例えばクラスの中で浮くという失敗をしないようにクラスのみんなとできるだけ同じような意見に賛同するといったように。

 

この考えは自分が平均的な人間になろうとする一方、平均的ではない人間を排除しようという考えも生み出すと考えている。

いわゆるイジメと同じ発想である。

 

しかしアメリカのように、自分の主張が正しいという価値観の中では人の持つ意見は十人十色が当たり前であり、自分が平均的になろうという発想はおそらくないだろう。

従って平均的ではない人を排除する動機というのがほとんどないはずであるから「インキャ」だとか「コミュ障」といった言葉はないのではないだろうか。

 

だが正直どの価値観が本当に正しいのかは分からない。なぜならこのような価値観で日本は今までそこそこうまくやってきたし、アメリカもそうであるからだ。しかし、将来的にこの価値観を保守していて果たしてよいのだろうか。