よくネットやSNSを見ていると「インキャ」だったり「コミュ障」といった言葉をよく目にする。

 

性格が暗く根暗な人やコミュニケーションをとるのが得意でない人を揶揄するネット言葉である。

 

このような言葉をネットで見るたびになんだかいやな気持ちになるのは私だけだろうか。なんだろう、足の引っ張り合いをしているというか、

性格が悪いというか、人の短所をつつくのが好きというか、ポジティブな要素が一切感じられないんすよね(笑)

 

最近大学の授業で他の学生とグループワークをすることがあったのだが、その中でこれらの言葉に関する話題が上がったのである。

その授業ではアメリカと日本でのリーダーシップやマネジメントについての違いを話し合っていたのだが、アメリカでは幼少期から自分の意見を曲げること無く主張することが大切だという価値観に基づいて教育が行われているようだ。

 

一方、日本ではみんなの考えを尊重しましょうだとか人の気持ちを考えましょうといったように、他人と協調することに重きが置かれた教育が多いように感じる。

だからリーダーシップをとろうとする人がいると、少なからず「出しゃばっている」とか「目立ちたがり」といったようなことを言う人が日本人には多い。そして「いかに成果を出すか」よりも「いかに失敗をしないか」ということが重視される価値観というのが日本だと感じる。

 

そのような価値観が「インキャ」だとか「コミュ障」という言葉を生み出しているのでは無いだろうか。

この2つの言葉に共通しているのは、一般的な人よりも劣っている人を見下す気持ちが含まれているという点だと思う。

 

「いかに失敗をしないか」という考えは「できるだけ集団の平均に近づく」という考えを生み出すだろう。

例えばクラスの中で浮くという失敗をしないようにクラスのみんなとできるだけ同じような意見に賛同するといったように。

 

この考えは自分が平均的な人間になろうとする一方、平均的ではない人間を排除しようという考えも生み出すと考えている。

いわゆるイジメと同じ発想である。

 

しかしアメリカのように、自分の主張が正しいという価値観の中では人の持つ意見は十人十色が当たり前であり、自分が平均的になろうという発想はおそらくないだろう。

従って平均的ではない人を排除する動機というのがほとんどないはずであるから「インキャ」だとか「コミュ障」といった言葉はないのではないだろうか。

 

だが正直どの価値観が本当に正しいのかは分からない。なぜならこのような価値観で日本は今までそこそこうまくやってきたし、アメリカもそうであるからだ。しかし、将来的にこの価値観を保守していて果たしてよいのだろうか。