京都でも強い因縁の残っている心霊スポットはあります。京都市中京区にある壬生寺(みぶでら)」は、正暦2年(991年)に快賢僧都によって創建されました。本尊は「延命地蔵菩薩」で、古来より地蔵信仰と共に厄除・開運の寺として、信仰を集めてきた由緒あるお寺です。ただ、このお寺は幕末に活躍した「新選組」と深いかかわりがあります。新選組は結成当初の文久3年(1863年)、壬生の八木邸・前川邸を屯所としていました。壬生寺は近くにあったために、寺の境内で新選組は、剣術・砲術・馬術などの訓練を行っていました。ただ、新選組は戊辰戦争で、幕府軍と共に官軍に敗れました。新選組局長の「近藤勇」は、1868年に「流山」で官軍(新政府軍)に捉えられて、板橋刑場で処刑されました。新選組副長の「土方歳三」は1869年、「函館戦争(五稜郭)」で戦死しました。こうして最大約230名がいた新選組は壊滅しました。そのため新選組と縁のあった壬生寺には「新選組の歌碑」の他、幹部や隊士の墓があります。他にも「近藤勇像」や「土方歳三像」さらには「近藤勇の遺髪塔」も建てられているのです。そのためか壬生寺ではしばしば“剣戟音(けんげきおん)=剣や戟(ほこ)など刃物の武器がぶつかり合う際に発生する金属的な打撃音や、斬撃音(ざんげきおん)=剣や刀などの刃物で物体を斬った際に鳴る音が聞かれています。これはこの場所で剣術の訓練に明け暮れながら若くして死んでいった新選組隊士の魂が、まだこの地に残っているからです。新選組は局長の「近藤勇」が満33歳、副長の「土方歳三」は満34歳、1番隊組長の「沖田総司」は満26歳で亡くなっています。隊士は若者たちが多かったので、その分”生きたいと思う思い(執着)“が強かったように思います。
新選組の名前を世に広めた「池田屋事件」では、京都三条の旅籠「池田屋」に集まっていた長州藩・土佐藩など尊王攘夷派の志士を新選組が急襲して制圧しました。尊王攘夷派の志士が9名以上と新選組1名が死亡して、24名が捕縛されましたが、今でも池田屋の跡地周辺では、しばしば”剣劇音や斬撃音“が聞かれています。
あとは京都市東山区に「京都霊山護国神社」があります。この神社は明治元年(1868年)に明治天皇が、倒幕運動に命を捧げた志士たちの霊を慰めるために、京都・東山の霊山に神社を建立するように命じたのが始まりです。幕末の志士である「坂本龍馬」「中岡慎太郎」「木戸孝允」のお墓はここにあります。そのほか幕末の戊辰戦争で亡くなった1356柱が祀られています。さらには明治以降の日清戦争・日露戦争・太平洋戦争などの戦没者も合祀されています。そのため主祭神は、国事受難者約73011柱となっています。そういう意味では靖国神社と同じ性質の神社ですが、創建されたのは靖国神社が出来る1年前になります。こういった経緯で建てられた神社ですから、やはりここでも夜に「武士や兵隊の姿を見た」という目撃談が後を絶ちません。中には「坂本龍馬」の霊を見たと話す人もいます。
私に相談する人の中に東京の九段下にある「靖国神社」の近くにお住いの人は何人もいます。皆さん、重い霊障を受けていて、人によっては命にかかわるような状態まで追い込まれています。どうしてそこまで強い霊障を受けているのかといえば、戦争に関わる神社には、現世に執着したり、未練を残したり、無念の思いで死んでいる魂が多いからです。太平洋戦争は3年8か月間行われましたが、ミッドウェー海戦の行われた1942年6月から、戦況は圧倒的に日本軍が不利になりました。ですから3年8カ月のうち、後半の2年以上は敗北が濃厚な戦地へ多くの兵隊たちは死を覚悟して出かけて行ったのです。「靖国でまた会おう」を合言葉にして。その多くの若者の気持ちを思うと、今なお残っている心霊スポットに、戦争関連の場所が多いこともうなずけるのです。
2022年9月1日から、紀伊國屋書店をはじめとする全国の書店、インターネット書店(アマゾン・楽天など)で、シュンさんの本が発売(商業出版)になりました。「地球はどうしてできたのか」「人類はどうして誕生したのか」「霊界の仕組みや構造はどうなっているのか」そして「幸せに生きるすべはどのようなものか」、シュンさんがさまざまな体験に基づいて明確に答えています。悪質な”霊感商法”が問題になっている今だからこそ、霊や霊界について正しい知識を身に付けて、悪徳業者を見分けるポイントを把握してください。
■書名
霊界が教えてくれる
この世で幸福になる方法
■著者:霊能者SHUN(シュン)
■四六判248頁
■定価1650円(本体1500円+税10%)
■ISBN978-4-341-08818-7
■発売 株式会社ごま書房新社
目次
序章:地球の誕生と人類の出現
第一章:霊界の存在とその仕組み
第二章:人の縁の不思議
第三章:心霊スポットが危険な理由
第四章:霊障は理不尽なもの
第五章:先祖と私たち
第六章:この世の上手な過ごし方


