霊に憑依されて霊障を受けた時に、憑いた霊の状態が体に現れることはよくあります。足に大けがをして死んだ霊に憑依された人が、急に足を引きずって歩き出したとか、毎日、5杯以上もコーヒーを飲んでいた中毒気味の人が死んで憑依してきたときに、今までコーヒーを好きでなかった人が、コーヒーばかりを飲むようになったというケースです。他にも肉体ばかりではなく、メンタルにもその影響は映し出されます。おとなしくて自分を主張することが苦手だった人が、霊の憑依を受けてから急に自己主張が強くなったり、穏やかな性格だった人が、急に攻撃的になることもあります。霊の影響は肉体で言えば、後頭部から肩にかけてと、体の表面に出ることが多くあります。首が痛いとか、肩が痛いというケース、或いは頭が痛いとか“フラフラする”ということもよくあります。不浄霊が肩に乗ってくると、乗った方の位置が下がりますから、一目で分かります。鏡の前で正面から“気をつけ”をして、自分の両肩の位置を比べてみてください。どちらかの肩が下がっている場合は要注意です。よく“邪悪な霊は左肩に憑く”と言う人がいますが、私自身の経験も含めて、不浄霊は左右どちらの肩にも乗ってきます。しかし最近、ひどい霊障を受けた人は、こういったパターンとは少し違った形で、体に悪影響が現れていました。それは“痣”なのです。痣が不浄霊の影響で体に出ることは時々ありますが、この人の場合は、それが腕と額にハッキリと出たのです。しかもその痣は、江戸時代に“入墨刑“として体に入れ墨を彫られた罪人そのものになっていたのです。
江戸時代には刑罰として罪人の体に入墨が掘られました。多くの場合、それは腕に黒い輪を彫られたりします。他には腕や顔に横線を彫られるケースもあります。それは江戸時代は、全国に200数十の藩があって、それは小さな国家が乱立しているような状態です。ですから藩によって罪人に対する仕置き(刑罰)は異なっていました。顔に傍線を彫られれば、その人が罪人であることはすぐに分かります。しかし、この刑は犯罪者を周囲に知らしめて警戒心を促すとともに、犯罪者に対する見せしめでしたから、もっと目立つように露骨な入れ墨を彫った藩もあったのです。額や頬に〇や×を入れた藩もあります。犯罪を繰り返すたびに顔に入れた横棒の本数を増やした藩もありました。さらに安芸(広島県)や筑前(福岡県)では、初犯では額に横棒を一本掘ります。前科2犯になるとその上に漢字の「ノ」の字を彫ります。そして前科3犯になると、額に「犬」の文字を完成します。
私が見た男性は、額に横に一本線とカタカナの「ノ」の字が浮かび上がっていました。しかも話を聞くと、最初は横棒1本だったと言いますから、この憑いた霊が前科3犯以上だとすると、これから額に「犬」の文字が浮かび上がる可能性もあるのです。腕に出た痣なら服で隠すこともできますが、額は隠せません。その人は肌色の薄型の湿布薬を額に貼って隠していました。しかし、それも目立ちますから、外に出れば人からジロジロと見られます。ですから一刻も早くこの痣を消してほしいと私に頼んできたのです。私から見ると、この人には明らかに罪人の霊が憑いていました。この罪人は何度か罪を犯して入れ墨を入れられたために、釈放されてもまともな仕事に就くことができませんでした。そして生きていくためにまた罪を犯すことを繰り返して、最後には刑死しています。元は犯罪を犯した自分が悪いのですが、藩の役人や世間を強く逆恨みしていて、容易に成仏することができません。かなり重たい霊ですので、「除霊」をしても簡単に祓うことはできませんでした。しかし、何度かマントラを入れていく中で、最後はこの人の体を抜けて、どこかへ去っていきました。ただ、霊を祓った後も、ここまで強く出ている霊障は、すぐには消えません。霊を祓ってから心身が反応するまでに“タイムラグ”が出てしまいます。そして悪い意味で強いものだったり、古いものの場合、祓った後で心身が元の状態に戻るまでの時間は長くなります。この人の場合、この痣が消えるまでには、1年ぐらいの時間がかかりました。それでも最後は、霊障はすべて抜けて、額の痣もきれいに無くなったのです。