この前の日曜日、たまたまテレビを付けたら「鎌倉殿の13人」という「大河ドラマ」が放送されていました。「鎌倉」は私が通った高校があることもあって、子供のころからなじみの深い場所です。何気なくドラマを見ていると面白いシーンが映し出されていました。このときドラマの中の「源頼朝」は、武蔵国稲毛(川崎市)を領していた「稲毛重成」が、死んだ妻(北条時政の娘)の供養のために相模川に架けた橋の落成式に参列していました。建久9年(1198年)12月27日、「源頼朝」はこの落成式の後に、鎌倉へ帰る途中に落馬して亡くなってしまったのです。史実によると、12月27日に落馬した後、鎌倉に運ばれて回復に努めましたが、翌年1月13日に病死したとされています。ドラマでは落馬して死んだように演出されていました。そして私が注目したのは、頼朝が落馬して地上に倒れ込んだ時から、まるで”虫の知らせ“のように、不思議な鈴の音が、親しい人の耳に届いたのです。それは妻の「北条政子」、息子の「源頼家」、御家人では「和田義盛」「三浦義村」「比企能員」「梶原景時」「大江広元」あとは北条家の継母「りく」の8人です。そこにはなぜか頼朝の最側近の「北条義時」と舅の「北条時政」は入っていません。インターネットでは、この演出に対してファンの皆さんがさまざまに意見を述べています。このドラマの主役であり、最側近の「北条義時」に、なぜこの鈴の音は響かなかったのか。それは舅の「北条時政」も「北条義時」も”欲のない人間だったからではないか“という意見が多かったのです。確かに”鈴の音“を聞いた御家人たちは、頼朝の側近でありながら、それぞれ一癖も二癖もあり、打算の強いメンバーです。それは妻の「政子」も「りく」も息子の「頼家」も同じように”権力欲“を持って描かれています。ただ、”打算的な人間“というなら、「比企能員」の妻の「道」は、夫を何度もけしかけて、比企家がもっと力を持つように働きかけています。「後白河法皇」の側室の「丹後局」も朝廷の威光をかさに着て、権勢をふるい武家と敵対してきました。鈴の音がこの二人には届かずに、8人の耳に聞こえた理由は、いずれ解き明かされるのでしょう。ベテランの「三谷幸喜さん」の脚本ですから、この8人を選んだのは偶然ではないはずです。

 私が注目したのは、満51歳の若さで亡くなった「源頼朝」について、その予兆として「頼朝」が自分にしか聞こえない”鈴の音“に、違和感と恐怖を感じ始めたことと、死の瞬間にその”音色“は親しい人たちの耳にも届いていたことです。これはこの仕事をしていることで、何度も”人の死“に直面してきた私からすると、実にユニークな表現で、事実を現わしていると感心したのです。

 人は事故や突然死でなければ、多くの場合、病気で亡くなります。たとえば病院のベッドに寝かされて死期が近づいたときに、人は自分の死の予兆を確実に感じていきます。今までと同じように腹痛や頭痛が続いているとしても、その内容は明らかに今までとは異なります。“この痛み方は今までとは違う”ということを本人は感じ取ります。そして自分に死が迫っていることを認識して、死の準備に入ります。具体的には自分の生きてきた時間を顧みて、自分の人生を総括します。何か伝えたいことがあれば、家族にその言葉を託します。そうやって死に向かって着実に進みながら、死の瞬間を迎えます。このドラマの中でも、「源頼朝」は、“静の音”が自分に聞こえてくるようになってきてから、命あるものが「死にあがなっても仕方がない」とか「死を受け入れよう」と話しています。さらに側近たちから「縁起が悪いことを…」と言われながらも、「自分が死んだ後は頼家を頼む」と伝えています。つまり、死に際して実際に起きている流れをドラマの中で、見事に再現しています。さらには死の瞬間に、近親者に虫の知らせが届くことも、“鈴の音”で表現しています。ですから私から見ると、「三谷幸喜さん」は、人が死に向かう段階から、死を迎えたあとの本人や周囲の変化をどこかで取材してきたのではないかと思うほどうまく再現していたのです。「さすが」としか言いようがありませんでした。(2)へ続く。

 


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